続・シカちゃんの徒然なるままに
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☆08/15更新☆
 
第262回 移動支援の申請

 私と妻は身障手帳の二種二級とされています。十年ほど前になりますが、手帳の等級を変更し、現在の正確な状態を知りたいと思い、医師の診断を受けようと思いました。しかし、医師からは、当時の医師ないし病院の判定が必要だと話されました。

 しかし、既に五十年前後前のこと、今は、不明な状況でした。変更をしようと思った当時の社会状況は、自動車を運転ないし、同乗する障害者に駐車の除外証明書の申請が認められていました。それを、障害を持たない人々に転売する等の違反行為など、又、障害者年金の不法取得事件が全国的に相次ぎ、それらを得るにも医師の診断書が必要となりました。そのような違法行為が全国的蔓延をしていました。例えば、年金取得者本人が他界していても、その家族らが、長年に渡り、死亡者の年金を取得し続けていたということが明らかになりました。ゆえに、国としては、そういったものの診断書を出した医師に開業停止・医師免許の剥奪の罰則を出していました。
 そんな状況下に私が、身障手帳の等級の変更を申し出た事で、どの医院の医師も引け腰で診断書を出すことにしり込みをされていました。

 そこで、かかっている診療所の所長にお願いに行きました。ところが、先ず、最初に言われたことが、「金が欲しいのか」だった。とりあえず、書いては貰えたが、何かばかばかしくなって、申請を辞めてしまいました。次に、電動車椅子に乗るようになったので、ガイドヘルパー、(移動支援)の枠が何とかならないかと、山科区役所に出向きましたが、窓口の女性に「駄目ですね〜」との答えが帰って来ました。それから数年が過ぎ、昨年あたりから、年齢も70歳を迎えて、内面からも妻からも、不安な言葉も出るようになってきました。今住むマンションから、出かけるには、信号機のない横断歩道を渡るか、田んぼの中を通り抜ける幅が1メートルもない程度の道、田舎で言えば完全に田んぼのあぜ道しかない。それも、曲がりくねって、飼い犬の散歩をされる人が犬の糞が巻き散らかされているからそれを避けて通るのは結構難儀な事となる。一般的に言えば、「ワンちゃんには責任がない」となるんだが、こちらは田んぼに落ちて溝の端で頭を打ち怪我もするだろうと思えば、そんな呑気な態度ではいられない気がする。

 それらを考えて、先日ケアマネさんに聞いて頂いた。それで、その返事が、あっけなく申請が通った。「それってなんやねん〜」と思わず口から出そうになった。まあ〜しかし、今直ぐに、移動支援が必要な思いでもないし、後、2年程度は今の状態でいきたいと思うが、移動支援の必要性を真に我が身で感じたのは、ある信号機のある大きな通りの赤信号で待ちながらショックな事からです。まだ赤信号なのに渡りそうになり、隣の男性に声をかけられたことが大きな理由で、移動支援が必要な時期に入ったかと覚悟を決めた。

 筆者紹介
四方宣行
1952年、京都府綾部市生まれ。1999年から、肢体障害者通所小規模授産施設「フレンドリーハウス」に通う。京都きょうされんの利用者部会の部会長も務める。脳性麻痺による四肢の運動障害と言語障害をもち、「就学免除」の結果、教育をはじめて受けたのは1965年13歳のとき、京都府舞鶴市の共済整肢学園の幼稚部だった。1968年、京都府立向ヶ丘養護学校に編入、寮内自治会、生徒会活動に参加する。大阪の職業訓練校を経て装具の会社に就職、全障研向ヶ丘養護学校卒業生サークルにも参加。現在、肢体障害者友愛会事務局長を務める。

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