梅浩先生のボローニャだより
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第3節 ボローニャにおける環境問題への取組み

〈環境問題への取組み〉

環境問題といってもさまざまな側面がある。ここでは都市生活によって発生する廃棄物処理問題及び大気汚染問題の一部を取上げてみたい。

出身地、名古屋ではゴミの最終処分場が近郊の愛岐処分場(岐阜県多治見市)で限界に達し、新たな都市施設建設地として、名古屋港港湾計画西1区(藤前干潟)での着工が一旦は予定された。

しかし、そこがわが国最大のシギ・チドリ類の渡り鳥飛来地であり、市を二分する大きな政治問題に発展したことはまだ記憶に新しい。

1998年末の藤前干潟の保全決定をきっかけとして、ゴミ問題のあり方が根本的に問い直されていった。以来、分別収集の徹底と資源化への努力(空ビン・空カン・プラスチック製容器包装・紙製容器包装・指定袋による燃えるゴミ・同不燃物等の分別収集)が行われていった。

さらにはコンテナボックス収集の廃止、事業系ゴミの全量有料化、粗大ゴミの有料収集への移行、などである。

こうした近年の地元での取組みに加えて、ボローニャの環境問題の取組みには幾つかの思いを持っていた。

それは、スエーデンのストックホルムで最初の国連人間環境会議(1972年)が開催されたことに象徴されるように、一般に西ヨーロッパではいち早く環境問題への取組みが強められていったこと、エミリア・ロマーニャ州では産業発展と関わった河川の汚染問題の発生と、それに対処する広域的な環境管理計画に沿った取組みがなされているという認識である(注1)。

さらには州の東海岸沿いの、例えばラベンナ県を含む地域では「ポー・デルタ公園化計画(Parco Delta del PO)」が実施に移され、人間の行為によって破壊ないしは汚染された地域の環境再生が行われていることが頭にあった。

この事業については「環境の再生はいま世界的に広がっている。イタリアのポー川流域の干拓地の湿地再生(略)など、公害や自然・街なみの破壊を復元し再生する政策が、公共政策の中心になろうとしている」として、日本でも先進的な事例として紹介されている(注2)。

これらの思いを持ちながら、州都ボローニャの環境政策の一端にふれる時、やや名状しがたい複雑な心境に陥った。それは1999年のボローニャ市の政権交代と関連があるかも知れないし、もっと以前から人々の環境意識そのものの有りようかも知れないと思ったのである。

〈廃棄物処理=8割が無分別収集、その全量を焼却後埋立て処分〉

◆廃棄物の収集方法

ボローニャ、灰色は無分別ゴミ、黄色は乾燥ゴミ(紙・プラスチック・缶・鉄)
ボローニャ、灰色は無分別ゴミ、黄色は乾燥ゴミ
(紙・プラスチック・缶・鉄)

ボローニャ、緑色は有機ゴミ(厨芥類・灰・土・植物)
ボローニャ、緑色は有機ゴミ
(厨芥類・灰・土・植物)

ボローニャ、緑の収集コンテナはガラス・缶
ボローニャ、緑の収集コンテナはガラス・缶

まず写真を見ながら、収集方法を説明しよう。

写真1:左側灰色の収集コンテナは、「無分別ゴミ」とある。つまり別の収集方法を除く
すべてのゴミが、ここに該当となる。「無分別ゴミ」の名のとおり、あらゆるものがここに投入可能となる。

次に右側黄色の収集コンテナは乾燥ゴミとあり、分別ゴミの範疇に入るのであるが、指示されているものは紙・プラスチック・缶・鉄製品である。缶はアルミ缶、スチ−ル缶を含めてである。

だから分別とは言っても、水分を含まない乾燥状態という点での仕切りであり、可燃・不燃、あるいは素材的にも全く多様なものの入り交じったまさに「多素材収集物」である。

この分別のあり方には、この数年来日常生活で苦労もし、確認してきたことからすれば、どうもしっくりとこないのが正直な実感である。

次に写真2の収集コンテナには、「有機ゴミ」と書かれ、その下に厨芥類・灰・土・植物、の表示がある。これらが有機肥料化され自然に還元されていくことができれば、この収集でもよいかも知れないが、現実にはそうでもなさそうである。

そして最後に、写真3・緑の収集コンテナの「ガラス・缶」である。投入している状況は、透明、緑、茶褐色を問わず、ガラス類はすべてである。しかも溢れる状態になる前までは、高さがあり投入と同時に砕けていく。

日本では色種別の混合は再生利用には馴染まないとされ、色別の収集が強調されていた。加えて、アルミ缶、スチ−ル缶を含めた収集である。何とも理解が困難である。

◆収集廃棄物の統計
こうして収集されたゴミ統計を、表−1で見てみよう。

写真1灰色の「無分別ゴミ」収集コンテナで収拾されたゴミの合計は、1996年は構成比86%であり、その後97年から99年にかけて段階的に下がってはいるが、2000年、2001年は下げ止まって75%である。

これに道路清掃によって、自動車や人間が手作業で収集したものを加えて、79%となる。
残りの21%が分別ゴミである。1%以上の重量のあるものを拾い上げてみると、最上段の「多素材」は紙・プラスチック・缶(アルミ・スチール)・鉄であり、これに加えて、紙・段ボール、ガラス・食物ゴミ・有機ゴミ・粗大ゴミなどである。

◆収集廃棄物の行方
次に問題になるのが、廃棄物の行方である(注3)。

2001年、灰色容器や道路清掃で収集された「無分別ゴミ」79%に相当するものは、ボローニャ市外であるが、比較的近郊の焼却処分場(コムーネ名Granarolo dellユEmilia)に持ち込まれ、焼却される。

これらの10〜15%が灰・不燃物として残ることになる。この残留物はモデナ県境に近い埋立て処分場(同Castello di Serravalle)に運搬され、掘られた穴に投棄され埋め立て処分となる。ここでの問題は焼却時のダイオキシンの発生であり、処分場用地の確保の問題である。

一方、分別収集され集められた21%に相当するゴミは、マグネットにより鉄分が選り分けられ、紙、プラスチックなどが人間の手で選り分けられていく。

これらの処理過程の業務は、HERAとよばれる第3セクター、及び民間会社に委託されて行われる。なおHERAは、51%公共、49%民間の資金負担による公社である。名称から判断すると、電気ガス・水資源・環境に関する広範囲の業務を扱う。

1995年にボローニャ県を範囲とする第3セクターのSEABOを改組し、業務内容、及び事業範囲を変更し、ボローニャ県からエミリア・ロマーニャ州の海岸部へ向けて範囲を拡大したものである。

ガラス類の行方はどうであろうか。

収集ガラスを再生処理するための専門民間工場の1つを、外部からではあるが見ることができた。ボローニャ県とモデナ県は境を接し、そのモデナ県に少し入ったところである。

この周辺の地域は、Meta というモデナ県を対象とする他の事業体が担当している。収集コンテナは、HERAと比べ、「ガラス・缶」のみは全く同様である、しかし他の「紙・ダンボール」「プラスチック」などの分類がやや異なっている。

従って、ここの工場にはボローニャやモデナを含めた相当広範囲から収集ガラスが持ち込まれるものと想像された。

事前に缶類は別のところで一応選り分けられるのであろうが、野積された原料となる収集物はガラスの色も多様なら、プラスチックや缶類も雑多に混じっているのが見えた。

一体この再生の工程と採算がどうなっているのか、何とも想像が困難な状況である。

収集ガラスを専門に扱う民間工場、ボローニャ−モデナの境界近くで
収集ガラスを専門に扱う民間工場、
ボローニャ−モデナの境界近くで

野積みされたガラス・プラスチック類
野積みされたガラス・プラスチック類

野積みされたガラスの山
野積みされたガラスの山

◆ゴミ収集に関するロンキ法並びに課題
いまボローニャで問題になっていることは、「分別収集」のあり方もさることながら、この収集の割合をどう引上げるかである。

この数値と関わり、ロンキ法とよばれる法律がある。「1997年2月5日、立法上の規定 第22号第24条、分別収集の地域毎に1999年までに分別収集割合を15%に、2001年までに割合を25%に、2003年までに割合を35%に達するようにしなければならない」とある(注4)。

この目標年次の最初の1999年には、その前年を含めて若干の改善がみられた。しかし、2001年には21%で目標の実現には及んでいない。相当な開きがあり、おそらく2003年も同様で未達成と想像される。

以上をまとめると、@無分別収集の多さはここ数年やや減少してきているが、ロンキ法の条項をクリアーせず、社会全体のこの問題への関わり方の不十分さを感じた。この問題については、1999年の左派から右派への政権交代の前後でも変化は起きていない。

つまり、「私捨てる人、あなた片づける人」の感が極めて強く、収集コンテナを含めた収集のあり方を見直す必要があろうと思った。A焼却処分時の問題、特に猛毒のダイオキシン類を発生させないようにするための対策がどう取られているか確かめる必要を感じた。B埋立て処分場の利用を最小限にし、かつこれまでの処分場で毒物が流出していないかどうかについても検証が必要なことを感じた。

〈大気汚染=憂慮される大気汚染〉

◆大気汚染の統計
ボローニャの統計資料に、もう1つ大気汚染濃度がある。測定地点は、おおむね歴史的市街地区(チェントロ)に近い外周部である。これを限られた資料であるが手元にある写真7の名古屋の資料(1998〜99年)と比較してみよう(注5)。

二酸化窒素(No2)はボローニャ/名古屋が0.100〜0.150/0.030 mg/m3である。二酸化硫黄(So2)のそれは、0.011〜0.033/0.005 mg/m3である。二酸化窒素(No2)でボローニャは名古屋の3〜5倍、二酸化硫黄(So2)で2〜6倍の値となっている。

因みに名古屋は東京や大阪に比較して大量公共輸送機関の普及度が低く、自家用自動車への依存度が極めて高い街として知られている。その名古屋の少し年数の古い資料との比較である。そうした点からいってもボローニャの大気汚染は、決して良好とは言えない。

また、浮遊粒子状物質(SPM)のそれは、ボローニャ/名古屋が0.055 〜0.171/0.040〜0.042 mg/m3であり、同等か3〜4倍の高さとなっている。なお、エミリア・ロマーニャ州における都市データを、EU規準と共に示したのが、表−4である。2004年実績で、ボローニャはフェラーラに次いで、規準値を超えているのがわかる。

おそらくフェラーラは大型のプラスチック工場との関連が予想されるし、ボローニャはいうまでもなく1999年以後の歴史的市街地区への車の乗り入れ禁止が解除されたことが要因として考えられる。しかも、歴史的市街地区に近い外周部に測定地点があるとすれば、その内部はもっと深刻かも知れない。

表-2 ボローニャ市中心地域の大気汚染濃度

表-3 浮遊粒子状物質濃度

◆生活実感
ボローニャにきて、春先に鼻水をかみ、目をしばたいている人を数多くみた。日本の杉などの大量植林による花粉症の類は、まさか森林面積の少ないイタリアにはないだろうと予想していた。それだけに、要因はまた別にあるかも知れないが驚きであった。

要因の1つに政権交代後5年間の大気汚染の悪化があるのではないかと推測した。1年間の滞在の大半を歴史的市街地区(チェントロ)に住んできただけに、空気の新鮮さはお世辞にも良好とは言えないことは断言できる。

また、これに加えてこれまでもお伝えしてきた喫煙率の高さが相乗して、アレルギーに悩んでいる人を数多く見たのだと思われる。なかには防毒用と推定できるそんなマスクを着けている人をボローニャの日常生活で見たのも驚きであった。

大気汚染の実態と現実の罹患者の状況がわかれば、この問題がもっとクリアーに見えてこようと感じた。

〈最後に〉

私は、イタリアに来て、イタリア人とこんな会話をしたことがある。

「イタリアは国家の財政は貧しいが、国民の生活は豊かだ。それに比べ日本は国家の財政は豊かだが、国民の生活は貧しい」

しかしこれだけではなく、さらに「国民の生活が豊かになるには、人間関係と生活条件の豊かさが必要だ」ということが付け加えられなければならないと思った。

イタリアにいて生活条件の豊かさには、これまで見てきた環境問題や今日の先進技術も含めた人類の達成した努力をこの地にどう実現していくかだと思った。

もちろん日本についていえば、国家や企業社会の豊かさが常に冒頭に論じられ、国民の豊かさが疎んじられていく社会こそ克服されていくべきだろうと思った。

エミリア・ロマーニャ州内における環境政策については、その多様な側面が総合的に、かつ市民生活の実態に即した議論がなされていくことが必要であろうと痛感した。


(注1)佐々木雅幸「創造都市への挑戦」岩波書店、2001年pp.98〜102参照。

(注2)永井進、寺西俊一、除本理史編著「環境再生」有斐閣、p.3。

(注3)一部は、Ugo Mazza氏(前ボローニャ市環境・都市計画担当参事、現エミリア・ロマーニャ州議会議員)への2004年5月21日インタビューによる。

(注4)http://www.arpa.emr.it/piacenza/opr/regolamento/decronchi.htm

(注5)東海自治体問題研究所ほか編「なごや暮らしと自治のDATA Part4」2000年、pp.55。


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