梅浩先生のボローニャだより
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第1節 EU拡大で迎えたイタリアの5月

〈5月の青春〉
2003年7月の滞在から10ヶ月を経て、残りは2ヶ月となった。

イタリアで5月を迎えようとは思いもよらぬことだった。

私の中にイタリアが芽生えて、はや20年近くなる。しかし休暇が取りやすい夏を除いては、イタリアへ来ることは無かった。なかでも、冬を超えた春、すべてに花が開き、萌える緑、青春そのものの季節である、

イタリア半島の5月にいることが私には夢のようである。

滞在日数が少なくなったが、事情により下宿を変えた。ボローニャ・サッカー場近くである。当然ながら、場所が違えば景観は異なる。

「第38回 ボローニャの歴史探訪」で、自然河川であるレノ川につなげて人工開削したレノ運河のことをお伝えした。サッカー場近くからはこのレノ運河の水が今でも勢いよく流れているのが見える。

その両岸は散策路となり、休日には若者、親子連れ、お年寄りが思い思いに自然を満喫し、中にはジョギングをしている。歴史的市街地区(チェントロ)の喧騒を離れた、郊外の自然の中にいることを実感する。

その5月が、イタリア語の辞書では春の美しさとか、青春のシンボルの意味をなすとも書かれている。希望を持たせる5月の青春であることを期待したい。

いま、イタリアではイランで人質とされ今なお解放されない国民の動静を伝えるニュースと、EU拡大のニュースが流れてくる。5月をスタートとしたEU拡大が、実は多様な国々の存在を認める点において極めて重要なヨーロッパの動きだと考えられる。

このことについて記してみよう。


萌える緑のボローニャ


街路樹にも緑と花が一杯


レノ運河周辺の景観

〈EU拡大〉
イタリアとヨーロッパにとって新しい旅立ちとなる東方へのEU拡大の日を迎えた。

新聞各紙はこのニュースを掲載している。どのような拡大になるのか、「IL Sole 24 ORE」によりその一部を紹介してみよう(注1)。

◆「EU国土、東方へ拡大」
「2004年5月1日は、EUにおける時代の転換点となる。最初の6カ国(イタリア、フランス、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ)がスタートしたのは、なんと1950年5月9日であった。それから、喜ぶべきことに加入する数は15カ国に達するまでに増加した。

1973年デンマーク、アイルランド、イギリス、1981年ギリシア、1986年スペイン、ポルトガル、1995年オーストリア、フィンランド、スエーデンの加入である。今年10カ国の国々が新たに加入する。それは、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、キプロス(ギリシア側半分)、それにマルタである」

ここにはEU(ヨーロッパ連合)が、段階を追って拡大をしてきた国々が記されている。写真4で見る従来加盟していた黄色から、新たに青色の10カ国を加えた新しい国家連合が誕生するのである。キプロス、マルタが地中海の国であり、他の8カ国は旧「社会主議国」である。

もう少し同紙誌の説明を見てみよう。


15から25カ国へのEU拡大、
キプロス(右ペン先)・マルタ(左)を含めた青色


「EU拡大」を伝える新聞
(Il Sole 24 ORE, 2004.4.26)


「壁のない拡大EUの祭典」の記事
(l’Unit_, 2004.5.1)

◆「EU共同体政府の不安、企業家にとって大きな魅力、“新社会”は成長への欲求を持つ、EUは25カ国、4億5千万人」
「1つのダッシュになるだろう、それは不可能ではない。EU15カ国で構成された現在のヨーロッパ国土が、2%の経済成長を維持し、EUへの新加盟国が4%の成長をつけるだろう。それが少なくとも50年続くことを望んでいる。

何故ならば大変貧しい国々は、西ヨーロッパの生活と列車を連結することができるからである。もし新規加入国が3%の数字に止まるなら、エコノミストが指摘するように、順調な期間はもっと短くなるだろう」

「今年の大きな政治的取り決めの枠組みは、EU10カ国の新メンバーの5月登場であり、プロセスの最初の区切りとなる。それは2007年のブルガリア、ルーマニア加盟を迎え、そしてバルカン諸国やトルコの加盟へ前進するように導くことができるだろう。

数週間内に、EUは新しい特徴をもった連合へと変わるだろう。ヨーロッパの国内総生産は増大する。しかし新しい変数が加わり、システムの複雑さはさらに増加するだろう。

労働市場をとってもそうだし、例えば商品、人間、資本の自由な流通は、ラトビアからアイルランドへ、さらにイタリア半島の最南端部まで移動し、混乱するに違いない。しかし10カ国の加入は、EUを25の国と、4億5000万人の統一へと導くことになった。

単純な予想だが、困難は無くなることはない。単に所得の大きな違いのためだけでなく、異なる経済構造によるものであり、それは容易に統合できるものではない。

確かに、人々にはEUのどの地域にも商品や資本を送ることが許される。

しかし、フランスやドイツやギリシアは、拡大後2年間労働者の流入を制限している。スペイン、オーストリア、ポルトガルは、新しく許可された限定的な数字が与えられている。

*表 新EUの経済(別ウィンドウ)

イギリスでは、審議が開始された。イタリアのケースは、充分周知で、この場所でまた話す必要はないだろう(注2)。だが、規制外へ流出していく移民の危険性は、相当に制限されているようである。

ブルームベルグ紙の記者、マッシュー・リンは、少なくとも3つの理由によって、移民は少ないだろう、と安心させている。

@言葉と文化の違い、A西洋が雇用で求めているのは高度な資格のある者でありこれは多くはない、B重要だと思うが、東ヨーロッパは充分に良好になると信ずる」

〈EU拡大地域への企業進出〉
◆ここまできて私は、職人・中小企業全国連盟(CNA)モデナ県協会のM・トレッジャーニ氏におこなったインタビューを思い出していた(注3)。ボローニャの隣町・モデナ県内の中小企業を束ねる彼を通じて、海外進出との関わりを探ろうと以前行ったものである。

氏がさまざまに語った中で、いま拡大EUとの関連で印象的だと思ったのは次の点である。

第1に、自らの経験もふまえ旧ソ連体制下、コメコン(注4)の「社会主義分業体制」の名のもとに、傘下の各国にはそれがいかにソ連本位、ソ連に都合のよい産業を押し付けていたかを語ったことである。

A国には繊維、B国には電力生産、C国にはTV生産の類である。こうした奇形的な産業発展と、壁崩壊後の設備・資材の海外流出に伴う諸困難である。旧東欧諸国が、これまで困難な経済状況におかれていたことについて実感をもって語っていた。

第2に、全世界との取引を通じて製造業や企業家精神に関わる各国の特色をよく見ていていることを思わせた。

例えば工作機械に関して、「大変正確で、標準的な機械が欲しいなら日本市場に援助を求める。中級の力強い機械を求めるならドイツに援助を求める。もし1つのことが大変良くでき、信頼性の高い機械が欲しいなら、イタリアの生産者の援助を求める」という言い方である。

そして商業経済道徳と言おうか、特許権等の法制度が整備途上である中国などに関しては、警戒感をもって対処していることをうかがわせた。

◆この2つの文脈の中で、EU拡大を眺めるとどうなるのであろうか。私には次のようなことであろうと推測する。

まず氏を始めとし傘下の企業にとっては、東欧への親近感である。自らが東欧をよく承知していることはいうまでもないが、この限られた数十年間は経済体制の違いはあるとしても、ヨーロッパ文化圏としての同一性の強い認識を持っているものと思わせた。

これに比べ、製造業の様々な局面において好ましい思いをしてこなかったとする他地域の幾つかの国々への進出は、二の足を踏んでいる感じとみたのである。

すでにこのボローニャにもヨーロッパの周辺諸国やアフリカ、アジアから多くの移民労働者の参入がある。こうした現状と、そして賃金コストを合わせて考えるなら、東欧諸国との取引をいっそう強化することが望ましいとの思いを持っているものと想像した。


国民のヨーロッパのために、
5月1日集会の呼びかけ「平和・労働・社会的公正」


5月1日、国民の新しいヨーロッパのための集会


イタリア人人質事件の動静を伝える新聞
(corriere della sera, 2004.4.27)

〈多様な存在を認めるヨーロッパの動き〉
◆私は、EUとその拡大についてすべて望ましいものであるかどうかは承知していない。しかし、アメリカとの対比において、いまヨーロッパは新しい歴史を刻んでいることを述べておきたい。

「不死身のヨーロッパ‐過去・現在・未来‐」(テオ・ゾンマー著、加藤幹雄訳)には、次の指摘を見ることができる(注5)。

「ヨーロッパの進路指針は、『多様性から統合へ』ではなく、むしろ『多様性を内包したままの統合へ』である。・・・中央集権化された連邦国家や緩やかな合衆国はない。・・・言語、文字、食習慣などを含む伝統方式を頑固に守り続け、グローバリゼーションによる均質化への圧力を払いのけるであろう」「2020年までに加盟国数は25ないし30に増大する可能性がある」

この内容は、1999年11月時点で書かれている。4年半後の今年2004年半ば、すでに25ヶ国に達した。ヨーロッパは「多様性を内包したままの統合」へと進んでいる。

「ヨーロッパとは何か」(豊田四郎)では、日本において明治以来存在したヨーロッパ崇拝思想の問題、その根底となるかつてのヨーロッパ中心史観には、世界の多様な存在を認めないヨーロッパ中心思想があったことが述べられている(注6)。そうしたことから言えば、すでに新しい動きが始まっているとみてもよいのではないか。

そしてこの動きは多くの識者からも指摘されている。

「アメリカ市場原理主義との決別、ヨーロッパ型資本主義」(福島清彦)は、「弱肉強食の米国流よ、さらば!これが、市場の暴走を許さず、福祉を重視する西欧スタイルだ」として、9.11の教訓に立ち入り、アメリカとの相違でヨーロッパ経済社会システムのあり方を論じている(注7)。

いま、アメリカの一国至上主義ともいえる行動を前にすると、多様な存在を認めあい、共存する社会のあり方をめぐって、極めて重要な2004年の5月を迎えていると思った。

◆5月1日、メーデー。イタリアの祝日である。記録でみる昨年のマジョーレ広場での大集会とはうって変わり、今年は小さい規模だが、EU拡大の日に当り、国民のためのヨーロッパ統合と題した集会が開かれていた。この統合が、平和を確保し、労働者にとって犠牲が強いられることなく、かつ社会的公正が実現するようにと訴えられていた。

1年前の5月3日私は地元名古屋で、緑の息遣いが聞こえてくるそんな感じのする五月晴れの名古屋市鶴舞公園、同市公会堂にいた。恒例の愛知憲法会議主催行事の日であった。

その時の、メッセージは、「いま、この国のなにが危険なのか」と題した高橋哲哉氏(東京大学教授)の記念講演であった。それから1年。イラクへ自衛隊が派遣され、事態はいっそう進行した。

今年の憲法記念日には何が訴えられたのであろう。昨今の動向をみると、多様な存在を認め合うヨーロッパの到達点に学びたいと思った。


(注1)“IL Sole 24 ORE”Lunedi 26 Aprile 2004, 同付録 “Modena Mondo, EUROLANDIA si allarga a EST”, N.4 aprile 2004 anno ,pp22-27. 著者,Ugo Bertone.

(注2)イタリアも「新しく許可された限定的な数字」によるもののようだ。

(注3)2003年11月17日、インタビュー。

(注4)コメコン(経済相互援助会議)、1949年設立、旧ソ連圏の経済協力機関とされていた。

(注5)岩波書店、2000年、pp.105,133。

(注6)岩波新書、1967年第1刷、2002年第54刷。P.5,pp.15。

(注7)講談社現代新書、2002年、カバー


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