編集長の毒吐録
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☆2019/8/8更新☆

長野市内での全障研大会を終えた後、5日、上田市に移動、「無言館」「俳句弾圧不忘の碑」を見て、長野県の上田市立美術館でやっている『没後100年  村山槐多展』(〜9月1日)を観てきた。旅の途中で、十分な時間がとれなかったが、「観てよかった」。

22歳の若さで亡くなった“夭折の天才詩人画家”と紹介されることの多い村山槐多(むらやまかいた、1896年〜1919)を知ったのは無言館館主の窪島誠一郎さんの京都での話しからだった。槐多が京都の寺町今出川に住み、京都府立一中の学生だったことにも興味を持った。

横山大観、芥川龍之介などの作家からも注目されたという槐多の知られざる作品が、140点以上発見された。その大半は、10代の少年時代の作品であり、それらは風景を純粋に誠実に描く姿勢が貫かれていたという。11点の油彩画は、14歳で描いた《雲湧く山》や鮮やかなガランスで描かれた《カンナ》、風景画のひとつの到達点を示す《房州風景》など、アーティストとして成長する槐多の足跡を辿ることができた。

京都の神社仏閣や近郊の山、水辺を写実的に描いたパステル画も数多く展示、中でも、龍安寺の石庭を描写したスケッチは見応えがあった。繊細さと天真爛漫を感じさせる初公開の作品群は、槐多が画家とし走りぬける前の助走ともいうべき作品だった。

槐多の才能に注目し、14歳の彼に油絵具一式を与えたのは、従兄の洋画家・山本鼎(1882年〜1946)だ。その頃描いた「雲湧く山」(初公開)は、大胆な構図といい、魅力的な絵肌といい、油彩に取り組み始めた少年の絵とは思えない。大半は少年期に描かれたもので、槐多の母校である一中の同級生らの家で所蔵されてきたという。

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