CDのうらおもて
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☆03/25更新☆
第35回 B・DをうたうB・D

 伝説のエンターティナー、ボビー・ダーリンの生涯を描いた映画『ビヨンド・ザ・シー』を観ました。

 1936年、ニューヨークに生まれ、幼い頃に心臓を患い長生きはできないと告げられながら、1973年に亡くなるまで、歌や映画といったショウ・ビジネスの第一線を駆け抜けたボビー・ダーリン。
 
 自らボビーを演じ、監督をつとめたケヴィン・スペイシーがさまざまなステージで十数曲を吹き替え無しで歌いきっています(サントラ盤も)。

 ボビー・ダーリンは気になるミュージシャンの一人でした。しかし、アイドルスターとしてデビューし、ラスベガスのナイトクラブで脚光を浴び、フランク・シナトラやサミー・デイビス・ジュニアらと比肩される本格派の歌手。ハリウッドでは演技派としても注目され、オスカーの候補にもノミネートされた……といった経歴には、あまり関心がありませんでした。

 映画では、そうした「正史」だけでなく、共演した女優サンドラ・ディーとの結婚や、彼の生い立ちの秘密が描かれます。(ちょうど日本で公開中の2月20日、彼の妻であった女優のサンドラ・ディー…ケイト・ボスワースが演じた…が亡くなりました)
 
 そして、自らの出生の秘密を知った彼が、妻子を残して家を出たとき、アメリカはヴェトナム戦争に突入し、反戦の気運も高まりつつある時代でした。それはロックの時代でもあり、ボビー・ダーリンにとっては「落ち目」の時期でもあったのです。

 その頃、彼がステージで取り上げたのはフォーク・ソングでした。映画でも、戦争や差別を嫌悪する彼の姿が伝わってきます。しかし、かつてのヒット曲を望む観客は、自作のプロテスト・ソングを歌う彼にブーイングを浴びせます。
 
 ぼくが探していたのは、このフォークを歌うボビー・ダーリンでした。ずいぶん前に買ったCD『ボブ・ディラン・ソングブック』(VSOP-158)に、ボビー・ダーリンの歌がぽつんと入っていたのが気になっていたのです。それはもの静かで独特の歌いまわしの「風に吹かれて」でした。
 
 映画のクライマックスは、ハリウッドの高級クラブで見事に復活を飾るシーンです。そのステージで喝采を浴びたのは、懐かしのヒット曲ではなく、反戦歌「シンプル・ソング・オブ・フリーダム」でした。

 さて、ボビー・ダーリンがはじめてのヒット曲を吹き込んだのがアトランティック・レコードでした。会社の通路で無名のボビーが、ディレクターと会話する印象的なシーンがあります。その相手こそ、レイ・チャールズを育てたアーメット・アーティガン(レーベル創始者でもあるトルコ人)。映画『レイ』では大活躍のアーメットも、本作では一場面だけの登場です。
 
 映画では、アトコのスタジオに貼られたタイム・スケジュールから、ボビーとレイが同じ日に同じスタジオで収録していたこともうかがえました。「ボビー・ダーリン・シングス・レイ・チャールズ」というアルバムも出ていますが、ある時期ふたりは、アトランティックの二枚看板だったのです。

THE BOB DYLAN SONGBOOK

『THE BOB DYLAN SONGBOOK』(英CONNOISSEUR COLLECTION、VSOP-158)
 ロッド・スチュワート/北国の少女・明日は遠く、ジュディ・コリンズ/あわれな移民、ザ・バンド/怒りの涙、ニーナ・シモン/ホリス・ブラウンのバラッド、ジョニ−・ウインター/追憶のハイウェイ61、ソロモン・バーク/マギーズ・ファームなど、24曲収録。

IF I WERE A CARPENTER

『IF I WERE A CARPENTER』(米VERESE SARABANDE、VSD-6007)
 「IF I WERE A CARPENTER」「REASON TO BELIEVE」など、ティム・ハーディン作の五曲、ジョン・セバスチャンやランディ・ニューマンの作品のほか、自作の九曲など18曲を収録。「SIMPLE SONG OF FREEDOM」はギターの弾き語りのデモ・トラック。


ぱんこさん
 筆者紹介
ぱんこさん
1959年生まれ。京都市内の中小企業に勤務する音楽愛好家。生まれてこの方いろいろな曲を耳にしてきたけれど、できればそれをすべてCDで揃えたいというのが夢!というコレクターでもある。

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