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『化学兵器犯罪』

常石敬一 著

化学兵器と今日の問題との接点は遺棄された毒ガスである。

本書の導入部は、昨(2003)年4月茨城県の神栖(かみす)町で起こった1歳7ヶ月の男児(歩けず言葉を発しない)を含む数十人の健康被害の事件から始まる。

その健康障害は、汚染された井戸水に含まれていたヒ素に起因したもので、それは毒ガスが地中で分解してその成分が地下水を汚染したものと考えられた。毒ガスとは旧日本軍が使った化学兵器(くしゃみ剤)であった。

同じ2003年8月4日中国のチチハルでも、工事現場からマスタードガスの入ったドラム缶が掘り出され、接触した44人が被害にあい、1人が死亡した。ここチチハルは、旧「満州国」時代、化学兵器を専門に研究する516部隊があったところだ。

これらは、日本と中国で同じ頃に起こった遺棄化学兵器による被害であった。中国はもちろん日本でもこれまで、同様の事件は起こっていた。

2002年9月には、神奈川県寒川の道路工事現場で、異臭を伴ったビール瓶数本が割れた状態で発見された。このあたりは戦中、相模海軍工廠があったところだ。イベリット(マスタードガス)とクロロアセトフェノンの2種類の毒物が証明され、被害はイベリットによるものだった。

屈斜路湖に毒ガスが投棄されていることが分かったのは、敗戦後頼まれて捨てた人が弟子屈(てしかが)町役場に届け出たためだ。1995年5月に湖の底から老朽化した毒ガス弾26個が引き揚げられた。そのうち2個には糜爛剤が詰まっていた(きい爆弾)。それ以外にも数多くの事件が起こっている。

そもそも化学兵器は生物兵器と同様に1925年のジュネーブ議定書で使用を禁じられていた。しかし、各国ともその研究を中止せず、日本も例外ではなかった。

中国は、日本軍の毒ガス弾の使用回数は1312件、中国軍の死傷者3万6968人、死者は2086人という報告をしている。しかも、敗戦時にそれらは不法に投棄された。

1997年に発効した化学兵器禁止条約(CWC)は、当事国(それを生産および遺棄した国)による無毒化処理を義務づけている。中国はCWCが発効するまで、独自で遺棄毒ガスの処理を行なってきた。

最初は1952年から58年まで、吉林省敦化(とんか)市で見つかった大量の毒ガス弾200万発を埋設したとされている。その後、1959年から翌年にかけて、吉林省源市梅河口で、毒ガス20万発の処理を行なったとある。

いったい、中国にはどれほどの毒ガス弾が遺棄されているのか。

中国側の資料だと200万個存在するとされ、日本側の統計でも70万前後とされている。著者の試算では、180万発弱が行方しれずで、うち中国には153万発程度残っていると見積もっている。日本はそれの撤去と無毒化処理を2007年までにやり遂げる義務を負っているのだ。

チチハルの毒ガスはマスタードガスだったが、茨城県神栖町のはあか筒(くしゃみ剤)で、CWCの禁止毒物リストには載っていない。しかし、長年のうちに変化してジフェニルアルシンという酸になって人体に被害をもたらすものに変わっていた。

また、イベリットとちがってルイサイトにはヒ素が含まれており、無害化と同時にヒ素の回収も必要となる。日本陸軍はイベリットとルイサイトを混ぜて使っていたから、毒ガス兵器を製造していた広島県大久野島で無毒化処理をしたといっても将来、ジフェニルアルシンやヒ素になって被害を起こす可能性があるということだ。

化学兵器にかかわって山積みされている問題とは別に、著者は結論として、化学兵器を「貧者の核兵器」と呼ぶのは誤りだということがわかったという。

毒ガスで成果を上げるには相当数のミサイルを必要とし、広島型原爆1個の放射能に対応するだけでもサリンミサイル23発が必要となる。とするとコストも相当高くつく。製造は確かに安価だが、効果を上げるとするとミサイルが必要で多額のコストを要することになる。「貧者の核兵器」というのは核保有国の欺瞞だと著者は言っている。

『化学兵器犯罪』
『化学兵器犯罪』
常石敬一 著
講談社現代新書
発行 2003年12月
本体価格 740円+税



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。

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