おもしろ「居住福祉」学
☆7/23更新☆

第3回 子どもの病気・安全と健康
(下)子どもの虐待、学校の安全


早川:最近、子どもの虐待が大きな問題になっています。これは、大人がさまざまなスト レスの中に置かれていて、それのはけ口が子どもに向かっているということではない でしょうか。診察室で、虐待を発見されることがありますか。

増える虐待

今井:年に数人くらいでしょうか、疑いを持つ例がありますが、この人が虐待していると は思わせないような人が虐待しているケースが多いので、一回の診察ではなかなかわ からないことが多いのです。以前は、虐待の疑いを持っても医療機関としてはその子 と親が診察に来てくれないと介入のしようがありませんから、アプローチが難しかっ たのですが、最近は小児虐待の問題が社会的にクローズアップされてきて、通告シス テムも法的に整備されてきたので、この面での対策は進歩してきたと思います。虐待 は何らかの大きな問題を抱えた家庭に発生しやすく、また、自分が虐待を受けた経験 のある人が加害者になりやすいという特徴がありますが、このことは世界共通で、日 本特有の問題ではありません。特に米国では1年間に約300万件もの小児虐待の通告 があり、うち毎年1,200人以上の子どもが虐待で死亡しているといわれており、米国 でも、そしてわが国でも、今後ますます増え続けてゆくと予想されています。
早川:虐待を受けた経験のある人が加害者になりやすいというのはよく分かります。子ど もが愛情に包まれて育つことは、人間として発達する権利だと思うのです。そのため には、日本社会の状態がもっとよくならないといけませんね。

住環境と虐待

今井:それと、先生も書かれていらっしゃいましたが、住環境により、虐待とまではいか なくても虐待に近い心理状態に置かれてしまう人がいます。狭い集合住宅で、赤ちゃ んの夜鳴きに悩むお母さんの相談にのることはとても多いですね。赤ちゃんが泣いて も周囲を気にせず対処できる住環境なら、お母さんの気持ちは半分でも楽になるでし ょうね。
早川:イギリスの住宅運動団体が「貧しい住居が子どもに与える影響」を調査したところ、 インタビューを受けたある母親は、「子どもよりも私の方が影響を受けています。狭 い部屋でイライラするので、いつも子どもを怒鳴り散らしています」と答えています。 日本でもこういう調査はやるべきですね。 また、教職員組合の報告書などを読むと、問題児、行動異常児、肥満児、不良児な どを治療する場合、子どもより母親の治療に重点をおく必要があると書かれています。 しかしお母さんにとって、子どもがストレスのはけ口になっていませんか。男子勤労 者の過労死がよく問題になりますが、生活の苦労やストレスは本当は母親の方に強く のしかかっていて、それがキッチンドリンカーや子ども、老人の虐待につながってい るのではないか、という気がしています。親の置かれている環境を変えない限り、子 どもの権利も守れないと思うのですが。

あまりにも少ない父親のかかわり

今井:まったくそのとおりですね。さらに、母親の育児不安を増強している要因の一つに 父親の関わりの欠如という問題も指摘されています。政府が公表している育児に関す る国際比較でも、日本の父親が子どもと接触する時間が極端に少ないことが指摘され ています。日本の父親は子育てに費やす労力が余りにも少なすぎます。
早川:確かに父親と良く会話をする子どもの成績は良いというデータはあります。子ども にとっては安心できるし、ストレス発散にもなるでしょう。相談もできるし。我々の 意識を変えていく必要がありますね。あまり、えらそうなことはいえませんが・・・
今井:お互いそうですね。(笑い)

“学校ウオッチャー”が大切

早川:最近、子どもが加害者になったり被害者になったりする悲惨な事件が起こっていま す。大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件もそうです。この事件の場合、私が 非常に気にしているのは、事件を契機に校門を閉じたり、入り口にカギを掛けたりカ メラをつけるなど、児童を社会から防御しようというか隔離しようとしていることで す。これは話が逆で、学校はもっと市民に開放して地域の人は誰でも学校に来れるよ うにし、ストリートウォッチャーと同じような役割を果たす学校ウオッチャーが大切 だと思うのです。それに学校は災害時の避難所に位置付けられていますが、いざとい う時どうするのですかね。1人の人間が起こした犯罪のために、学校のあり方が見失 われている気がします。
今井:文部省は数十年前から「地域に開かれた学校づくり」の方針を掲げていたようです が、実際にはこの間に「開かれてきた」という印象は無かったですね。今回の池田小 の事件をきっかけに様々な論議が巻き起こっており、その中の一つに、学校を物理的 に外界と遮断すべし、物理的遮断は必ずしも開かれた学校の概念と矛盾するものでは ない、という論議があります。確かに私などが健診で学校を訪れますと、玄関から保 健室まで行くのにノーチェックですからね。少なくとも、外部からの侵入者に対して はしかるべきチェックはあるべきだと思います。しかし、ものものしく警備するのは どうでしょうか?かえって子どもに不安を与えることになるのではないでしょうか。 早川先生のおっしゃる学校ウォッチャーというのはいいですね。

“学校の安全”の視点から見直しを

早川:それと、多様な職業や世代の人と交流が子どもには必要なのではないでしょうか。 ヨーロッパに行くと、幼稚園から小中学校の児童が大人と接触できることに力を注い でいます。スウェーデンのある児童図書館を見学した時、大人の話を聞くコーナーが あって、子どもは大喜びでした。今まで一番人気があったのは老船長の話だったそう です。高齢者の望ましい居住形態として、若者と一緒に住むノーマライゼーションの 意義が強調されていますが、私は子どもがいろいろな人と交流できる街に住むことが、 心の発達や人格の形成に必要と考えているのです。今度の事件を契機に変な方向に行 きそうで、心配しています。
今井:先生のおっしゃるとおり、「開かれた学校」というならば、学校の運営や地域の人々 との交流などをもっともっと促進するということの方が大切ですね。例えば、地域の 大工さんに来てもらって「家を建てる方法」の授業をしてもらうとか、ですね。 さて、今回の事件をきっかけに「学校の安全」という言葉が盛んに使われるように なりましたが、これを単に変質者の進入に備えるという意味だけでなく、もっと広い 意味での安全という視点で学校の見直しを進めてほしいと思っています。例えば、本 来最も安全であるべき学校のプールで、その構造的欠陥によって排水口に吸引されて 溺死した子どもが過去30年間に少なくとも50人以上いる(注)という事実がありま す。また、学校の遊具から転落して重症を負った子どもの数も相当数に上っています。 こうした事故は対策によって確実に防げるわけですから、これを放置することの方が よほど罪づくりだと思うのですが・・・。池田小の事件が常軌を逸したあまりにも特 異的な例であったが故に大きく注目されていますが、新聞記事にもならないような事 故が日々全国で進行している事態に、もっと目を向けてほしいと思います。 (注)わが国の学校のプールにおいて排水口に巻き込まれて死亡した児童生徒数は 1966年から1995年までの30年間に少なくとも52人以上にのぼるというデータがある。

(「下」終わり。第3回「子どもの病気・安全と健康」完。次回対談は8月1日更新予定で す)
『クルマ社会と子どもたち』
今井博之 著


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 対談者紹介
早川和男
1931年5月1日、奈良県生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。現在、長崎総合科学大学教授・神戸大学名誉教授。日本居住福祉学会会長など。著書に『空間価値論』(勁草書房)『住宅貧乏物語』『居住福祉』(岩波新書)『災害と居住福祉』(三五館)など。神戸市在住。
 対談者紹介
今井博之
1957年生まれ。医師。主な論文に「小児の交通事故外傷の防止―予防医学の観点からのレビュー」(1996年)、著書に『クルマ社会と子どもたち』(岩波ブックレット、1998年、杉田聡氏と共著)、訳書に『死ななくてもよい子どもたち―小児外傷防止ガイドライン』(MHウイルソン他・著、メディカ出版、1998年)。現在、吉祥院こども診療所所長。
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