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『<戦争責任>とは何か』
木佐芳男 著
 本書は、日本国民の戦後責任を考える上で私たちの盲点を突いた示唆に富む本である。

 私たちは、日本における戦後責任のとり方の不充分さを、ドイツとの対比においてよく語ってきた。そのとき、引き合いに出されたのが、1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説であった。しかし、ドイツは本当にみずからの戦争責任を認め謝罪してきたのか?ドイツ特派員である新聞記者として疑問をもった著者は、フリーになった後の1997年、ドイツでの「国防軍の犯罪」展示が大騒ぎになったのを機会に、関係者を取材して調査を行い、騒動の実情を知る中で長年の疑問に答えをだすことができた。 

 第二次世界大戦におけるドイツの戦争犯罪を問うたニュルンベルグ裁判は、
 A、平和に対する罪、
 B、通例の戦争犯罪
 C、人道に対する罪の三つの訴因にもとづいて行われた。
ナチスによるホロコーストはこの訴因Cに相当する。ドイツ国民が熱心だったのは、このCだけであり、AとBについてはほとんど語られることがなかった。

 たとえば、侵略戦争を行なったのはナチス親衛隊だけではなく、ドイツ国防軍も同一歩調をとっていた。国防軍は、ポーランドやソ連で虐殺を行ない、日本軍とよく似た慰安婦制度もあった。また、ナチスといわれるものはナチス党員に限られるものではなく、国防軍も多くの国民もナチス的思想を持っていたはずだ。その証拠は、すでに『わが闘争』でユダヤ人の抹殺を宣言していたヒトラー率いるナチスを選挙で支持したのが、普通の国民だったことでもわかる。しかし、これらのことをドイツ国民は問題にしなかった。

 ホロコーストの犯罪者としてのナチスを国防軍と区別することは、クリーンな多くのドイツ国民を演出することには役立ったが、戦争責任を真摯に反省することにはわざわいしたといえる。つまり、ナチスをスケープゴートにして、みずからの戦争責任への反省をあいまいにしたのだ。ヴァイツゼッカー大統領の演説は「5月8日(ドイツ降伏の日)は解放の日でした。」と語りはじめている。多くのよいドイツ人はこの日、悪いナチスから解放されたというのであろう。ヴァイツゼッカー自身も元国防軍将校であり、戦後、ナチス党員だった父の弁護を務めてもいるが、そのことについては大統領も語らなかったし国民も問題にしなかった。

 もうお分かりだろう。ドイツ国民がヴァイツゼッカー大統領の演説に歓喜して「ナチスの追及」に熱心なのは、自分たちをナチスの被害者とすることでみずからの罪を忘れるためだったのだ。悪いナチスと対比させて、それ以外の多くの国民はよいドイツ人だったとするこのトリックには、戦後の冷戦構造の中で、旧敵国ドイツを味方につける必要にかられた西側諸国の事情も後押ししていた。結局、ドイツの過去は清算されていなかったのだ。

 この書から汲み出す教訓は、ドイツだって日本と似たり寄ったりだということでは決してなく、人間は自分が「生きるためにいかに嘘をつくか」ということだろうと思う。しかし、その無意識の論理を許してしまうことは、大きな犠牲を払った歴史の誤りをまた繰り返すことになるということを私たちは心しておかなければならない。
『<戦争責任>とは何か』
木佐芳男著
中公新書
本体価格780円
2001年7月発行



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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