梅浩先生のボローニャだより
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第3節 ボローニャ県下の労働環境

 ボローニャの産業を担う働く人たちの労働事情がどうなっているのか、その一部に触れておきたい。なお、入手した資料の大部分も、すでに帰国準備で日本へ送っているため、制約があることをお断りしておきたい。対象範囲は、人口約90万人のボローニャ県である。

女性の進出著しい大型バス運転手 1
 
女性の進出著しい大型バス運転手 2

〈産業別就業者から〉

■農工両全、近年第3次産業化への移行進む

 まず表−1のボローニャ県の産業別就業者数をみてみよう。

表−1 ボローニャ県産業別就業者数

 1993年−2001年のほぼ10年間で全就業者数は微増であり、2001年で約40万人である。これに対し、農業や工業は減少傾向である。これらを除く他の産業は1割を超える増加となっている。

 ただし、商業は逆に減少している。つまり、ボローニャ県全体としての第3次産業化は進展しつつも、伝統的な商店を中心とする商業は減少を余儀なくされているとみてもよさそうである。

表−2 産業別就業者比較

 日本との比較を行うため、ボローニャ県の資料と、平成7年国勢調査を並べたのが、表−2である。何れも1995年値である。ボローニャ県の資料については、農業を第1次、工業を第2次、その他を第3次産業として扱っている。日本の4大都府県のなかで、産業別就業者数の構成比がボローニャと比較的類似しているのが、愛知県である。

 愛知県はこの中では、第1次産業比率が最も高く、広い範囲の農村地域を包含しているが、一方で製造業等の第2次産業に極めて特化した県として知られ、第2次産業の構成比が39%となっている。このため第3次産業は、4大都府県では最も低く60%を割っている。
 しかも、京浜や京阪神は大人口を有する複数隣接県によって大都市圏が成立しているのに対して、中京大都市圏は愛知県を中心として小規模な単独峰の観を呈している(注1)

 これらとの比較でボローニャ県を見ると、就業者数で愛知県のほぼ10分の1の規模となっているが、第1次産業比率は5%で、ボローニャ市周辺地域で農村風景が見られる。第2次産業35%、そして第3次産業60%である。1995年段階から、2001年にかけて第1次、第2次産業の割合をさらに落とし、第3次産業の割合を高めている。

 ボローニャ県とモデナ県は境を接しながらも、対立意識があり、大都市としての連携意識は少ないようで、愛知県における単独峰とやや類似しているかに見える。

 こうしてボローニャ県は、農工両全の側面を持ちつつも、近年第3次産業化への移行が進んでいるものとみることができる。

この通りは職業斡旋センターが多い
 
ボローニャ雇用センター
 
ヨーロッパ雇用センター
 
派遣労働センター

〈15歳以上労働力状態から〉

■人口4分の1(15歳以上)が「仕事困難、又は働く意思がない」のか?

表−3 ボローニャ県15歳以上労働力状態

 表−3は、15歳以上の労働力状態を示したものである。15歳以上人口Fをみると、約80万人で殆んど変わっていない。その意味ではボローニャ県が自らの自然減を伴いながらも、すでに指摘してきたボローニャ市における人口転出の一定部分の受け皿となり、広域的な人口拡散が起きているものと推測される。

 労働力割合、就業者割合は、ともに15歳以上人口の50%前後である。失業者割合は1997年の5.1%をピークに2001年3.3%と減少し、改善されている。ただ少し疑問に思えるのは、これまで指摘してきたこととの関連で、この失業者割合の低さである。

 表の中に「非労働力(15-64歳)C」がある。特に大きな比重を占めているのが「仕事困難、又は働く意思がない」であり、2001年値で15歳以上人口構成比23.9%、実に4分の1である。次いで「個別条件があり不定期」同1.1%、「求職積極的でない」0.6%である。失業者割合と関係する求職者を同じ15歳以上人口構成比でみると2.1%である。

 こうした数値からみても、「仕事困難、又は働く意思がない」は相当に大きい数値である。これには例えば、主婦、大学生、ハンディキャップを持っている者などが含まれる。

 ボローニャ大学生の約半数が、予定年度を超えて在学している実態を報告したことがある(注2)。ボローニャ大学生約10万人のうち、ボローニャ県内に住所を持つ学生は約2.2万人で予定年数を超えて在籍している学生は約4割の9千人である。

 これらの学生は、最後の論文や少数の科目に合格できないため卒業できない場合や、あるいは就職先が決定できずに卒業を留保している場合がある。また、何らかのハンディキャップを持っている場合に、「仕事困難」と「求職者」の区分けが適切に行われているどうかがある。

 15歳以上人口の4分の1にのぼるこれらの実態を正確にふまえたものでなければ、失業率の減少の数値だけではどうも意味をなさないものと考えられる。あるイタリア人は言っていた。「統計にはブジエ(bugie,嘘)がある」

 1年間の生活実感からいえば、この言葉は真に迫っていた。しかし先進国と言われるこの国で?というのがどうも腑に落ちないのである。別の角度から資料を補充することの必要を感じた。

 そしてあることを思い出していた。中国の食糧事情を議論したことがある。人口10億人を超える中国人の生活水準の向上に伴い、中国は近未来に農業生産物の輸入大国になる。

 その際日本の食糧事情はどうなるかであった。この時も地方へ行けば行くほど、中央政府と地方政府の狭間で、中国統計の表に出ない数値が大量に存在することをみてとることができた。単純には輸入大国にはならないだろう。従って、こうした数値をどう読み取るかが重要である、と議論した覚えがある。

 確かに表面的な数字の奥に隠された実態をどう把握するか、重要だが難しいことではある。

労働組合CGIL、「外国人労働センター」

〈「所得助成機関」から認可された労働時間から〉

■公的機関の助成に依存していたボローニャ企業

 表−4、図−1は、公的な「所得助成機関」から助成が認可された各部門毎の総労働時間である。直接給与支給の形で助成されるところに、イタリア社会の特殊性が潜んでいるようである。ともあれ、ここでは単価は不明であるので、労働時間の数値の増減に注目しよう。

表−4 ボローニャ県「所得助成機関」から認可された労働時間

図−1 ボローニャ県「所得助成機関」から認可された労働期間

 過去10年間で、合計では20.9%まで減少している。正規雇用者に対して24.3%、臨時雇用者に対して13.4%であり、後者の減少率は更に大きい。

 ボローニャはパッケージ産業を始めとして有数の機械産業の街との評判が高い。それとの関連もあろうと思われるが、過去10年間の総助成時間の半分、48.9%が「機械組立」部門であり、2001年に向けて減少はしているが、なお43.9%の比重である。

 次いで大きいのは「建設・企業」である。これは「建設・職人」が数人単位の職人による建設工事を行うとしたら、それらを除くいわばより大規模な企業に相当するものである。

 ともあれこうした「所得助成機関」からの助成は、戦後長く続けられてきて、90年代以降に減少を始める。カペッキ教授はこの減少を見て、「積極的なことだ。結構なことだ」と評価していた(注3)。そしてこうも付け加えた。「トリノのフィアットはむしろ近年増大している」

 これまでエミリアン・モデルと称されてきたボローニャを含むエミリア地方の産業の優
位性の根底に、こうした公的機関からの大幅な助成があったことは余り知られていない。

 ボローニャの産業の中核に「機械組立」があり、相当に減少しているが、なお助成を受けている。しかし明日に、この保証はない。この点からもこれをどう乗りこえていくか大きな岐路に立っていることは間違いない。

 その意味で、公的機関からの助成が打ち切られ、一層の企業努力が求められている姿は、本来あるべき積極性をもちつつも、私には数年前にみた中国社会の姿が余りにも生々しく重なって見える。

 すなわち当時国営企業のドラスチックな民営化の中で立ち往生していた数多くの企業・労働者を見てきたからである。

 この図表には、これまで見てきた様々なボローニャ社会の出来事が重なって見えて仕方がない。ボローニャの産業の基底となる部分をしっかりと見ることの必要性を、あらためて痛感したのである。


(注1)拙著「都市戦略と土地利用―産業あいちへの道―」(2003年)創成社、p.13〜16参照。

(注2)第25回「梅浩先生のボローニャだより」参照。

(注3)2004年6月23日


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