おもしろ「居住福祉」学
☆7/2更新☆

第3回 子どもの病気・安全と健康

(上)“外傷制御”の考え方


早川:近年、「子どもの身体、心は歪んでいる、子どもを取り巻く環境が危険になった」と、いわれます。体格は良くなったが、身体はぐにゃぐにゃして、転んだだけで骨折したり、アレルギーや喘息に苦しむ子どもが増えているといわれています。また、いじめ、非行、引きこもりなど、精神面での問題も深刻です。子どもは危機的状況に置かれている感じがしますが、今井先生は小児科医として、最近の子どもの健康問題をどのように見ておられますか、まずお話いただければと思います。

“子どもの安全”が重要になる

今井::私は、これからは「子どもの安全」という問題がますます重要視されてゆくだろうと思っています。日本ではそれほどでもありませんが、諸外国では「子どもの安全―事故から子どもを守る」ということが非常に重要な課題の一つになっています。日本でも、毎年たくさんの子どもが事故やけがで亡くなっています。日本の0歳から20歳までの子どもたちの年間死亡者数は約8000人ですが、うち3000人は外傷、つまり事故や自殺、他殺で亡くなっています。
早川:そんなになりますか。
今井::大人と子どもを合わせた日本人全体での3大死因は、ガン、脳卒中、心臓病ですが、子どもだけでみた3大死因はかなり異なっています。先に述べた年間死者8千人中1位が外傷(事故)で約3000人、2位が小児ガンで約1000人、3位が心疾患で約600人となっています。外傷(事故)が圧倒的に多いのですね。
早川:日常生活での安全性が損なわれているということですね。それでは、乳児死亡率はどうですか。
今井::これは世界でも最も低い水準といわれています。例えば、戦後まもなくの1950年の統計では、肺炎・気管支炎で死亡する子どもは乳児だけでみても年間3万人を越えていましたが、現在、同死者数は80人と激減しています。感染症で死亡する子どもが激減したことが乳児死亡率の激減につながっています。
早川:感染症が減った要因は何ですか。
今井::生活環境の衛生水準が上がったことや栄養状態が改善したこと、ワクチンが普及したことなど、様々な要因があげられていますが、それに加えて、国民皆保険制度により、貧富の差無く誰もが高水準の医療を受けられる様になったおかげも大きいのではないでしょうか。
早川:以前、乳児死亡率と居住密度の関係が報告されていましたが、現在もそういうことはありますか。
今井::当然関係があると思いますが、残念ながら日本ではあまり調査されていないようです。例えば、イギリスの調査では、貧困層の乳児死亡率はそれ以外の地域の3倍になるという結果が出ています。
早川:どうしてそれ程も差があるのでしょうか。
今井::劣悪な居住環境、医療へのアクセスと出産前後の妊婦管理、新生児管理に貧富の差が出るのでしょうね。特に、サッチャー政権になってからの新自由主義路線で、ますます貧富の差が拡大したと言われています。

“不慮の事故”が増えている

早川:戦後、公衆衛生面での居住環境はかなり改善されたが、外傷の増大は子どもたちを取り囲む環境が危険になっているということなのですね。
今井::外傷は人の意図が働かずに起こる「不慮の事故」と自殺・他殺などの「故意の事故」の二つに分かれますが、日本では不慮の事故が大部分を占めています。また、事故が起きている場所で考えますと、子どもの住んでいる家の中と、家の周辺の環境と、2つがあります。不慮の事故のうち60%は交通事故によるもので、その内70%が自宅から半径500b内で起きています。また、家庭内の事故では溺死、転落死が多く、溺死に関しては、日本は他の先進国と比べて死亡率が著しく高くなっています。特に15歳未満に限れば、溺死の半分以上は風呂場で起こっており、これは外国には無い大きな特徴となっています。
早川:バスタブの違いによりますか。
今井::そうですね。それに外国では毎回、お湯を抜き変えます。日本のように熱い湯に浸かるという生活習慣もありませんしね。また、翌日の洗濯用の水として利用する「残し湯」の習慣も危険を増大させている一因です。
早川:そうですね。
今井::家にはさまざまなタイプの人が住んでいます。年寄りから赤ちゃんまで、健康な人から様々な障害を持った人まで。住宅設計に関しては、バリアフリーとかユニバーサルデザインとかが一般的に認知されてきていますが、小さな子どもも一緒に住んでいるという視点からの住宅作りの発想が欠けていた様に思います。
早川:住宅については、老人に対する配慮がなかったとはよくいわれますが、子どもに対しても配慮が足りないということですね。
今井::子どもは、乳児期から幼児期、学童期と、体の大きさも発達上の能力も、様々な点で大人とは違う多くのバリアがあります。例えば階段での転落を防止するとか、浴槽に転落しない風呂を設計するとか。子どもは人口の15%を占める社会の一員ですし、年間3000人以上という外傷死亡者をどのように減らしていくかは、特に少子化社会といわれるこれからの日本にとっては重要な社会問題です。

“事故”を見直す

今井::ところで、外国では“事故”という言葉を使わない方向になってきています。事故という言葉の背景には、予期し得なかったとか、もう少し注意してさえいれば、といった語感を含んでいるからです。日本でも、何か不運な出来事に遭ったとき、「事故だと思ってあきらめなさい。」という言い方をよくしますよね。
早川:そうですね。これは、「自分の注意が足りない」という考え方ですね。
今井::日本人は事故に対して、「運悪く、不幸のくじを引いた」という考えと、「注意していたら防げたのに」という2つの観念を持っています。この考え方を見直さない限り事故は減らないでしょう。現在、欧米の専門家の間では、事故という言葉を使わず、「外傷(injury)」という言葉を使い、予防という言葉を使わず、「コントロール」という言葉を使うことが通例になっています。“事故予防”ではなく、“外傷制御”という考え方です。
早川:同感ですね。“事故予防”だと「気をつけなさい」で終わってしまいますが、“外傷制御”という考え方だと、対策を考えなければいけないということになります。
今井::たとえ事故が起きてもケガをしなければそれで主な目的は果たしているのです。問題は、事故という出来事ではなく、ケガ、外傷をいかに防ぐかなのです。例えば、交通事故で考えますと、衝突事故を予防する方策もありますが、万一衝突事故が起きても子どもがチャイルドシートに座っていれば、負傷は免れることができるでしょうし、負傷したとしても、事後処理が適切であれば助かる命はたくさんあります。このように負傷を減らすためには、事故の「予防」だけではなく、事故の瞬間に防護に働く対策もあるでしょうし、事後の対策もあるのです。そういう意味ではたんある予防ではなく“制御”というの考え方が大切なのです。

“事故の起こらない環境”をつくる

早川:たしかに、事故というと、防ぎようのないアクシデントというイメージがあります。登下校の際、おとなが引率すること、旗を持って横断歩道を渡ること、“安全にしましょう”というステッカーを貼ることが交通事故防止と考えられています。それは本質的ではないということですね。家の中も同じで、赤ちゃんから老人、障害を持つ人までが住みます。“注意する”“気をつける”のではなく、“事故の起こらない環境”を作ることが必要です。
今井::休息するための家ですから、四六時中注意して、気を張りつめて生活するのは不自然です。
早川:しかし、日本では、転んでケガすれば、“注意しなさい”などと、家族からもたしなめられます。
今井::そうですね。例えば、老人や障害者などの住んでいる家では、転倒の原因の一つに敷居があげられていますね。この段差を無くす必要があるなど、バリアフリーが話題になってきました。しかし、考えてみれば、敷居なんて昔からあるのがあたりまえで、それを、以前は「敷居に注意して」事故を防ごうとしていたわけです。段差の無い設計にさえしておけば、注意しなくても事故は減っていたはずです。
子どもの外傷は増えているわけではなく、年々減少傾向にあります。そういう意味では、現在の親は以前より注意深くなっていると言えますし、子どもの生活環境や社会環境も少しずつですが、良い方に変ってきている例もあります。例えば、昔のようにガスや薪で風呂を沸かしていた時代は、湯の表面温度が非常に高温になり、そこに転落して致死的・重症の火傷を負うというケースが多くありましたが、現在は給湯設備のおかげでこのようなやけどは激減しています。居住環境の中に、安全な設計が徐々に取り入れられているということでしょうね。
早川:しかし社会全体としては、親が気をつける、ドライバーが気をつける、子ども自身が手をあげて渡る等、個人の責任にしてしまう“犠牲者症候群”が日本にはまだまだありますね。
今井::まったくその通りだと思います。病気ですら病気にかかった人の自己責任で治しなさいという論を唱える人が多くいるくらいですからね。しかし、病気が個人の責任だけで発症するのではないことは、公衆衛生学の進歩ではるか昔から明らかにされています。事故もやはり同様に個人の責任だけではなく、むしろ個人責任でないことの方が多いということがわかっています。疾病にせよ事故にせよ、その発症率は社会階層の貧富の差で大きく違っています。例えばイギリスでは、最も裕福な階層の人々と最も貧しい人々の間で、事故で死亡する発生率は5倍ほども違います。
早川:“生活習慣病”という言い方もそうです。公衆衛生や居住環境が心身を守るという考え方は後退しています。人々が安全に暮らせる社会的装置をつくるという認識が必要です。
今井::そうですね。子どもの事故に関しては、注意不足を原因にするのではなく、そういうことが起こらない居住環境にどう変えるかという視点が欠けていることが問題なのです。事故によっては、事故に遭った人に責任が全くないとは言えない場合も場合もあるでしょうが、そこに焦点を当てて物事を見ていては前進しません。過ちを犯すのが人間なのだから、過ちが起きても事故につながらないシステムでなければいけないし、ましてや子どもに責任をおしつけるわけにはいきません。
早川:気をつけろとヤイヤイ言っても、気をつけられないのが子どもですからね。

(「上」終わり。「中」は7月11日更新予定です)
『クルマ社会と子どもたち』
今井博之 著


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 対談者紹介
早川和男
1931年5月1日、奈良県生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。現在、長崎総合科学大学教授・神戸大学名誉教授。日本居住福祉学会会長など。著書に『空間価値論』(勁草書房)『住宅貧乏物語』『居住福祉』(岩波新書)『災害と居住福祉』(三五館)など。神戸市在住。
 対談者紹介
今井博之
1957年生まれ。医師。主な論文に「小児の交通事故外傷の防止―予防医学の観点からのレビュー」(1996年)、著書に『クルマ社会と子どもたち』(岩波ブックレット、1998年、杉田聡氏と共著)、訳書に『死ななくてもよい子どもたち―小児外傷防止ガイドライン』(MHウイルソン他・著、メディカ出版、1998年)。現在、吉祥院こども診療所所長。
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