P君は、まっくろに日焼けして汗臭い体で元気に帰ってきました。第一声は、笑顔で、「久しぶりやなあ」。良かった。本当によく頑張りました。
P君は帰宅するとマンガ本を買いに走り、ごろんと寝転がって読んでいました.。そしてその日から自転車には乗らなくなりました。子どもってそんなもんだなあ、P君はいい子だなあと思いました.。
きょうは愚痴をこぼしていいですか。
絵画教室に通う友人が教室にあふるを誘いました。あふるは無料の体験コースに行き、水彩画を描いて来ました。わたしが、続けて通うにはお金がかかることを話すと、「それやったら行かない」「コンサートのほうがいい」と言うので、わたしは友人に断りました。
でも、そのときの友人に言われたことばにひっかかり、日頃の子育てのしんどさがどっと押し寄せてきた感じです。こんなときは愚痴をこぼしたくなります。
お金に関してはつつましく暮らしてとんとんの生活ですが、教室に通うのならあふるのこづかいで賄えます。でも「そのくらい、出してあげたらええやんか」と言われてカチンときてしまいました。
本当に、そのくらいのお金、出してあげたらいいのです。こんなことでケチルわたしが情けなくなります。絵一枚売れて二千円の収入と比べるとなんだか割に合わないような気がして・・・。入会金一万二千円、月二回で四千円の月謝です。
「コンサートに一万円使うのなら絵画教室のほうが価値あるんやないの」。これにもカチン。
あふるが楽しみにしているコンサートと比べるなんて。価値はあふるが決めることではないでしょうか。あふるはコンサートのために働いているし、コンサートのために絵を描いているようなものなのです。この興奮なくして人生語れないというかんじなのです。
「今のクレパス画は限界なんやないの?水彩画、やらしたら?」これもカチンです。水彩画だって油絵だって、やりたいことはやらせてあげたいと思います。でもそれを日常に持ちこむのはどうしたらいいのでしょう。教室だけで体験させて済ましてしまうのでしょうか。
いま、毎日のように台所の食卓で描いているあふるの画材は、クレパスが中心です。水彩画の用意をするだけでも大変です。あふるはクレパスを用意したり片付けたりすることさえスムーズにできなくて、そのたびにわたしが声かけなければなりません。描いている途中でクレパスの巻紙をむくのもわたしです。
朝、六人分の朝食の用意と2、3個の弁当を作り、洗濯をし、あふるの止まらないおしゃべりを聞きながらの作業です。テーブルや床はクレパスのカスが散らばります。それを片付けるのもわたしです。こんな状況では家ではとても水彩画まで面倒みる気になれないのです。
だいたい、なんで絵の面倒までみることになってしまったのでしょう。子離れして施設にでも預けたいと思っていたのに・・。
あふるの出勤前の歯磨き、髭剃りもわたしがときどきしています。あふるは上手にできません。あふるのハブラシはすぐに傷んでしまいます。あふるは力の加減ができず、力まかせにこするからです。歯の内側を磨くこともむずかしいので放っておくと口臭がひどくなります。シャツも前後反対に着ていることが多いのです。
こんなあふるの世話をしながら、作品の展示、発表の段取りをしているのです。
7月21日からの東京での個展にむけて最後の追い込みをしているときだったので、余裕がなかったのかもしれません。追い込んでどうなるわけでもないのですが、東京行きを楽しみにしているあふるにつきあって、つい、はりきってしまいます。
「いい絵を描くにはもっといろんな体験をさせたり、じっくり物を見たり、勉強もさせないとあかんて先生がゆうてはったで」と友人は言います。
それはそうかもしれませんが、その段取りを誰がするのでしょう。教室の先生がどこかに連れ出してくれるわけではないでしょう。
絵の教室でなかったらすんなり行っていたかもしれません。歌やダンスの教室には行きたがっていました。楽しい体験ができ、あふるを受け入れてくれるところならどこでも良かったのです。でもそういう場がなかなかなかみつからないのも現実なのです。いままでもいろんな教室に行ったのです。
あふるのことを気遣って誘ってくれた友人のことばを素直に受け止められないわたしはひねくれているのかもしれません。なるべくあふるの相手をしてくれる人を求めているのに。逆のことをしているようです。でも今回は日頃の努力を無視されたような気がして、ムっとしてしまいました。
ここで愚痴をこぼしてスッとしようと思います。 |
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筆者紹介 |
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渡辺 加代子
1955年、千葉県生まれ。ホームヘルパー。 23、21、17、11歳の4人の子どもの母親、上3人は男の子。
長男は19歳で結婚、15歳から海外生活が多く、アフリカでサッカーのプロ選手だったこともあり、現在、BMX自転車のプロ競技者。二男あふるさんは、丹波養護学校卒業後京都市内のパン屋で働く。絵描きとしてのデビューは2003年3月。三男は日本将棋連盟のプロ棋士養成所である奨励会の会員。5才のときから保育園に通えなくなり、小中高と不登校。フリースクールにたまに顔を出す。長女は小学校を4日だけ体験、フリースクールも3年ほど行ってない。引きこもりにしては穏やかで、成長もはやい。友達とは遊ぶ。思春期真っ只中。
「三人の子と年1回の海外旅行を楽しむことを目標にしているが、2回しか行けていない」と嘆きつつ、「 三男の暴れがすごかったので、いろんなことが転換してしまった。つらい体験だったけど、やり直しができてよかった。おかしな子ばかりで、まだ子育ての現役を痛感させられる」と屈託なく微笑む不思議な人。
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