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☆6/4更新☆ 第20回 すべてか無か |
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高校時代の宮沢賢治の話が、林光さんのところまで飛んでしまいました。せっかくですから、もう一回、林光さんのうたについて書くことにします。
朝日新聞の連載をまとめた『桂あやめの艶姿ナニワ娘』(2000年、東方出版)に、国旗・国歌の法制化が問題になった時期に書かれた「3人でも反戦」というコラムがあります。 「君が代」なんか歌わんでもいいと、中学の先生がガリ刷りで教えてくれた歌。……今でも洗濯してる時とかに♪奴隷たちよー君を解放するのはだれだー、なんて口をついて出る。国歌が法律で決まれば、先生たちにもそんな自由はなくなるのかな……。 端的な例を東京都に見るように、心配は現実のものになってしまったのですが、ここでふれられているのが、ブレヒトの戯曲『コミューンの日々』で歌われる「すべてか無か」です。 すべてか無か
ぼくがこの歌と出会ったのは、1970年代後半、同志社大学のうたごえサークル「むぎ」の合唱でした。おそらく「むぎ」が参考にしたのは、三多摩青年合唱団の演奏だったのではないでしょうか。 1977年にリリースされた三多摩青年合唱団のアルバム『自由の木』に、「はじめて出会った、労働者の合唱団と、ひとりの作曲家が、短期間の、だが徹底した協働作業から、どれだけのことをひきだせるかという、試みだった」と、林光が書いています。 『自由の木』は、当時のうたごえ運動のうみだした貴重な果実だと思います。この歌をめぐって「武装闘争を支持するのか」といった議論もありましたが、ぼくはこの曲が大好きです。それも、最初から全力投球のストレートな合唱でうたわれるのが。 |
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