葦(よし)の髄から
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第7回 むかし、「がんばろう」の時代があった
 5月30日の新聞の社会面にひとりの女性の死亡記事が載っていた。森田ヤエ子さん、76歳。労働運動歌「がんばろう」を作詞した人だ。といっても、今の現役世代でこの歌を知っている人は極めて少数だろう。

かつて労働運動が活気に満ちていた時代、この歌は職場で、街頭デモで必ず登場した、いわば労働運動歌の定番だった。私たち世代にとってなにがしかの思いが残る歌ではなかったか。

♪がんばろう 突き上げる空に くろがねの男の こぶしがある

燃え上がる女の こぶしがある 闘いはこれから 闘いは今から♪

なんとも力強い歌である。この歌は1960年の三井三池炭坑の労働争議から誕生した。

石炭から石油へのエネルギー転換の時代を迎え、会社側が4600人の首切り案を示したのに対し、当時、労働運動の最強といわれた炭労、中でもその中核的存在だった三池労組は真っ向から反対闘争に立ち上がった。

安保闘争に連動して「総資本と総労働の対決」といわれ、各地から支援の労組員が駆けつける一方、会社側は労組側を切り崩し新労組を結成、また暴力団を雇い、労組員1人が刺殺されるなど、労働運動最大の闘いとなり、政治的にも重要な意味を持つ争議だった。

当時、炭坑の購買部で働いていた森田さんは仲間の意気盛んな闘いに触発されて、この歌を誕生させた。いかにも炭坑労働者を彷彿されるエネルギーと明るさがあふれており、三池闘争では男に伍して重要な役割を果たした女が男と同等に登場するところに時代の先見性と斬新さがあった。

歌は三池ばかりでなく、全国の労組にひろがり、さらには安保闘争の場でも盛んに歌われた。「燃え上がる女の・・・」はもともとは「燃え尽くす女の・・・」だった、という説があった。それほど闘いにかける女の意気が込められたのだった。

安保が終焉するのに歩調を合わせるように、282日におよぶ歴史的な大争議は、労働側の敗北で終結した。以後、日本の労働運動はじわじわと変質し、退潮を余儀なくさせられていく。三池炭坑は97年3月、124年の歴史に幕を閉じた。

労働運動の変質と退潮はこれだけではすまない。

戦後営々として培ってきた民主主義をも危うくしている。「有事」「軍事」「海外派兵」が公然といわれ、憲法改正が政治日程に登ろうとしている。労働者が解雇というリストラの波に呑み込まれても何もできない労働運動。

森田さんはこの時代状況にどんなことを思いながらこの世におさらばしたのだろう。

筆者紹介
落合健二
元朝日新聞記者。朝日新聞労組で役員などを務める。自称「社会党左派」。琵琶湖岸に居を構え、土と格闘している。
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