死に逝く人の思いなんて想像を絶するものとして僕には存在している。
果たして、彼が自分の人生をどんな思いで振り返っていたか、不幸や悲憤感で満たされ思いっ切り悲愁に囚われていたのか?
また、家族の十全な愛情やケアに支えられて安寧な心でいたかなんて、今更に知りようがないこと
またそれを想像してもあまり意味のないことかも?
というよりも、彼の終末期の「病魔との戦い」を侮辱するものではないかとの想いさえ浮かんでも来る。
ただ、どうしても「悲境」にいたのではないか? と彼の人生の終末期の事を思ってしまう気持ちから逃れられないのも事実だ。
僕に対する「友愛感のようなモノ」を電話や食事又は喫茶店の場での会話からヒシヒシと感じながら彼と交流を深めていた
彼も、心を許して僕に語りを続けていたのではないか。
ある日ことだった。
激しい口調で職場で受けた「ハランスメント」のアウトラインのようなものを僕に抗議するかのように訴えた。
(○○にこんなことされた)(○○はこんな人間だ)などに類する言葉やエピソードを、先日起こったことかのように僕に語った
「細田さん、僕の代わりに連載しているエッセイで『告発』してくださいよ。」
そして、その要望は止むことなく繰り返して僕に訴求された
でも 結果として、僕はそれをしなかった。
彼の屈辱的な思いや悔しさを吐露することそのものは真剣に「不明な点」は問い質しながら聴き続ける事に徹した。
彼は「ウツ状態」なので、結果としてピア・カウンセリングの形となった。
カウンセリングの鉄則として積極的な提言・アドバイスは避けて、聴くことを重視することが肝要だと理解していた。
だから、「それはこう考えるべきだ」とか「その問題はこう解決するべし」などの言葉は自制して発しなかった。
彼には「迷路」から抜け出すためのすじみちの整理が出来て自発的な「解決力」が芽生えるようなカウンセリングを心がけた。
途中から「人の非難」はあまり言わなくなって来たのでは?
僕は意識的に仕事の話題は避けた。仕事は彼の「成功事例」に限り話題にした。その成功を一緒に喜んだ。また、彼一流の「趣味」の世界に遊ぶような会話を試行した。
ああ いくらでも思い出して来る、彼との思い出を。
紋切り型の結論となるが、友人として出来得る事はしたと思う。他人が見て、友人としてもっと彼を支えるべきであった、と指摘されたら仕方ない。
一切の抗弁を排して、「力不足ですみませんでした」と答えようと思う。
ただ、これだけは言える。
彼は重篤な疾患に屈することなく生きた、生き抜いたと(完)。 |