千代野ノート
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☆11/11更新☆

第192回 アウシュヴィッツ平和博物館(そのA平和の風)

 旅の目的は、@博物館の見学 A生存者の講演 B「悪魔の飽食」から「アウシュヴィッツへ」。

 特にB。全国縦断コンサートが10数回、中国公演2回の「悪魔の飽食公演」が2007年にアウシュヴィュッツの地での公演準備が進みだしている中、日本にある博物館とで何か関連企画が出来ないかというのが参加者の共通の思いだった。
 
 来年は京都公演(1996年)の10周年。その取組中、私が事務局、妻がその合唱団員。そしてその準備中妻が倒れた。だから来年は妻が倒れて10年目にもあたる。

 「悪魔の飽食」は我が夫婦にとってもターニングポイントになった企画でもあり、今回同行の参加者はそのことを熟知した仲間でもあった。

 来年の縦断コンサートは静岡だが、せっかく知った白河の博物館。まずは現地を見るべしということだった。前号で紹介した如くの牧場風の広大な土地で、東北の夏の夜空の下の野外コンサートも…など私案は勝手に動く。
 
 さて訪問当日、白河市(人口5万人)での夕方から生存者講演会には会場一杯に500人(後日聞けば連日講演会の福島、合津若松でも毎回400〜500人の参加)。白河のアウシュヴィッツ平和博物館が白河だけでなく広く福島全県から注目されている事実は驚嘆に値する。
 
講演会の後70人ばかりで生存者歓迎懇親会。ここで京都からの13人はテーブルの一角を占めバラエティーな贈り物の数々だけでなく、酒(藤田氏の白河醸造の地酒。ワイン)の勢いもありついに、舞台で「2007年、『悪魔の飽食』をアウシュヴィッツで!」と訴えた。それは通訳を通じて即生存者の耳に。
 
さあ、京都からの風が白河からポーランドまで届くか ?!

 筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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