性同一性障害なんて大きらい〜当事者の泣き笑い
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☆09/02更新☆

第13回 手術許可
 
 6月の末に適応判定委員会があり、手術が認められました。待ちに待った、主治医からの連絡です。性器を女性の形に変えられる。でもその時から、不安になり始めました。

 
 これまでの数か月、手術の許可は子どもへの影響が懸念されて何度か保留されてきました。私は、どうすれば“懸念派”を説得できるのか、主治医と一緒に頭をひねり続けました。状況説明書のようなものも書きました。

 
 そう。説得のことばかり考えていたのです。望めば手術ができるという状況になって初めて、自分は本当に手術をするのか、考えるようになったのです。

 
 もちろんこれまでも考えていたけれど、手術自体が、仮定の話でした。目の前の現実になって初めて感じる重たさがあります。

 
 切望していたはずだったのになんで素直に喜べないのだろう、なんでこんなに不安なのだろう……。自分の問題に巻き込んできた人たちにこれでは顔向けできないとさえ思い、胸のざわつきが収まりませんでした。

 
 その時もっとも“顔向け”できなかったのは、私の手術のために直接がんばってくれた主治医でした。私は裏切りのような気がしてとても躊躇しましたが、でも、主治医にその気持ちを正直に話しました。すると、「適応判定委員会を通ったのは『手術ができる』というだけの意味だから、するかどうかはゆっくり考えていいですよ」と言ってくれました。本当にほっとしました。

 
 そして、胸のざわめきや迷いを抑えず、自分の気持ちと静かに向き合うことにしました。

 
 わかったのは、不安の出所は手術の物理的なリスクだということでした。巷での医療事故の報道や、部位が部位なだけに痛みが強いといった断片情報などから、<手術する>ことについてのネガティブな印象があって、「死ぬかも」という極端な思いもバカな発想だと一蹴できないでいて、そこまでリスクを負っても手術療法が必要なのかと、迷ったのです。

 
 女の体になることは30年前から夢見たことだし、30歳を過ぎてから今日まで十年弱、一日たりと頭から離れなかったことです。したくないわけがありません。私は手術が怖かったのです。

 
 でもこの2か月で、怖さが、だんだん薄くなってきました。きっかけは、ある本を読んだことと、そして何より、手術のことを伝えた時に友人・知人が返してくれた言葉の数々でした。

 
 ある本とは、『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』(三砂ちづる 光文社新書)です。偶然出会った本でした。示唆に富む内容ですが、自分の手術との関係では、出産の項が印象的でした。体の管理を病院任せにするのではなく、出産を自分の身体経験として内的にこなしていくことの価値を説いていました。

 
 この項を読んだ時私は、痛い・怖いも私の体験としてしてこなしていこうと思いました。それその時・その事だけを取り上げれば、ただ痛い・怖いだけだけど、望んで選んできた道のりの次の一つの体験として、それをじっくりと見たり感じたりしようと思いました。

 
 荘厳なのか貧弱なのか、どんな体験かわかりません。でも、目をつぶってやり過ごすのはこの際やめておこうと。そうしてしまうと、本当にただ痛い・怖いだけになってしまうと思うから。

 
 怖さが薄れたきっかけのもうひとつ、友人知人の言葉についてですが、いやはや、他人という存在は偉大です。人間は本当に、人と人との間で生きているのだと思います。他人の言葉一つで、怖かっただけの手術が、とたんに違う意味を見せ始めるのです。

 
 ある人は、出産のようだと思ってみて、と言いました。新しい自分を産むんだと。リラックスして、と言う人もいました。そうか、リラックスすればいいんだと思いました。別の人は、ずっとこだわってきたことだよね、とも言いました。そう、ずっとこだわって、目指して、生きてきたんです。

 
 「お見舞いに行きます。応援していますから」とまっすぐにこちらを向いて言う若い仕事仲間、「入院に足りないものとか、困ったことがあったら何でも言って。手伝うから」と言ってくれたのは、知り合って間もない人でした。こんなに親切な気持ち、こんなに親切な言葉……。手術は確かに大ごとだけど、怖がってばかりいる必要もないんじゃないかと、胸の内側がだんだんほぐれていくような感じがしました。

 
 そして、自分勝手にふさぎ込んだり泣いたりする私を嫌わずに一緒にいてくれる友人からは、生きる土台そのものをもらっています。

 
 手術日は9月半ば。見守ってくれる人の思いをしっかり握って、そうして、心身を整えておこうと思います。
筆者紹介
タカノキョウコ
会社員・団体職員を経て、現在、フリーランスコピーライター。00年、大学医学部付属病院で性同一性障害の診断を受け、精神療法から治療開始。02年、性同一性障害を理由に戸籍名を変更、03年に転居をし、地域生活・家庭生活・仕事など、生活すべてを女性にシフト完了。残る課題は性別適合手術と、各種制度の改正となっている。

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