2014/1/17 | 19年前の1月17日をどのように過ごしていたか、鮮明に思い出すことができます。近畿に住む方はご自身の人生の中でも記憶にとどまっている日ではないでしょうか。 私は数日前に神戸にいてた。あの店が、あの駅が、あの道が、あの施設が、あの人がと、出会ってから時間が経っていないので、数週間して訪れた現場の惨状に、あまりにも記憶が正確なので、その違いに驚くばかりでした。 開設したばかりのらく相談室にはテレビがなく、近くの寺町電気屋街に自転車で買いに行きました。道は燃え盛る神戸の町の映像を流すテレビが並んでいました。 あれからの月日は長い時間だったのに、そう感じないのは私だけだろうか。神戸に行くたびにあのときの景色がよみがえり、たまに訪れる私と多分暮らしている人たちとは違う感覚ではないかと思う。 町並みはそうであっても、人のつながりは違うように感じる。亡くなった方への思いは日常とは別の次元。命はつながって生きているように感じる。だから忘れてはいけないし、伝えなくてはいけないし、何を大切にしなくてはいけないのかを検証し続けなくてはいけないのだと思う。 子どもの貧困を考える実行委員会で阪神大震災のとき子どもだった方の話を聞いた。避難所は子どもにとって怖いところだったこと。子どもは大人の顔色を見ながら暮らしていたこと。子どもたちの気持ちを考えると心が痛い。 記憶をつなぎ、忘れず、検証する役割はやはり大人や社会にある。いつも新しい一歩を重ねて歴史を作る、どんな一歩を19年間で作ったのだろうか?今からでも遅くないのではと思う、大切な一歩を作りたい。(いけぞえもと) |