ルナーティックな散歩道
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☆01/15更新☆

第89回

 まだ学生なのではないかと思われる店のスタッフ、しかも初めて会う人に僕の錯綜した悩みが理解されるとは到底想像出来なかった。
同僚で、結構お互いのことを理解し合えているのではないかと思われる山崎佐紀子にさえ、心底に潜んでいてしっかりとした形をともわない迷いのようなものをうまく説明出来なかったのだから。
 「うん、ありがとう・・・・・・だけど、別にこれって端的に説明出来るようなものではないから」と、僕の目の前に立っている女性スタッフに答えた。
 「はい、わかりました。私たち初対面ですしね。そんな関係の人間に大切なことが言える訳がないですよね。ごめんなさい、なにか私、出しゃばり過ぎたような気がします。ゆっくりしていってくださいね」
 人懐っこい微笑を浮かべながら、彼女は言った。
その言葉の響きには年齢に似合わない妙に大人地味た匂いがした。
「ともこちゃん、ビールおかわりくれる?」
僕の右側の向こうに座っていた男が女性スタッフに言った。
「ビールのおかわりですね。お待ちください」と言い、彼女はカウンターの下からビールを取り出し、栓を抜きビールを注文した男の方へと向かった。

過日、僕はある文芸雑誌の書評を読み、その本に深い興味をかきたてられた。書評者もその書評が掲載された文芸雑誌名も覚えていないが、本のタイトル名だけはメモしてあったから覚えていた。僕は大きな本屋に向かいその本を手に取って、内容も確かめずレジに向かった。
 本のタイトル名は「生きる哲学」で、著者は若松英輔。
2014年の3月にその独特のタイトルと文体になにか惹きつけられるものがあり、買い求め読んだ「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」(河出書房新社刊 2014年)と同じ著者であった。
 「君が悲しいとき、何があったのかと、ずけずけと理由を尋ねてくる者と、君が話し始めるのをじっと待って、君の言葉に耳を傾ける人と、君はどっちを信頼するだろう。」(若松英輔「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」河出書房新社 2014年)
 僕は、若松英輔が書いている言葉の意味がよくわかる。
僕は自分の精神疾患に関わる症状の一つひとつを聞かれるのが苦痛であった。特にその傾向は僕をよく知らない人が強く、僕はなぜそのようなことを聞いてくるのか疑問を持ちながら、不器用なさまで必死な気持ちで答えていた記憶が残っている。
 僕がしんどい時(もちろん、それは精神疾患によるしんどさで内科的な苦しさやしんどさを意味しないので、説明しにくいが・・・・・・)、多くを語らないまま僕に一言、「病院に入院してきぃ」と告げた友人の優しさがわかるし、辛い時多くの励ましの言葉を添える人を必要としたのではなく、黙ったまま伴走してくれる態度を示す人こそ望んでいた。
 別に感傷的になる訳ではないが、精神疾患を罹病することで決して短くない時間を僕は名状しがたい悲しみとともに生きてきたような気がする。
「悲しみを真に慰めるのは、悲しみを深く生きることであることを知る」(若松英輔「生きる哲学」 文春新書 2014年)と若松英輔は、妹を喪った柳宗悦の文章に触れながら解説してみせる。
 確かに、そうとも言える。悲しみや苦しみが今の僕の内実を作り上げているのだから。

 筆者紹介
北山一憲
生協に勤める。35歳の時、「肉体的、精神的な極度の過労による精神的錯乱状態が認められるとともに、強い鬱的状況にもあって」との診断を受ける。アフター5に出会う人との付き合いを大切にし、大学などでも自らの体験をもとに特別講義を行っている。
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