梅浩先生のボローニャだより
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第3節 市長選の余韻、イタリア地方自治体の再編

 今回は、ボローニャ市長選での中道左派市長の当選の余韻を記し、その上でイタリア地方自治体が抱えている地方自治体再編問題を取上げてみたい。

〈市長選の余韻〉

◆中道左派、市長選勝利に沸く

写真1

埋めつくした市民深夜5万人「無限」
(il Domani,6月18日より)。

写真2

埋めつくした市民、広場は「煌々」。

写真3

深夜の広場で「熱気」。

 地元紙には、「ボローニャに感謝。マッジョーレ広場でコッフェラーチとドラゲッティに会いしましょう。6月17日(木)午後8時30分」と案内広告があった。昼間広場を通った時には、大がかりな照明・音響の仮設施設の準備が始まっていた。

定刻を過ぎ人波は埋まっていった。2人が会場に到着したことを紹介したあと、芸能人・識者と思われる方々が次々と登場した。自らの芸による勝利の「賛歌」を歌いあげていった。

コミックであり、政治談義であり、あるものは本格的なクラシック歌手による当選への賛歌であった。しかも彼らの活動拠点としているのはボローニャに限らなかった。ミラノからきた者もいた。何故ミラノの候補者にならなかったのか、ユーモアあふれた短い語らいに会場は沸いた。

登場した人物は10数人に上った。これですでに2時間以上は経ち、午後11時は過ぎていた。

肝心の当人の挨拶はまだかと待つうち、ようやくドラゲッティ新県知事が登場した。彼女に続いて、コッフェラーチ新市長が登壇した。

この日30分はかけて、今後への「確信」を持った演説を行った。終始繰返したキーワードに「参加」があった。今後市民「参加」の具体的な姿も明らかになっていくことだろう。ここにボローニャの命運がかかっていることを自覚しているように思えた。

すでに深夜午前0時が近かった。人は動かなかった。容易には動けなかった。翌日の地元紙によれば、5万人とあった。そこには、「無限」「広大」を意味する言葉が添えられていた(写真1注1)。

私は、この1年マッジョーレ広場に集うさまざまな姿を見てきた。しかし深夜に「煌々」と照らし出された広場に、これほど「無限」の力を信じさせるに充分な人たちを見たことは無かった。

「熱気」、「興奮」、そして「真剣」さを持つこの日の表情であった。参会者は古きよき時代の高齢者だけではなかった。若者のおかれた状況を反映しているのか、無数の青年男女がいた。

この日のプラカードは数少なかった。しかし、最前列で手にする「統一こそ勝利」のプラカードは、人々の思いを代表しているかのようであった。新市長の「確信」を与える演説に、市民はすでに新市長にボローニャ人の資格を認めているかのように拍手を繰返した。

最後のイベントは、日本とはまた違った花火が市役所前で仕掛けられた。それは長く続いた。三々五々家路につく時間は、すでに優に午前0時を回っていた。

しかし市民にとっては、いつものオペラの終了時間と同じだったかも知れない。私には、安堵した市民の姿に見えた。ある知人は「私の周りでも、ようやくこれで正常に戻ったって言っていますよ」と語っていた。

〈イタリア地方自治体の再編〉

◆「6月の選挙で決まる」

これまでボローニャ市やボローニャ県関係者のヒヤリングの中で、ある種重要な問題について今後の予測を聞く時、帰ってきた言葉に、きまって「6月の選挙で決まる」があった。

つまり州・県・市の政治的意思決定が重要なことを認めつつ、それが現状では統一した意思決定が困難であることを認め、ボローニャ県・市の6月選挙の結果によって、その方向を決しようという動きであった。

これは仮に県・市の政権の考えが異なろうとも、もはやそれを認めようというものであった。こうしたことからすればボローニャ県・市ともに、中道左派政権が住民の意思として決定されたとすれば、自ずからその方向は見えてくるのかも知れない。

日本における自治体再編は、大詰めを迎えているものと想像される。そこで、イタリア地方自治体においてはどのような再編論議となりいまどのような段階なのか、ボローニャを中心に最も論議の焦点のところを整理しておきたい。

◆交通計画をめぐる県・市の意見の相違

すでにボローニャの交通計画のあり方、すなわち都市の将来計画の根幹に触れる内容での意見対立があることを伝えたことがある(第37回で報告)。

すなわちボローニャ市を中心として、20km圏の広域的な交通網整備を行い、都心部には12分で到着可能な公共交通整備を行う。この範囲は現ボローニャ県程度が想定でき、人口は90万人。ボローニャ県(左派)の考えである。

他方、ボローニャ市に接続しているコムーネの範囲を目安に小幅な地域を、今後の交通計画の根底に置こうとする考えである。

「ボローニャ空港」と「ボローニャ国際見本市会場、フィエラ」という近在するこれらを地下鉄で結ぶ交通計画である。人口60万人弱を想定した地域。ボローニャ市(右派、当時)の考えである。

これらも実は、ボローニャ市ないしは周辺自治体を含めたボローニャ県を範囲とする自治体再編論議の一環からきていることである。

写真4

コッフェラーチ新市長の演説「確信」。

写真5

広場を埋めつくした市民「真剣」。

写真6

芸能人、芸による勝利の「賛歌」。

写真7

ボローニャ悪夢から覚める「統一こそ勝利」

◆地方自治体再編

この議論になる経過を少し振り返っておこう。

イタリアでは、1990年地方自治法が改正され、約8,200ある地方自治体(コムーネ)の統合の方向が出された。小規模な自治体は人口150人程度で、大規模な自治体は300万人である。

もちろん議会が統廃合に同意した場合にのみ現実化していくわけであり、自治体の統合の過程は決してスピーディなわけではない。

この時、ボローニャ県やボローニャ市に直接関連するものとしては、大都市化した実態を踏まえ、県の範囲を念頭においた大都市圏地域を1つの自治体(コムーネ)とすることができる法改正がなされたのである。

法改正後には、ボローニャ県は、県を範囲とする人口90万人の新・ボローニャ市の実現の方向を模索した。しかしボローニャ市はこの方向を望まずより小さな範囲に限定したいと考えていた。この流れが、上記の県・市の意見の相違となっているのである。

これらと関連し、インタビューしたボローニャ県大都市圏事務局のジャンニ・メローニ氏は興味深いことを語っていた(注2)。「全国レベルでは大都市圏の統合は5つ成立した。しかし、統合はしたけれど、どこも融合しなかった」。

つまり自治体の一体性をどう保持し、つくりあげていくかが重要であることを示唆していた。

〈ボローニャ県下の自治体再編〉

◆自治体行政の実質的な改革に着手

写真8

ボローニャ県下自治体再編図、
自治体連合と統一を模索・中央白がボローニャ市など。

単独自治体
[5]
(中心部)ボローニャ、カーサレッキョ、ゾーラ・プレドーザ
(周辺部)イモラ、モルダーノ
[ 計5]
       
自治体連合
[5]
テルレ・ダクア(自治体6)、レノ・ガリエラ(8)、テッレ・ディ・ピアヌラ(6)、バーレ・イディツェ(3)、クアットロ・カステッリ(4) [計27]
       
統一自治体
(山岳自治体)
[4]
バッレ・デル・サモッジャ(6)、アルト・エ・メヂオ・レノ(10)、チンクエ・バッリ(8)、サンテルノ(4) [計28]

少し説明を加えておこう。

自治体連合=それぞれの自治体は存続させつつ、同意した件について共同事務を行う。こうして事務の一定の合理化をはかる。統一自治体=山岳部ないしは、丘陵地帯の自治体であり、別名山岳自治体とも呼ばれる。

幾つかの自治体統合であり、役所も1つ、代表者も1人となり、政治的一体性は強化される。州からは予算がつく。もちろん望めば非合併自立もあり得るわけで、このグループに入っている自治体は森林保全事業などとも絡んで、この道を選択したようである。

こうして地域のおかれた実態に即した改革が進んでいる。「計画は進んでいる。融合はすでに生れている」というのが、メローニ氏の意見である。

◆大都市圏計画は「県土整備計画」に具体化

ボローニャ県は、大都市圏計画におけるボローニャ市との圏域をめぐる問題は留保しつつ、その他は、「ボローニャ県土整備計画」のなかに盛込み、2003年2月決定をみた。

そしてエミリア・ロマーニャ州としても、1500人の意見聴取を行ったのち、2004年3月これに対する決定を出したのである。

この内容は、さらにヨーロッパEU連合の認知を受けるという国際的な次元に引上げられている。「ヨーロッパEU委員会専門家の審査を経たボローニャ大都市圏計画」と題する、エミリア・ロマーニャ州情報によって、このことを紹介してみよう(注3)。

「ヨーロッパEU委員会は、環境の実現と維持可能性について、その効果の度合いを極めて評価し、ボローニャ大都市圏計画を承認した。

「成績」は、2004年3月29日から31日までボローニャで開催されるワークショップの際に説明される。企画するのは、ヨーロッパ大都圏40地域に連結するエミリア・ロマーニャ州・ボローニャ県・ヨーロッパメトレックス(大都市圏専門家)ネットワークである。

ボローニャ大都市圏計画と同時に、フランス・スペイン国境のバイヨンヌ(仏)・サンセバスティアン(西)大都市圏や、大ブルターニュ(北フランス)のサウス・コースト複合都市圏の整備計画についても評価された。

メトレックスは、ヨーロッパ大都市圏40地域を結びつけるネットワークである。ダブリン(アイルランド)、ブルッセル(ベルギー)、ロッテルダム(オランダ)のようなヨーロッパ大都市実現計画の経験を検討しつつ、29指標の組み合わせが、広域的大都市圏計画の持つ評価の基準とされた。

29日には、エミリア・ロマーニャ州の土地利用・交通に関する統括責任者、ジョバンニ・デ・マルキ氏、及びボローニャ県の交通計画責任者ピエロ・カバルコリ氏の発言が予定されている。

30日には、住宅政策・県土計画担当参事アントニオ・リボラ氏の発言が期待されている。彼は、「ボローニャ県土整備計画」の紹介を行うだろう。30日にはバイヨンヌ・サンセバスティアン計画、31日にはサウス・コースト計画が検討される」

こうしてイタリア地方自治体の再編論議と並行して、ヨーロッパEU連合の認知をうけた10〜15年の将来計画となっている。この中味の紹介については別の機会に譲りたい。

〈地区行政自治の模索〉

今度の市長選挙の結果如何によっては、幾つかのドラスチックな変化が予測された。その1つが地区行政自治のあり方に関する内容である。

従来日本には、地区住民評議会と訳されていたものである。イタリア語からしてやや不十分と思われるので、ここでは地区議会、ないしは地区行政と呼ぶことにする。

すなわち、現グアザロッカ政権の地区行政担当参事、パオロ・フォスキーニ氏へのヒヤリングでは、今後の考え方としては「小さなコムーネの方向」とこれとは反対の「地区議長は、市長が直接指名する方向」の2つがあるとしながらも、仮に現政権が次期をも引継ぐならば後者にすることを強く示唆していた(注4)。

選挙結果によれば、現在のシステムが継続していくことになろうが、現在のあり方が果たして内実を持った地区行政になっているかどうかが問題になろう。

ボローニャ市行政の枠内での地区行政という限界を持ち、与えられた権限も限られているようである。また最近ようやく地区議長については専任の給与支給が認められるようになったとはいえ、他の議員はまさに月80ユーロ(約1万円)では活動にも困難が伴っているようである。

この地区行政自治をボローニャ市のなかはいうまでもなく、ボローニャ大都市圏地域のなかに広げることができるかどうか、この5年間の新任期の活動如何にかかっていると言えよう。


(注1)il Domani, venerdi 18 Giugno 2004.

(注2)インタビューは下記による。ボローニャ県Fausto Andellini事務所、Mariangela Gallingani, Michele Zanoni, Paola Varini(2003年9月18日)、ボローニャ県大都市圏事務局Gianni Melloni(2003年9月30日, 2004年3月10日)。

(注3)http://www.regione.emilia-romagna.it/wcm/BreviUfficioStampa/2004/mar/29metropolitana.htm

(注4)ボローニャ市参事、制度的事務・市議会地区行政・スポーツ担当、Paolo Foschini( 2004年3月10日)。


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