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第5章「そして現在」

 その5 おわりに
 昨年5月以来、長い間連載させていただいた。

今、思い起こせば第1章の「嵐の一週間」に全て集約されてしまうような気もする。通ってきた道は、そこを頂点にした山並みだったようだ。最初は地図もなく、暗い夜道に不安感をもってさまようだけだったが、途中から少しは光も差しはじめてきて、何とか道筋をたどれるようにもなってきただろうか?もちろんこの先も旅は続き、どうなるかわからないのだが。

その中には、いま読み返すと、いろいろな要素がつまっていたように思う。単に「BPD」という病気の家族としての体験記でもないし、声高に何かを告発しようというつもりもなかった。ただあったことを述べさせていただき、時には勝手な推論まで載せさせていただいたが、そうしながら自分自身を客観視し整理してきたように思う。

世の中にはもっといろいろな体験をされている方もいるだろう。精神病院の閉鎖病棟を少し覗いただけでもその一端を感じさせられた。また障害や病気などで苦しみ、難病を患いながら命がけの闘病を続けておられる方も多いことだろう。それに比して、実際には「命」がかかることが少なかったのだから、比較的ましな「体験」と思われるかもしれない。

確かにそうかもしれない。しかし、「位置付けがされない」ことへの不安感が、何にもまして苦しく感じられることもあるのも事実だ。私も実は、すでに両親をそれぞれ違う「難病」で先に見送ってきているし、残された祖母の「老人介護」も経験してきている。もちろんそれぞれの看護を通じて考えさせられることはあったし、現状の医療制度の限界も感じさせられた。しかし、少なくとも「位置付けられない」ことでの不安感はなかったように思う。この微妙な感覚は、なかなか説明が難しい。

また少年犯罪などについても、こういう体験をしなければ、おそらく2章で述べたような見方をしなかっただろうと思う。最近、何かと精神障害者関連の事件がうんぬんされることが増えたようだ。特に例の大阪の池田小学校事件以来、偏見や糾弾が高まっているようにも思える。そのことにも複雑な感情を抱かざるを得ない。

しかし一方で、最近、特別の専門病棟をもった病院もできてきたそうだし、精神障害者の作業所やグループホームなども増えてきて、関係本がベストセラーになったりもして、認知も高まってきているようにも思える。これなどは良い方面での変化かもしれない。

「BPD」を含む「人格障害」についても、その後いろいろ勉強させていただいたこともある。コフートやカーンバーグというアメリカのその方面の権威の理論や治療についても概略的には知ることもできた。やはり専門家は数多くのケースなどから、系統だった理論を打ち立てているし、たった一人の息子を見てきた私とは出発点が違うのは当たり前だが、一方でまだまだ確立した理論もないし、根本的に「環境論」か「素質論」かという原因も決着がついていないことも知った。

参考にしたアメリカの「DSMーW」についても、かなりアメリカの精神医学会の現状を反映させたものであり、一面的に権威化することの危険性を説く人もいるようだ。

ともあれ、今も私たちの「旅路」は続いている。「喉元を過ぎればー」のようなところもあるのは事実だが、そう思っているとまたいつアクシデントが起こるかわからないし、またそのたびに、あたふたと対応していくのだろう。

こんな体験記が何かの参考になったかどうかはわからないが、期せずして、何かを考えていただくきっかけになれば、それはそれで幸いである。

連載をゆるしていただいた編集部の方々、拙文を読んでいただいた皆さんに感謝して、おわりの言葉とさせていただこうと思う。(終了)
 筆者紹介
笹屋学
自営業。精神障害を受けた子どもに関わる中で、福祉・医療・人間存在に深く思いをはせるようになった。人びとに癒しを伝えること、困難に正面から向き合うことに力を注ぐ。
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