編集だより
☆5月6日☆半世紀前、1954年5月7日、ディエンビエンフーの要塞がベトナム人民の手に落ちた。 ベトナム人民軍が、ディエンビエンフー作戦を始めたのが3月13日のことだから、およそ2ヶ月で、勝負はついた。ベトナムのラオス国境に近いこの地での戦いが、フランスの、インドシナでの敗北を決定的なものにした◆この時期に、フランスに滞在していた人の話を聞く機会があった。フランス軍の少なくない部分は外人部隊、主力は第2次世界大戦敗戦国・ドイツの元兵士だったのだという。そういう事情もあって、フランスでは、すでに敗北を覚悟している人が多数であったということとも相まって、敗北に世論が衝撃を受けたという感じではなかったという◆ディエンビエンフー要塞の陥落は、4月26日に始まっていたジュネーブ会談の行方に大きな影響を与え、6月21日には、インドシナ休戦協定が結ばれ、17度線での停戦が実現する。ベトナム人民の大きな勝利だった◆いくさは政治の延長、政治がいくさのありようを決める。同時に、いくさのありようが政治に影響し、政治のありようを決める。予想されていたとはいえ、ディエンビエンフーでの軍事的勝利が政治を大きく動かした◆フランス軍の伝統に、傭兵=外人部隊の存在があることは知っていたが、このいくさの頃になると外人部隊の兵力は6万人を超えていたという事実を教えられて、驚かされた。そして、要塞のいくさでは、ドイツ人傭兵が最大勢力だったとは・・◆もちろん、日本自衛隊は、米英の傭兵部隊ではない。れっきとした独立国の、「専守防衛」をもっぱらとする自衛隊が、軍隊であろうはずはない。「戦闘状態」にない地域に出かけた「専守防衛」自衛隊が、いくさをするはずはない。しかしながらそれは日本側の理屈で、彼の地の人民・抵抗者・戦う人々には、米英軍連合軍の一部を成す部隊と映っているのではないか◆民主党に続いて共産党議員にも国民年金未納者。ブルータス、おまえもか!(編集長・井上吉郎)
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