〈いつまでも降り続く雪〉
下宿の住所は、Vicolo cattani となっている。このVicolo とは、辞書によると小路、路地などと記してある(注1)。つまり市街地で、1本か2本中に入った小さな通りのことである。
この日最初に撮った写真がこれである。小路に車のわだちの跡が残っている、どちらかと言えば降り始めの朝の風景である。街灯は道路中央上に張られた線から電気をとる。
写真でも既にたわんでいるが、別のところでは1日中降り続いた雪のために、地上近くまで垂れ下がり防犯委員らしき人々が監視を強めていた。

12〜14世紀に立てられ、4人の高名な画家の絵画があるという教会。土曜日の雪の中で、教会はまだひっそりとしていた。何台かの車の駐車風景が見られる。
前回1999年の市長選挙の結果、街区に居住する者と商業者にはステッカーが渡され、駐車が可能になった。しかし、渋滞と排ガスはひどくなり、今回の政策争点の1つになっている。

写真の左には惣菜屋、右には新聞雑誌販売店や庶民的なレストランが並ぶ通りである。降り続く雪と僅かな風、気温は低い。それに抗して歩く人物2人。
この写真をみると、風にふかれて1葉、1葉が落とされていく、その昔の子どもの頃に本でみたヨーロッパの冬の風景を思い出す。
〈雪の中で人々は動く〉
今日は土曜市の日である。こんな日だからまさか市(いち)はやっていないだろう、と思いながらも、近くの会場となる「8月8日広場」へ向かった。確かに大部分はやっている気配は無かった。台数は少ないが、僅かに自動車の跡はある。
しかしどっこい、こんな日でもやっている店が数軒あった。全商品を並べることはできないが、すぐに店仕舞をする気配でもない。少しでも売れればの思いが、来るあてのない客を待っているのであろう。5ユーロ(約900円)の値札だけが妙に色づいて見えた。

インディペンデンス通りを大型の除雪車が通る。おそらく毎年のことであろうから、こうした重機もしかるべき所に備え付けられているのであろう。大通りには大型の重機が、小さい道路には小型の重機が動いていた。
市役所(コムーネ)の中庭や小路では、"Komatsu" と書かれた重機がよく活躍していた。こうして歩・車道はすぐに除雪されて歩きやすい環境が保たれていた。
それにしても、臨時応急の人材はどのように措置しているのか、興味のわくところである。

道路は大型重機で除雪され、何とか動ける。しかし、いつもに比べ時間は不安定である。バスの到着を待って、大勢の市民が停留所で立つ。ようやく来たということで、バスに乗り込む。着膨れた体が、バスをいっそうぎゅうぎゅう詰にさせる。
〈2つの塔とマッジョーレ広場の周辺〉
ボローニャ2つの塔は、これまでも折にふれて報告してきた。夏の盛りの真っ青な空を背景とする塔(第3回)、秋の入口に立つ塔(第13回)、クリスマスのイルミネーションで飾られた塔(23回)、ザンボー二通りにあるボローニャ大学への起点で紹介した冬の塔(25回)などである。
今回はこれに加え、雪にかすむ塔の姿である。かつては権勢の象徴として、ボローニャには無数の塔があったと聞く。それがいまでは多くは取り残され、完全にその高さを残すアシネッリ(右)の塔と、傾きがひどくなり途中で切断されたガリセンダ(左)の塔が有名である。
まさにボローニャの中心に位置し、その存在を誇っている。

 |
ボローニャの都市形成は、歴史的市街地(チェントロ)から始まった。更にその中心に、マッジョーレ広場がある。広場に面して、サン・ペテロニオ聖堂があり、それと向きあう形でポデスタ王宮殿がある。
すでに第25回でも紹介したように、王宮殿は神聖ローマ帝国の行政長官に代えて市民が首長を選出し自由都市ボローニャとなった由緒ある建物である。そして王宮殿と図書館サラ・ボルサの間にネプチューン像がある。海神ネプチューン、海の精霊セイレーン、それにイルカに乗った子どもたちの組合わさった16世紀の彫像と噴水である(注2)。
広場では、すでに大型重機により除雪作業が進んでいた。広場で様々な行事が行われることを紹介してきた。片づけの手際のよさは、なんと言っても広場を最重要視するボローニャ市民の心意気と見てとった。
時間の経過とともに、足元は悪くなる。しかし溶けるのを待つ、という姿勢ではないことは確かだ。これこそ長年にわたる雪への対策であろう。 |
 |
 |
 |
〈市庁舎と街の風景〉
市庁舎2階には、モランディ美術館がある。雪の日も人は少ないが参観者があった。その2階窓から、下を望んだ景色である。ポルチコのアーチ状空間を通して、マッジョーレ広場との行き来が見える。レンガ色の壁を間にして、明と暗のコントラストが面白い風景となっていた。

その市庁舎の上層階から窓外を眺めると、屋根に積もった雪の風景があった。降り続く雪、しっかりとレンガ色の壁で囲われた建物が並ぶ。
この近辺は公共建築としての用途であろうが、周りの一般家庭の中ではどのような雪の日の営みが行われているのであろう。そう思いながらシャッターを切った。

雪の日同じように写真をとっている人物と出会った。そのボローニャ人の彼、曰く。サン・ステーファノ、あそこは撮るべきだ、と教えてくれた。それがこれである。
歴史の古い地域であり、由緒ある教会が幾つか連続的に繋がっている教会群である。手前の右と左の2人は雪合戦の雪を拾おうとしているところ。なお、以前ふれたR・プロ−ディEU委員長の住まいはこの近くである。

第7回、ボローニャの夏・点描で、「額縁に納まる川の景色」として紹介した場面である。夏の明るさと緑が映えた景色に比べ、葉の落ちた小枝に霧氷が張り付き、雪の粉が舞う対照的な姿に、明らかな季節の移ろいを感じた。
(注1)郡史郎・池田廉編「ポケット プログレッシブ 伊和・和伊辞典」(2001)小学館p.718。
(注2)K&Bパブリッシャーズ「個人旅行イタリア」(2002)昭文社p.260。