震災復興のスローガンなのか、やたらと「がんばれ!日本」コールが聞こえてくる。聞くたびごとに、その押しつけがましさに辟易している。また、最近買った本にも「がんばろう 東北」などと刷り込んだ帯がついていた。「がんばれ」の呼びかけが成り立つのは、その人が「がんばろうとしているとき」なのに、人の置かれた状況におかまいなく「がんばれ」では、「がんばりようがない」状態にある人に対する侮辱とさえ感じる。 そもそも人が「がんばろう」と思うのは、生活に一定の見通しが立ったときである。主たる働き手や家族を喪い、頼れる親族もなく、家も職場もなくして途方にくれている人に、この呼びかけは虚しい。震災復興の主眼は、人に最低限の生きる術を提供することではないのか。東電救済の補正予算は組んでも、人の暮らしの復興は依然として後回しである。そんな気持ちでいるとき、次の詩を読み同感したので、以下紹介したい。
がんばれ!日本の民衆たちよ!
街を歩いていても電車に乗ってもテレビでも むやみやたらに「がんばれ!」とさけんでいる。 だれがだれに何のために正体をかくしたまま 「がんばれ!がんばれ!」といっているのか。
これでは戦時中の戦意高揚の宣伝ではないか。 夜空の高みから民衆を見くだすすがたではないか。 原爆の恐怖を原子力の平和利用にすりかえて 国内に54基も原発をつくって儲けた奴は誰か。
使用済み核燃料の捨て場も処理方法もない。 生命を殺し空と海と自然を汚しながら、まだ 原爆とは違って原発は絶対安全だと言い張る そんな手合いが列島にとぐろを巻いている。
「がんばれ」の語源は「我を張れ」だという。 自分の意思と要求を実現しようということだ。 核兵器をなくせ!原発はすべて廃棄しろ! また今年もヒロシマ・ナガサキの8月がくる。
(ともろぎ ゆきお)
出所は、全国老後保障地域団体連絡会機関紙「高齢期とくらし」2011年7月20日。
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