梅浩先生のボローニャだより
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第2節 ボローニャ新市長の登場と選挙戦の様相

◆この1週間近くの間に、激しく動く季節の展開に立ち会った。日本からの友人が来訪中の半ばに文字通り真夏を思わせる日を迎え、私にとって1年前の暑いボローニャ来訪時のことを、体で感じさせる季節となった。

加えて1999年6月から満5年を経て、政治の季節・ボローニャ市の選挙に立ち会うことになった。現右派市長にとっては政権継続を期し、左派候補には前回の雪辱戦である。

2004年6月12日(土)、13日(日)に投票が行われた。ボローニャ市長・同市議会、ボローニャ県知事、同県議会、ボローニャ市・区議会、ヨーロッパ議会の6種類の選挙である。

右はグアザロッカ、左はコッフェラーチ両陣営の宣伝用帽子。何故か色は、右派が赤・左派は白。
右はグアザロッカ、左はコッフェラーチ
両陣営の宣伝用帽子。
何故か色は、右派が赤・左派は白。

〈ヨーロッパ議会選挙に続き、県知事・市長選挙の開票〉
◆友人が帰国後、送った開票速報のメールは次のとおりである。

「6月13日(日)午後10時で投票は終了。国際的影響のあるヨーロッパ議会選挙の開票が最初に始まった。14日朝にはほぼ終了。昨夜の中間段階を記載する新聞で、il Giornale(右派系)は中道右派が多数派を継続するだろうと書き、la Repubblica(左派系)はベルルスコーニの敗北と書いている(注1)。政権側は2001年国会議員選挙51.0%から今回43.8%、特にForza Italia(ベルルスコーニの政党)は29.5%から21.8%へ大幅に落としている。しかし中道左派も43.9%から44.4%へ微増であり、ここにイタリア政治の複雑な問題が潜んでいるように思える。

それはともかくボローニャ市長選挙である。開票はこれからだが、両紙とも出口調査の結果を載せている。il Giornale(右派系) :グアザロッカ38.5%、コッフェラーチ52.0%、la Repubblica(左派系):グアザロッカ38.5〜42.5%、コッフェラーチ52.0〜56.0%、後者の見出しは『コッフェラーチ勝利の行進』である。あとは開票結果を待ちたいと思う」

◆開票はヨーロッパ議会に続き、ボローニャ県知事・議会に移った。14日夕刻、TVは左派のドラゲッテイ知事候補が72.9%の圧倒的得票(中間段階)で当選したことを伝えた。次はボローニャ市長・議会と思った。聞くところによるとマッジョーレ広場は、当選した市長側の祭り騒ぎになるそうである。夕方5時過ぎに出かけようとしたところ、下宿の主人にとめられた。

ボローニャ市の選挙事務のコンピュータが壊れたとのことである。いま行っても結果はすぐには出ない、とのこと。細君は「サボタージュよ」とにやにやしていた。ボローニャの開票が遅れていることは、全国TVでもやっていた。またまた何でこんなことになるのか?「ストラーノ(strano不思議)、ストラーノ」と、主人の口癖が聞こえた。

〈左派コッフェラーチ氏当選−マッジョーレ広場は熱気と興奮〉

投票日翌日深夜、ボローニャ市長コッフェラーチ当選にわくマッジョーレ広場(6/14)(注2)
投票日翌日深夜、ボローニャ市長コッフェラーチ当選にわくマッジョーレ広場(6/14)(注2)。

中道左派候補勝利に歌って喜ぶ市民(6/14)
中道左派候補勝利に歌って喜ぶ市民(6/14)。

◆14日午後9時半頃にマッジョーレ広場に出かけた。広場に面したコムーネ側には、電光掲示板が立てられていた。開票が遅くなっていることを承知しているのか、時間の経過に伴い人波はいっそう増えていく。広い広場はほとんど埋まったようである。

県知事選挙、市長選挙、政党の得票数などが写し出されていく。午後11時頃グアザロッカ39%、コッフェラーチ57%程度。先の出口調査と大きくは違わない。開票率が何%であるかはどうも読み取れない。ともかく数字は少しずつ変動しつつも大勢には変化がない。

この場にいるのも多数はコッフェラーチの側かも知れない。グアザロッカ39%が38%台に下がれば、「それみろ」の感じでブーという声を出し、コッフェラーチが少しでもパーセントが上がれば大変な騒ぎである。広場の明かりは煌々と灯され昼間のようである。

ボローニャ選挙の各種の投票率はいずれも81%を告げていた。こうした政治への関心の度合いは確かに日本と違う。老人はいうまでもなく、若者も、男も女もいる。いま晴々とした顔で、5年前の屈辱の思いを、過去へ流しているかのようであった。

ビターリ元市長も市役所のバルコニーへ出てきた。コッフェラーチがついに出てきた。時ならぬ興奮のうずは続いた。広場の人々は帰ろうともしなかなった。私は、明日はまた別の調査を予定していた。再度数字を確認し、会場を後にした。すでに時計は深夜12時に近かった。

※最終開票結果(市広報による)(注3)
有効投票 254,094 ( 100 %)
コッフェラーチ 142,026 (56.22%)(当選)
グアザロッカ 103,281 (40.26%)
その他7候補 8,787 ( 3.52%)

〈グアザロッカ市長陣営、最終盤セレモニー〉
それでは、投票日前後の選挙戦の様相を経過的にたどってみよう。

◆サッカー場の雰囲気=6月3日(木)ボローニャ市スポーツセンター

グアザロッカ市長最終選挙集会、スポーツセンターにて(6/3)
グアザロッカ市長最終選挙集会、
スポーツセンターにて(6/3)。

中はさながらサッカー場の感じ(6/3)
中はさながらサッカー場の感じ(6/3)。

グアザロッカ現市長陣営の最終盤選挙集会は、マッジョーレ広場ではなく、ボローニャ市スポーツセンターで開催された。ここは戦後第1代市長として21年近くにわたって在任したジュゼッペ・ドーザ左派市長の名を冠する施設である。それにあやかろうというのか。

それまで音楽が流されていたが、午後9時定刻ちょうどに女性司会者が出てきた。こちらにしてはめずらしい。「あなたのボローニャ、私たちの街ボローニャ」「これまでの5年、これからの5年」「グアザロッカ市長とともにご一緒しましょう」こうしたひと言ひと言に私の右手に陣取る一団は歓声をあげ旗をふった。

ああ12月に見たボローニャ・サッカー場と同じ雰囲気だ、と気がついた。右手の一団がプロのように先導しつつ、旗の振り方は会場全体が歩調をあわせて熱気があった。みんな上手だ。

私の隣に座った60歳前後の方は、スペイン語なまりで「ハポン(日本人)?」と聞いてきた。そうだ、見学に来たと答えると、「コッフェラーチ、ノー・ノー」と、いかにもいやなものをはき捨てるかのように喋っていた。ああ、座っている周りの人はみんなこうなのかと、やや緊張した。

女性司会者はプロの司会者なのか、女優なのか分からないが、巧みな話術でグアザロッカ市長の功績をあげていく。そしてこれに応えて、右の一団が応じていく。

小コンサートに移った。何曲もの歌と演奏で、すでに1時間は経過した。最終盤セレモニーなのに演説はないのか、と思っていたら、3番目には市長の功績を讃えるビデオが大きなTV画面で流された。

何の事業にいくら予算を使ったのか、数字をあげ息をつかせぬ手法である。その金額が妥当かどうかは、比較がないから参会者でもわからないはずである。しかし合の手を打つように旗が振られ、声援がかかる。

「そうだ、そうだ、よく投資した」そうした雰囲気であり、サッカー場で得点が次々に入って行く感じである。

続いて、グアザロッカ市長の私党組織ともいうべき、政党「グアザロッカ、あなたのボローニャ」の候補者46人が勢ぞろいした。46人とは市長1名を除く、市議会の全議席である。すでにインタビューした市筆頭参事のカルロ・モナコが先頭に立って入ってきた。

その他にも見覚えのある顔がある。他の3政党も現市長を押しているが、その紹介はない。ちなみにボローニャ市では、市長候補は9人、議員候補者は18政党から立候補している。

ようやくグアザロッカの演説になった。ここでも本論のまえに熱狂的な応援が始まった。そして彼が5年間の自分の業績を披瀝する演説に入っていった。演説の中で彼がまさに敵愾心をもってしゃべった言葉がある。「中国人はいらない、消えうせろ」である。

選挙戦に入ってからの新聞報道で「中国人」がよく出てきた。つまり左派陣営の代表的な候補者コッフェラーチのことを中国人と言っているのである。

最初は日本での経験から蔑称用語として使っているのかと思った。実はそうでもないらしい。2つの目が横真一文字に並び、中国人にそっくりだとして、マスコミないしは左派陣営が親しみを込めてつけたあだ名である。

しかし、グアザロッカがしゃべった時には、私には決して親しみではなく、その反対の角度からしゃべっているように聞こえた。こういう時にこんな言葉を使っては、品が落ちると思った。

私は途中で辞したが、それでも午後11時になっていた。まもなくは終わるであろうが、オペラも含めてこれがイタリア時間だと思った。手に同市長派の宣伝用小道具1式が入った紙袋を持って帰ってきた。

政党「グアザロッカ、あなたのボローニャ」のマークの入った帽子、シャツ、ペン、パンフ類である。私にとっては、参考資料として貴重であり、有り難くいただいてきた。

それにしても投票日1週間前にして、これが市レベルの最後の選挙集会とは、これも理解できないことであった。

◆副首相フィーニと紙爆弾=6月8日(火)マッジョーレ広場

勢ぞろいした現市長政党の議員候補者46名(6/3)
勢ぞろいした現市長政党の議員候補者46名(6/3)。

右派フィーニ副首相ボローニャへ(前列マイク右・ベルルスコーニ政権を支える国民同盟)(6/8)
右派フィーニ副首相ボローニャへ
(前列マイク右・ベルルスコーニ政権を
支える国民同盟)(6/8)。

グアザロッカ市長陣営はマッジョーレ広場では選挙集会は開かなかった。その代わりなのかどうか、中央政界でベルルスコーニ政権の副首相ベルセッリ・フィーニ(AZ、国民同盟)が来た。午後9時開始、人数は多くはなかった。広場の2分の1を占めるかどうかの程度であった。

ボローニャ来訪者とともに、演壇と対置したサン・ペテロニオ教会の石段に座って見ていた。正面を見ている人、談笑している人、さまざまである。地元を地盤とするヨーロッパ議会候補者が演説をしている時であった。瞬間大きな空砲のような音がした。演壇右手である。上空にはかすかに煙が上がっていた。

私は一瞬目を下に落とした時であった。花火か何かなのか、と思った。演壇では引続き演説は続行されていた。警察が動き出していた。何かがあったようだ。

右派集会の雰囲気は大体様子がわかったと思い、ボローニャ来訪者の皆を促しホテルに向かった。翌日の新聞はケガをわずかにした人がいて、各紙とも紙爆弾の名のもとで、テロ扱いの大きな速報を出していた。

私にはことがらの真相は不明である。このことを巡ってボローニャの人々は、戦後幾多の試練を経てきた人でなければと思われる反応をしていた。ある知人は笑いながらいった。

「右派は演壇の右手で、自作自演した。次に左派は演壇の左手でやる」と。その後警備は強化され、投票日まで何事もなかった。しかしそうした冗談が出る一種気味悪さが残った。

また事件翌日のカペッキ教授は、「紙爆弾は、フィーニの知り合いがやったのだろう、この影響はない」と嫌なものをみた雰囲気で語っていた。

〈コッフェラーチ陣営最終盤セレモニー〉
◆音楽演奏のなかで談笑=6月11日(金)マッジョーレ広場

コッフェラーチ市長候補「あなたはボローニャの今後の10年をいま選ぶ」(5/27)
コッフェラーチ市長候補
「あなたはボローニャの今後の
10年をいま選ぶ」(5/27)。

コッフェラーチ(市長候補)とドラゲッテイ(知事候補)の演説に熱気、老若男女の参加(6/11)
コッフェラーチ(市長候補)と
ドラゲッテイ(知事候補)の演説に熱気、
老若男女の参加(6/11)。

投票日前日の最終日はコッフェラーチ中道左派市長候補側が、マッジョーレ広場でセレモニーを行った。こちらの陣営も大規模な選挙集会と呼ばれるものは、グアザロッカ市長側よりさらに1週間前5月27日(木)に終わらせている。

その時は、コッフェラーチ市長候補とドラゲッテイ知事候補の訴えを中心としたまさに政治集会であった。周辺には、統一して支持を決めている各政党が自党のパンフレット類の配布や署名活動を行っていた。

それでは投票日前日の「音楽の集い」と称する行事は何があるのだろうかと見に行った。

午後9時、すでにサン・ペテロニオ教会に向かって右手の仕切られた区画で「曲芸・コント・サーカス風」の催しが行われていた。私には暑くなった一夜涼みがてらに市民が見物をしているかのように見えた。中味そのものもそれ程とは思えなかった。

戦後の日本で日が浅い頃、久しぶりに田舎町にやってきた出し物を見物した記憶のあるあれである。確かに高度なオペラとも違うし、TVにはない庶民的かつ新鮮な風には見えた。これが1時間近く続いた。

見ると広場の他の一角では、スパゲッティや水・ワインの飲み物が小額のカンパによって提供されていた。不特定多数の参会者への振る舞いも格別の制限はないようである。

イスが広場を埋めつくしているわけでもないので、多くは立ったまま食事をし、気持ちよく談笑していた。私にとっても、まずまずの夕食となった。

午後10時前後、「曲芸」とは反対の舞台に、マイクが入った。コッフェラーチ市長候補とドラゲッテイ知事候補の2人が壇上に上がろうとしていた。この頃にはマッジョーレ広場は人波で一杯になっていた。2人の登壇とともに、万雷の拍手が鳴った。

先にドラゲッテイ知事候補が訴えた。彼女は現プロ−ディ知事(EU委員長の兄)の2期を引継ぐ候補として立候補した方である。広報掲示板をみても他に多くの政党が支持する対立候補者はなく、私には独走態勢に見えた。歯切れよく、ソフトで、かつ人々の気もちを揺さぶる語り口には、誰しもまいってしまう感じがした。

このあとコッフェラーチ市長候補がマイクを握った。ややだみ声の彼は、自らが非ボローニャ人であるのを意識してか、逆にボローニャの言葉を何度か口に出した。

もうこの日は、本人も参会者も皆が市長への当選を念じている切なる願いが伝わってきそうな感じがした。私にはこの会場の雰囲気は、前号で報告した中道左派の分裂の痛手を克服しているように見えた。

訴えたのは各5分、2人でおおむね10分余であった。支援者の演説は何もなかった。そして音楽の夕べに入っていった。この後、両候補は周辺を歩きながら、そこここで市民と談笑している様が見えた。

すでにコッフェラーチ候補とは顔を数回あわせ、この日も偶然の顔合わせに挨拶をかえした。11時前にマッジョーレ広場を後にした。しかし、音楽演奏はまだまだ続いていた。

演奏の合間に市民と談笑するコッフェラーチ(右・市長候補)とドラゲッテイ(左・知事候補)(6/11)
演奏の合間に市民と談笑する
コッフェラーチ(右・市長候補)と
ドラゲッテイ(左・知事候補)(6/11)。

広場の一角でスパゲッティ、水・ワインが小額のカンパによって提供(6/11)
広場の一角でスパゲッティ、
水・ワインが小額のカンパによって提供(6/11)。

〈ボローニャ選挙の投・開票〉
◆投票券の再発行
イタリアでは投票に際し、日本のような1回限りではなく、何度か利用できる投票券が必要である。投票場に訪れればそこに日付入りのスタンプを押すことになる。もし投票券を紛失していたならば、再発行が必要となる。これにはもちろん常時携帯が義務付けられている身分証明証が必要である。

宿の主人が再発行してもらうとのことで同行することにした。時間はどれ位かかるのかと聞いた。イタリアのことだからスムーズに行かないことを前提にした質問である。「すぐだ、1〜2分で済む」本当かなあと思いながらも、市役所とは別の専用発行所に行った。

確かに何台かのコンピュータに接続された器械があり、身分証明証に基づいて印字された投票券が発行される。すぐに終わった。ここだけは何故スピ-ディなのだろう。

今回で何人位再発行しますか、と職員に聞いてみた。「約1万人です」ボローニャ約37万人の人口、18歳以上の有権者30万人余、その1万人か・・・。それにしても今度の場合、(土)(日)の両日で朝早くから、夜遅くまでご苦労さん、と思った次第である。

◆小学校での投票
この投票券を持って、投票場となっている近くの小学校へ行った。もちろん少人数学級で規模も小さく、日本の小学校とは比較にはならない。それでも住所地に散在しているため、こうした施設が利用されるとのことである。

投票場では最後の熟考を重ねる人が多くいた。先回も報告した約500人の中から選ぶのだから大変である。

ボローニャ市長9候補、市議会議員18政党がそれぞれ最大で46人の候補を持っている。

県知事10候補、県議会17政党がこれまた結構の候補者を持っている。

ヨーロッパ議会選挙は、この地域に関してはエミリア・ロマーニャ州を含むイタリア北東部4州が選挙区であり、22政党が何人かの候補者を擁している。これに地区議会の候補者となる。

4枚の投票用紙、6種類の選挙である。こうしてまもなく投票時間は締め切られようとしていた。

※イタリアでは、外国人への参政権は与えられていない。地方参政権についても同様である。移民が増えていて注目していたが、滞在以来その議論は少ない。

ボローニャ市長9候補・市議員18政党の広報掲示板
ボローニャ市長9候補・市議員18政党の広報掲示板。

投票券再発行所、有権者30万余に対し1万人が訪れるという
投票券再発行所、
有権者30万余に対し1万人が訪れるという。

小学校を利用した下宿近くの投票場
小学校を利用した下宿近くの投票場

〈コッフェラーチ市長への期待〉
ボローニャ市の歴史の転回にいま立ち会っている。議会構成もこれからである。各段階の人事が組まれていくのもしばらくはかかるであろう。非力な私にはまだ見解を加える力はない。しかし、このボローニャがもう一段と面白くなってきたことは確かである。いま私がわずかの知識で新市長に望むこととすれば、次のことである。

◆民主主義の新たなプロセス
ボローニャ市を始め、イタリアでは直接公選市長はわずか3回目の選挙にしかすぎない。

ボローニャ市でも政党政治には習熟していると思われる反面、市民と為政者との直接民主制のあり方をめぐる点では不十分そのものだとの識者や市民からの意見を聞いてきた。

このことが5年前に右派へ政権を奪われる背景ともなった。そうした点では、議会・地区議会・政党とともに、市民と市民団体各階層が直接対話する民主主義の新たなプロセスをどのようにつくり上げていくかが、今後にかかっているようである。

エミリアンモデルの再構築とは、政党がその内部で多くを決定してきた政党のあり方そのものを見直すことであり、市民と市民団体各階層のネットワークがどのように再構成されるかにかかっているものと思われる。

◆魅力あるボローニャづくりへ向けて
ボローニャ市行政の分野によっては、過去5年の右派政権の経過で傾向はやや異なるが、政策上の全面的な再点検が求められよう。

例えば、ボローニャ市の人口は過去10年減少を続け、イタリア人の転出と代わって外国人移民の転入が続き、生粋のボローネーゼ(ボローニャ人)とよばれる人々は3分の1になっている。

若者の安定した就労は極めて困難で、結婚するには経済的に困難な若者が大勢いる。高齢化社会は急速に進行し、こうした人たちへの物的・精神的援助は行き届いているのだろうか。

弱者への負担の重い大気汚染対策や、人にやさしい街づくりなどの環境整備はできているのだろうか。南部に比べ、北部は豊かだということを何度か聞いてきたが、いま市民に求められている豊かさは本当に存在しているのだろうか。

望ましいボローニャの長期戦略とそのもとでの政策づくりがいまあらためて求められていると思われる。

すでにコッフェラーチ氏は、選挙用パンフ「ボローニャ2004、過去の街、未来の街」で「プロジェクトから計画へ」と記している(注4)。私にはこの「計画」の言葉には市民との対話を通じた政策策定の過程を重視するものとして期待したい。

「生産を一新、行政の刷新、生活の質の刷新」を掲げている。このことが本当に実現していくのかどうかである。政権党による60%の絶対多数の市議会議席確保は法定によるものであり、仮に困難があるとすれば新市長とこれを支える中道左派グループそのものかも知れない。

ここにこそ自己革新の新たな動きを期待することにしたい。


(注1)il Giornale, Lunedi 14 Giugno 2004, la Repubblica , Lunedi 14 Giugno 2004.

(注2)il Domani, Martedi 15 Giugno 2004.

(注3)http://servizi.comune.bologna.it/elezioni/2004/elez_bo_B_t_00.html

(注4)Scegli oggi la Bologna dei prossimi deici anni. Il progetto di Sergio Cofferati,2004,p.4〜5. なお、グアザロッカ陣営のパンフは次の通り。1999-2004 Bologna. I progetti realizzati dall’Amministrazione Comune e quelli in corso di realizzazione.,2004,


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