千代野ノート
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☆11/04更新☆

第191回 アウシュヴィッツ平和博物館(その@男たちの熱情)

 アウシュヴィッツ平和博物館を、妻を伴って友人たちと訪れた。

 とは言っても、何もポーランドへではない。福島県白河にこの施設はある。かく言う私も昨年その存在を知った。今回、アウシュヴィッツノ生存者がポーランドから来日講演されるということと、何よりこの博物館建設に至るご苦労を直接当事者から聞きたいと思っての訪問だった。
 
 館は東北新幹線・新白河駅から車で10分の19,000平方メートルの田畑の一角に190平方メートルの江戸時代中期の民家風に作られている。と、簡単に紹介するのだがここがミソ。
 
 22年前ワルシャワの本屋で偶然アウシュヴィッツの事を知った青木進々氏(故人)がその後日本各地で110回を越える巡回展を開催する中で、常設館が2000年栃木県の建設された。しかし土地提供者の都合で閉館。以後全国から閉館を惜しむ多数の声と申出の中から現在の地に館が「移転」することになった。
 
 土地提供者は地元有力酒造メーカーの藤田龍文氏。上述の広大な土地を無償貸与。そして建設を買ってでたのが地元棟梁の塚田一敏氏始めとする建築のプロたち。こうして土地と建物が青木氏の熱い思いに絆されて確保されていく。そして2003年4月、館は見事に白河にオープンするが、それを見ることもなく青木氏は2002年7月がんで急逝。
 
 館は現在NPO法人で200人のボランティアと館の一角に居住する館長の小渕真理さんを中心に運営されている。館の周りには近所の農家の方々が四季おりおりの草花を育て来館者の目を楽しませている。
 
 またJR労組の計らいで、敷地にはさながら現地収容所「死の門」に通じる線路風に本物の線路と貨車が2台あり、その車内も第二展示場となっている。
 
 我々が訪れた日は「わざわざ京都から13人も」ということでこれも近所のご婦人たちが赤飯を用意していただいた。このように館は地元の人々にすっかり溶け込んでいるのが良くわかった。
 
京都には立命館大学国際平和ミュージアムなど、相応の資金力で建てられた平和博物館があり、我々は得てして施設や展示内容だけに目を奪われやすいが、22年前、一人の男の熱い思いが、思いを繋ぎ、今こうしてその地に根付き始めている様、ここに至った人間たちの熱情に驚嘆した。

 アウシュヴィッツ平和博物館
 http://www.am-i.org/index2.htm

 筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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