千代野ノート
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☆5/17更新☆

第47回 沖縄編
    (「阿波根さんの墓前に」その1)

 阿波根昌鴻さんが眠る伊江島へのフェリーが出ている本部港まで、恩名村のホテルからだと1時間かかる。そこへは1時間に2〜3本の路線バスしか、公共交通はない。本部港からのフェリーも1日4往復、11時発のフェリーで伊江島に渡り、13時のフェリーで戻る形になる。

 島には1時間しか滞在できない。このパターンでも、逆算するとホテルを9時には出なければならない。しかし、なにかとゆっくり目の妻の動作。案の定、9時前のホテル前発の路線バスに遅れた。

 バス停で次のバスの時刻表示を見ていたら、目の前に停まっていた小型運送の軽トラックの窓をオヤジが開け、「どこ行くの?安くしとくよ」と、にやけた顔で誘う。障害者割引含めて金額交渉、路線バス代で成立して、乗車と相成った。

 どうもこのオヤジはこのパターンで日銭を稼いでいる様子。そりゃ、車しか走らない国道58号線の恩名村で、地元風でなく路線バスを待っているのは、観光地に行く人間と相場は決まっている。彼らからすれば、バスに乗り遅れた観光客は格好のカモだ。

 乗車しても会話が手馴れている。しきりに観光目的を聞き出そうとする。こっちもうるさいから、「伊江島の阿波根昌鴻さんの焼香に、京都から来た」と言うと、さしものこのオヤジも普通の観光客ではないと感づいたか、しばらく静かになった。オヤジは「革新系」と判断したのか、今度はそういう会話に変えてきた。

 だいたい沖縄では、観光バスのガイドなどは客層を事前に理解していないと、とんでもないブーイングを見舞われることになる。ハイヤー、タクシーも同じである。だから逆にこれらの業界人は車中の短時間でも話題の変化がうまい。 

 最初このオヤジとは、本部までバス便が多く出ている名護までにしていたが、結局本部港まで世話になった。(オヤジは伊江島まで一緒に行ってもいいとは言っていたが・・)

(次回は5月24日更新予定です)
 筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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