千代野ノート
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☆5/24更新☆

第48回 沖縄編
    (「阿波根さんの墓前に」その2)

 いよいよ、本部港から潮風に吹かれて30分の船旅で伊江島へ向かう。島に4台しかないというタクシーで数分、阿波根昌鴻主宰の反戦非暴力・農民学校の家「ヌチドゥタカラの家」に着いた。

 後継者の謝花悦子さんと再会(98年の京都市教組ツアーの添乗時以来だから4年ぶりになる)。謝花さんは、「まあまあ、わざわざ京都から!?」。私は、御霊前焼香させてもらった。妻も手を合わせる。

 私たちが手を合わせている間、謝花さんは、遺影の阿波根さんに語りかける。「おじいさん、わざわざ京都からきていただいたよ。ご苦労だね」。焼香の後、最後の様子を聞く。そして妻の事などに話題は移る。

 謝花さんは妻と会えて嬉しいと、事務の方に、昼食の用意をするようにとおっしゃる。妻は出された茶菓子とみかんを無邪気に食べていたが、焼香だけというこちらの気持ちもあり、いくら何でもこりゃアカンと、タクシーを外に待たしているなどの口実でその場を失礼することにした。

 ほうほうの態で港へ。伊江島発のフェリーが岸壁を離れる数分前、さっきの事務員さんが軽4輪で走ってきた。そして船に乗り込んで来るではないか。何事かと身構える。「これ、おばあ(謝花)が持っていってもらえと」と土産を手渡された(まるで映画みたい)。

 沖縄の人の人情に触れジーンときている横で、なんと、妻はその土産袋の中をみてゴソゴソ手を伸ばしていた。人情より食い気か!?

(次回は5月31日更新予定です)
 筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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