
| 2012/1/17 | やはり書いておきた17年前の今日のこと。その二日前に私は神戸にいました。この街は忙しい日常でも少しの時間、旅気分を味合わせてくれる近場の便利な街でした。 友人との買い物、安くておしゃれなものの宝庫でした。とりわけ靴は有名。ガードしたのお店で掘り出し物を見つけてうれしがっていました。 二日後、朝京都も揺れました。相談室をはじめたばかりで、出かけた事務所の玄関に置いた花瓶は粉々に。ラジオしかなかったが、時間が立つごとになくなった方の人数が増えていく。確か始め60人ぐらいだった。それがあっというのに百人単位に。 これはテレビが必要と自転車で寺町の電気屋街に出かけてびっくりしました。店頭にあるテレビがどれも炎で真っ赤。小さいテレビを自転車の荷台に載せて帰ってきました。 初めの頃女は支援にいけないと言われていました。トイレができないからです。しばらくしてお許しが出て、長く歩いて神戸市内の障害者の支援センターにつきました。避難所を回って困っている人がいないか聞いたり、できることは限られていましたが、それでも動きました。 そしてわかったことは、障害者支援は日常の支援が大切、をして、支援はよく知っている人にしてもらいたいこと。外からの支援は限界があることなど、当たり前のようでも、実際はできていなかったこと。 そして今もまだできていないこと。そして、政治の場では、障害者自立支援法改正ほうで新法のお茶を濁そうとの動きが急だということ。全国で国会議員まわりが実施されました。素早い動きで、パスをストップしなければ。こんな日に弱者を大切にできないなんて許せない。いけぞえもと |