年金くわねど高楊枝
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☆5/1更新☆

第62回 東京訴訟「勝訴判決!」の日

3月24日、田中明彦氏と京都駅で待ち合わせ新幹線に乗り込む。時は9時30分あたり。新幹線内で大阪訴訟弁護団の中西弁護士と遭遇。

東京駅から慌ててタクシーにて弁護士会館へ。1002号室には東京訴訟弁護団・・原告・支援者が集結していた。

部屋に入ったその時、高野範城東京訴訟弁護団長が、「今日の判決の内容が『敗訴』であっても落胆することはなない!控訴し『高裁』への道がある。決して今回で負けたわけではないから落胆しなくてよろしい。闘いは続きます」

「もし、判決の中に一部でも『勝訴』の内容のものがあれば、それは『勝訴』であり大いに喜びましょう。勝訴判決が下されれば、この種の裁判では被告は必ず控訴してくるだろう。しかし、そこは、支援者が控訴断念の運動を頑張っていただき、被告の控訴断念となるよう取り組んでいただきたい」と力強く話されていた。

張り詰めた緊張感はさほど無く、このとき全員、まさか「勝訴判決」が出るとは思っていなかったのでしょう。私も判決文に一部被告の否を認める文言だけで、個別論点で一部救済があるのかもしれない程度に思っていた。

 裁判所前ではTV取材クルーや東京訴訟支援者が道を塞ぐほどであった。東京支援者が【国の責任で無年金障害者を無くせ!!】と書かれた横断幕を張り弁護団・原告団を待ち受けていた。

審査請求運動からはや6年が経ち、やっとこの運動の審判が下されるのかと緊張し興奮気味の12時50分、高野弁護団長を先頭に原告団がさわやかな顔で東京地裁正門に到着。

私は支援者とともに拍手で原告団が裁判所に入るのを見送りながらデジカメのシャッターを押しつづけました。しかし、その多くは手ぶれのピンぼけでがっくり!

私も少し遅れてデジカメを手にもって東京地裁へ・・・何時もの如く「写真は撮らないでください」とガードマンが注意にかけよる。今日はお相手をする時間が無いないのでごめんね。カメラを鞄に入れ無言で通り過ぎる。

東京地裁は何時もの如くごった返している。エレベーターで708号法廷へと思うがなかなか下りてこない。裁判所に来る方は総て殺気立っていて、車椅子を優先してエレベーターにとはなかなかいかないのである。そりゃ、平和に暮らしているお方は裁判所には来ないもんね。

 開廷10分前。708号法廷前は傍聴者しようと溢れ返っていた・・・。

そんな中「福岡の原告のお父さんがいない」と松岡母が私に迫る。他の支援者に携帯で連絡するも繋がらない。法廷前でウロウロしていると「坂井さん」入ってくださいとお声をかけていただいた。法廷内にはいると福岡原告の父は座っておられた。

「ひさしぶり」だねと声をかけてくれたのは点字毎日の野原記者。一般席に座っていたので「記者席は前やん」と思わず口を滑べらした。「だから、点字毎日は記者席にはいけないのよ!」「記者クラブには・・・」と氏は傍聴席で私に訴える。

「あっ、そうやった、ごめん!」と誤り、思わず買ってもらうはずだった『あってはならない存在を』をプレゼントしてしまった!

常の708小法廷は40席程度、今日は車椅子での傍聴者が多く備え付けの椅子を数席取り外されていた。また、通路には一人でも多く傍聴できるよう臨時用のパイプ椅子が並べられていた。しかし、多くの方が傍聴できずに法廷外で裁判を見守った。

一番前の席に座らせていただいた私は、愛用のピンホールめがねを取り出し回りを見渡す。そこへ京都弁護団の小林弁護士が弁護団席に着くのが見えた。開廷5分前の法廷は静まり返り、時折聞こえる小さな咳払いが一層緊張を高める。

1時25分。裁判官入廷登壇。「全員起立、礼、着席」とは誰も声はかけないが、今日くらい掛けてもよさそうな気分であった。ピンホールから裁判官等のお顔を窺う。

小法廷だったので結構裁判官の表情が伺えた。むかって左の裁判官は、一寸お年召されていて退職前かなと・・・。向かって右は女性であるが、年の頃はわからない。

裁判長はと見ると、俗にいう「濃い顔」で「柔和」。うっすらと笑みを浮かべていたようである。しかし、主文を読み上げる前は緊張していたようにも見えた。

「では、これより平成13年(行ウ)第183号、同第190号、同第191号、同第192号、各障害基礎年金不支給決定取消等請求事件の判決を言い渡します」

<主文>

1 東京都知事が、平成10年12月4日に原告岡村佳明に対してした障害基礎年金を支給しない旨の決定を取り消す。

2 原告K、同福島敏彦、同Sの各処分取消請求をいずれも棄却する。

3 被告国は、原告K、原告福島敏彦及び原告Sに対し各金500万円を支払え。

4 原告岡村佳明の金員請求、並びに原告K、原告福島敏彦及び原告Sのその余の各年金請求をいずれも棄却する。

5 訴訟費用の負担は次のとおりとする。

1)原告岡村佳明に生じた費用の2分の1及び被告国に生じた費用の4分の1を原告岡村佳明の負担とする。

2)原告Kに生じた費用の4分の3、被告社会保険庁長官に生じた費用の4分の1、及び被告国に生じた費用の8分の1を原告 Kの負担とする。

3)原告福島敏彦に生じた費用の4分の3、被告社会保険庁長官に生じた費用の4分の1、及び被告国に生じた費用の8分の1を原告福島敏彦の負担とする。

4)原告Sに生じた費用の4分の3、被告社会保険庁長官に生じた費用の4分の1、及び被告国に生じた費用の8分の1を原告佐藤弘一の負担とする。

5)原告岡村佳明に生じたその余の費用及び被告社会保険庁長官に生じたその余の費用を被告社会保険庁長官の負担とする。

6)原告K、原告福島敏彦及び原告Sにそれぞれ生じたその余の費用及び被告国に生じたその余の費用を被告国の負担とする。

上記の主文に、私は岡村原告の障害年金不支給処分取消しが認められたことは理解できた。

しかし、他の3人に対して棄却したのに500万円を国が支払えとは???状態。傍聴席の全員も主文に??状態であった。隣の傍聴者に「どういうこと?」と問われ、岡村さんは勝訴したのですが、他の方は棄却でした。なんで、国に500万円支払えと言うのか???

そのとき、眼前の法廷内にいた谷村弁護士が、「坂井さん勝訴やで!」と言ってくれたのだが、まだ理解が出来んかった。

とりあえず、本誌編集長に報告せんとアカンと携帯電話を取り出し「岡村さんは障害年金年消し請求認められました。残りの3人は棄却でしたが、500万円国が支払えとの判決でした。」と繋がりにくい東京地裁から連絡をいれた。

国家賠償請求が認められたことに理解できなかったのは、私の心の中に棲む「あってはならない・・」国家賠償請求額2,000万円!が頭にこびりついていたからである。

2,000万円支払え!だと即座に理解できたのよね。国家賠償請求が認められての500万円と理解できたのは、その後の勝訴判決報告集会の少し前で頭が冷えたころであった。

(この項続く)

 筆者紹介
坂井一裕
三療師。1951年、大阪府松原市生まれ。中学、高校時代は卓球部に属し、動体視力抜群だったが佛教大学文学部在学中に自動車事故で視力に障害を受ける。鍼灸マッサージ師として訪問リハビリを生業としているが、「腕には自信があるのですが、患者がいないということは腕が悪いのか・・・」とは本人の弁。
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