千代野ノート
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☆11/15更新☆

第362回 石の上にも3年

 当ウェブマガジン編集長「毒吐録」にも何度か紹介された、京都・木屋町の立ち飲み屋で4年前の初秋、知人の児童館館長が「ウチの息子が今度お店やるの。そうだ、富田さん宅の近くかな?行ってやって」。場所を正確に聞けば、タクシーで西に6〜7分、歩いては無理な距離。私は東寺の真ん前だが、お店は同じ九条通りに面しているが、人気のない周りが工場などのマンションの一角にポツンと一軒という感じ。息子さんは右京区在住で南区のお店界隈には知人は誰も居ない、もっと言えば身も知らぬ新天地での開業。大丈夫か?との不安と、そこはせっかくの応援のお申し出でもある。こういう事には:勝手に素早く:動く性質。

 最初の客が記憶に残ろうと、オープン日時の夕方5時ピタに、祝花を妻に持たせて出かけた。カウンター8席、上がりに10席だから、20人も入れば貸切状態の店。店長が調理人で、若奥さんと近所の女性が曜日交代での仲居。つまり二人で切り盛りする店。カウンターに座り、まず出てきた突き出しに「オオッ」。普通居酒屋で最初に出てくる突き出しは、小鉢での惣菜一品だがここは六品、それもしっかり重い長皿。その贅沢感で入店前のイメージが変わった。運ばれて来る食器の一品一品が凝っている。褒めついでに言えば、料理、盛り付け、器をトータルに考える日本食の醍醐味を感じさせる腕の良い店長。料理で客を呼ぶので、その辺りの居酒屋と違い、喧騒、低俗さが無い、逆に言えば客層が店を創るという感じだ。

 実は夫婦でよく覘くのは、もう一つの理由がある。
妻の(火)、(木)のディ施設から歩5分くらいで、夕方〜夜、私に用がありディに私が迎えにいく場合、この店が夕食食堂代わりになるからだ。(品目や食器からは少し贅沢な食堂だが)

 「水商売は、3年持てばその後も自力で持つ」と言われるが、…あれから4年。
今年も開店記念日に祝花を妻に持たせた。
身も知らぬ土地で、:包丁一本:で頑張ってきた若夫婦から、還暦過ぎた私が学ぶことは大きい。

筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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