千代野ノート
前のページへ戻る 次のページへ進む

☆08/15更新☆

第260回 ベトナムのブー君

 ベトナムツアーの現地ガイドでいつもお世話になるブー君が、大阪の友人の招待で来日すると聞き、京都でも歓迎会をと2005年、2006年連続でブー君のガイドが好評だった京都高齢者運動連絡会の皆さんと企画した。「企画」したと簡単に言うが、そうそうこんな話にはならない。つまり海外ツアーで出会い仲良くなって、「日本に来ることがあったら連絡して」と言って別れるが、だいたい口先だけで終わるケースが多い。それ以上の何かがないと…。

 「何か」とは?
現地ガイドとしての語学力は勿論だが、日本事情への熱心な研究心、例えばIT時代日々の日本の出来事をガイドの話題に生かすセンス、何より日本の事を貪欲に知り学び、母国ベトナムの発展に生かしたいとする若者の純粋な心意気を感じることだろう。
 
 実はそれ以上に、ブー君には我々の「情」をくすぐることがあった。
彼の婚約者は日本人で、東京に住む介護士。しかし彼女の両親の承諾が出ず、二人はメール交換の日々とは数年前から聞いていた。そのころ私などは無責任に「両親がベトナムの実情を知ろうしないなら、彼女を強引にベトナムに連れてこい」などと。果たして彼はそれを実行したと今春聞いた。そして彼女は今、ハノイで「越後のBaちゃんベトナムに行く」(小松みゆき著 日本でも各紙各局で報道)のその88歳の「Baちゃん」の介護をしていると言う。
さて歓迎会、彼への思いからツアー参加者の大半の18名が集う。そこで両手一杯のブー君の紙袋から出てきたのは、全員への土産品。「エエッ、これ全部わざわざベトナムから持ってきたのか?」と聞くと、「ハイ」と笑う。その律儀さに全員感激。こちらからの「温故知新」のプレゼントの扇子を左手に、「何故?」と聞くと、「左団扇」と笑う。どこまでも日本通。ベトナムと日本の若者の未来に当然「会」は盛り上がる。そして誰からとなく「ブー君の結婚式に行こう、我々が仲人しよう」「ベトナムの農村の結婚式を体験しよう」などと。

娘さんと会いたいと言うので、西京極アクアリーナで
「温故知新」を左団扇で

 酔いがさめた翌朝には、早速ツアー企画書を求めるTELが。
国籍年齢問わず、誠実さは人を動かし、地球規模の交流を作り出す…か。

 筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTION INC