ここ五年ほど、わたしの本職はお年寄りのホームヘルパーでした。ここにきて、あかちゃんやヨチヨチ歩きのこどもさん、障害児の保育の仕事がぼちぼち入ってくるようになりました。
プニプニしたあかちゃんをだっこしてしあわせな気分になっています。泣かれてもかわいい!!こんな仕事が舞い込むのは孫の世話の予行練習をしなさいということなのでしょうか。そしてきょうは「いいお産」の学習会にも参加してきました。
自宅分娩に立ち会うかもしれない仕事依頼があったのです。なんだか何でも屋、便利屋になりつつあります。
先日、障害児の保育園の迎えに行きました。久しぶりの保育園のにおいです。「あそこにも障害児がいる。あ、ここにも」と障害児の姿が目につきました。障害児保育のきびしいチェックはやめとこうと思いました。こんな時はただのおばちゃんでいたいと思います。
先生たちは迎えの親たちに「お帰りなさい」と声をかけていました。わたしは「ただいま」とは言いにくいなと思いました。
無事に自宅まで送りとどけると、お母さんが「他の人に頼んだのは初めてです。送迎に限らず、これまで両親にも預けたことないのです」といいました。
わたしは「それではあかんよ。障害児はなおさらいろんな人に頼んだほうがいいですよ」と、何がなおさらなのかわからずに先輩面して言ってしまいました。
そのお母さんはもうすぐ二番目の子を出産します。わたしは自宅分娩ときいてびっくり。すごいなあとただただ感心するばかりです。
「夫も仕事で立ち会えないかもしれません。もしかしたらかよこさんにこどもを預かってもらうかもしれないし、分娩に立ち会ってもらうかも・・」というので、これは大変、こころの準備をしようと、きょうの勉強会に参加したわけです。パートナーは出張などの仕事が多いのです。
「わたしは障害児が生まれたから、そのあとは怖くて大きな病院で産んだけど、自宅で産めたらいいね」と言うと、「周りは心配して病院で産むようにいうんですけど・・・」と彼女。 すごいなあと感心しました。時代は進歩しているのですね。
その彼女が「保育園で大きい子にいじめられているのを見るととても悲しくなります」[いまの保育園がこの子に合っているのでしょうか」「かよこさんはあの保育園をどうおもいますか」と言いました。
障害児の受け入れを積極的にしている、今の保育園に通わせるために引越ししてきた彼女です。
時代は進んでいるようで、障害児の親の心配はかわらないものがあるのですね。
わたしは「こどものことよりパートナーを大切にしなさいね。わたしは失敗しましたから」と応えました。先輩面して障害児をこんなに立派に育てましたと言いそうになりますが、「らしくない」といわれたわたしがそんなこと言うのも嘘っぽいですし。
でもこれだけはおすすめ。「母親だけにしかできないことは次の子を産むことですから、じゃんじゃん産んでください。大きくなったらおもしろいですよ」 |
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筆者紹介 |
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渡辺 加代子
1955年、千葉県生まれ。ホームヘルパー。 23、21、17、11歳の4人の子どもの母親、上3人は男の子。
長男は19歳で結婚、15歳から海外生活が多く、アフリカでサッカーのプロ選手だったこともあり、現在、BMX自転車のプロ競技者。二男あふるさんは、丹波養護学校卒業後京都市内のパン屋で働く。絵描きとしてのデビューは2003年3月。三男は日本将棋連盟のプロ棋士養成所である奨励会の会員。5才のときから保育園に通えなくなり、小中高と不登校。フリースクールにたまに顔を出す。長女は小学校を4日だけ体験、フリースクールも3年ほど行ってない。引きこもりにしては穏やかで、成長もはやい。友達とは遊ぶ。思春期真っ只中。
「三人の子と年1回の海外旅行を楽しむことを目標にしているが、2回しか行けていない」と嘆きつつ、「 三男の暴れがすごかったので、いろんなことが転換してしまった。つらい体験だったけど、やり直しができてよかった。おかしな子ばかりで、まだ子育ての現役を痛感させられる」と屈託なく微笑む不思議な人。
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