梅浩先生のボローニャだより
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第6節 イタリア教育改革

〈滞在2度目のゼネストは教育改革〉

教育改革、イタリアの未来がかかる

昨夜来、ボローニャで激しい春雷があった。朝はやや小ぶりになっていた。

今日3月26日は、政府の教育改革に対して意思表示となるゼネストが行われる日である。昨年10月24日の年金問題に続く、滞在2度目のゼネスト。時間も同じ4時間の時限ストである。

インディペンデンス通りは早くから車が入ってこないように道路が遮断されていた。あちこちからマッジョーレ広場に人々が集団で集まってくる。今日はネプチューン像を背景に舞台が設えられ、図書館サラボルサ前からインディペンデンス通りにかけて集会場となっていた。

「あなたの仕事は?」「事務員だよ」、「今日のゼネストは?」「イタリアの未来がかかっているからね」。人々が続々集まってきていた。

その後、ボローニャ駅のインフォメーションに聞くと、午後は問題ない、午前中も少しは動いているよと動じる気配もない。帰った下宿のTVはローマで年金問題等のことも報道していた。

要求事項は教育だけではないようだ。いつも行くスーパー内の生ハムを扱う店は「ゼネストにつき閉店」と書いた紙を張り、店内のそこだけは閉店していた。

「3.26ゼネスト、我々は未来をつくる」/ネプチューン像を背景に
「3.26ゼネスト、我々は未来をつくる」
/ネプチューン像を背景に

ゼネスト、ボローニャ集会/インディペンデンス通りまで広がる
ゼネスト、ボローニャ集会/
インディペンデンス通りまで広がる

「ゼネストにつき閉店」、スーパー内の生ハム店
「ゼネストにつき閉店」、
スーパー内の生ハム店

教育改革への現状は?

教育改革に対する現状がどのようになっているのか、私にはいま一つ充分に理解できない。何故ならば、法案成立後教育省がつくったパンフでも、いまはその部分については解消されたという具合であり、理解が難しいところがある。

今回は理解できた範囲でこの問題についてお伝えしたいと思う。主な資料出所は、イタリア教育省出版資料(注1)、及びCGIL学校組合エミリア・ロマーニャ州書記長カッチーニ氏へのインタビュー(3月19・25日)によるものである。

教育改革法案自体は、すでにちょうど1年前の2003年3月28日53号法として成立している。1年経った今年2月5日ローマでは教育大臣・同次官と各労働組合の教育関係部署の代表が会談している。

冒頭それぞれ声明を発表し、立場を明らかにしている。下記はそのうち小学校に関係する部分であるが対峙した状態がわかる。(注2)。

○モラッチィ教育大臣は、荒廃した危機に対する小学校教育への実施通達、それは1月23日の閣議で認められているが、その通達への回答を望んだ。

○パニーニCGIL学校組合書記長が、3大労組学校組合(CGIL、CISL、UIL)と組合連合体を代表して主張した。通達への賛同要請に対する返答は、実施通達の違法性のために不服申し立てを行い、その結果は法律事務所に手渡された法律的な命令に現れている。

つまり政府は改革実行を迫り、関係教員組合は実施通達の違法性を申し立て、通達への違法性が認められているとのことである。こうした拮抗した状況の中でのゼネストである。

義務教育年限の延長は、いつの間にか雲散霧消

イタリアの教育制度はどうなっているのか、表−1 学生の進路と新教育システム(別ウインドウ)で全体のシステムをみてみよう。

イタリアの教育は右側に示されている年齢3歳から始まる。連載第18回でお伝えしたように、就学前の3年間の幼稚園は事実上の皆教育が実現している。しかし義務教育ではない。

そして、小学校5年間、中学校3年間、合計8年間が従来からの義務教育である。この後、希望者はそれぞれ5年間の高等学校または技術学校、職業学校に進んでいた(第20回参照)。さらにどのコースからも大学へ進学することが可能だったのである。 今回の改革で、中学校卒業後の高等学校ないしは技術学校・職業学校における5年間の最初の4年間を加えた、合計12年間の義務教育年限延長の議論が一旦はあった。

日本では小中高校の6・3・3制、計12年間が準義務教育と呼ばれることがあり、これに相当する期間が義務教育への転換となるのかと理解していた。しかし、現在ではその話は全く後景に退いてしまっている。

〈提案された教育改革〉

以下、教育改革で提示されている主な問題点を見てみよう。

授業時間の大幅な削減

私には、単位時間及び週あたり授業時間の実態がどうなっているのか、把握できていない。しかし、表−2 イタリア教育改革比較表(別ウインドウ)の資料から判断し、次のことが言えるのではないかと考える。

幼稚園=週あたり40〜50時間の幅の中に収まっていたものが、27〜52時間へと上下の幅が極端に拡大している。おそらく大幅な弾力化と幼稚園段階における一部エリート校化の2極分化を促すものとなっている。

小学校=27〜33時間、給食時間を含めて最大40時間が、27〜30時間、最大40時間への変更である。変更点は33が30時間に変わっているところである。

多くの小学校での実態はこの変更点に触れる線上にあるものと推測される。従って、小学校段階での弾力化の進行である。

中学校=通常は30時間で、その他33、36時間の種類であったものが、27〜33時間への変更である。やはり30が27時間へと減少するところが大きな問題点であろう。授業時間の削減である。

つまり幼・小・中学校における全面的な授業時間数の削減である。日本における教育改革でも常に問題になってきたことの1つに、主権者としての国民的教養の基礎、すなわちその水準をどこにおき、どの段階で、この獲得実現を達成していくかということであった。

イタリアの場合、この中身はとても理解できないが、従来達成していた知識・技術の大幅な切り下げ以外のなにものでもないと思われる。

後期中等教育への複線化コースの再導入、大学進学への道を閉ざす

表−1の進路の流れをみても分かるように、高等学校から大学へ向けて進路を取ることはできる。同時に、技術・職業学校、技術専門課程への選択も可能なシステムである。

それでは、この逆はどうであろうか?技術・職業学校から大学への進学である。これまでは5年の卒業をもってどの道からも大学進学は可能であった。

しかし今回の改革によりそれは全くできなくなった。技術・職業学校は5年間から4年間の短縮した期間となり、望んでも大学進学は不可能となった。技術教育・職業教育と科学技術の理論を結合する今日のこの分野での到達点を否定する新たな改定となっている。

このことは結果として、ボローニャをはじめとしてエミリヤ・ロマーニャ州で貴重な知的財産として貢献してきたA・ヴァレリアーニなどの商工技術学校やE・シラニなどの職業学校の質的な変化を伴うものとなっている。

1990年代における過去10年間のボローニャ大学で、後期中等教育卒業生の激減・大学進学率の急速な上昇とともに、すでに商工技術学校や職業学校からの進学は激減し、高等学校卒業生の比重が増大し、大学生の質を構成する内部構造が大きく変容していることを報告してきた(第25回)。

今回の改革で、150年にわたりボローニャ地方で大きな役割を果たしてきたこれらの学校への進学数は一段と減少を余儀なくされ、置かれた状況はさらに悪化するように感ぜられる。

歴史的にいえばイタリアでは、教育改革へ向けての「暑い夏」のたたかいをへて、1968年後期中等教育における進路選択上の袋小路、複線化コースを廃止し、それを克服してきた。

以後どの学科・コースであろうとも望むなら大学進学が可能となり、国民への大学の開放、大衆化が実現したのである。

もちろんその中で新たな問題も抱えてきた。例えば、大学に在籍し、無資格で退学していく者の多さである。

それにしてもこれまでイタリアの後期中等教育と大学教育が成しえてきた歴史的な足跡を、もう一度逆行させることになるとは、それが何故なのか私には理解できない。

ここで日本のことを振り返りつつ、意見を少し付け加えておこう。

日本においてA・ヴァレリアーニなどの商工技術学校に相当する教育機関は、技術系に限っていえば蔵前高等工業学校(現東京工大)や名古屋高等工業学校(現名古屋工大)などとして明治期に設立された。

これらが戦後新制大学制度のもとで、装いを新たに大学に転換していった。同時に大学工学部も戦後量的にも質的にも充実し、いわゆる高度経済成長を技術面で支えたことは周知の事実である。

その意味では、現在の日本でいえば工業高校や工業高専にならぶA・ヴァレリアーニなどの学校が転換期に来ていることは間違いなかろう。

だがこれまでA・ヴァレリアーニなどの学校が話題の俎上にのぼり賞賛されてきたことの大切な点は、技術が産業に阿(おもね)るのではなく、対等の立場で協力関係とネットワークを作り上げてきたという点であろう。

ジョヴァンニ・セディオーリ同学校長の言によれば、我々はこうした協力関係を作りあげてきたが、ボローニャ大学などは一部の大企業との協力関係はあっても皆無に等しいとのことである(注3)。

従って、知識と同時に技(わざ)・技術を学ぶ、産業との対等な協力・ネットワークを組む、より学問的に深めることを望めば大学進学が可能になる。これらがこれまでのボローニャにおける到達点ではなかっただろうか。

これらからの逸脱や偏向となれば、今後に大きな影響を及ぼすことになるだろうと、そう感じた。

近所のイルネリオ国立中学校
近所のイルネリオ国立中学校、
小規模で人が居ないかのようだ

中央郵便局前の桜、花は小ぶり
中央郵便局前の桜、花は小ぶり

スーパー・CONAD前の桜
スーパー・CONAD前の桜

財政面から国の責務を放棄

高等学校・技術学校・職業学校は、従来大部分が国立であり、一部コムーネ(市立)が運営してきた。ボローニャの産業に貢献してきたA・ヴァレリアーニなどの商工技術学校やE・シラニなどの職業学校についてはすでに報告してきたが、これらは設立の経緯から、ボローニャ市が運営し、市立となっている(第20回)。

今後は、高等学校は国立を維持し、技術学校・職業学校は国立から州立へ移管となるようである。実施年度は私には不明であるが、おそらく中学校3年生の実施年度の2006−2007年度あたりではないかと思われる。

私には、国が財政負担を軽減するために、従来責任を負っていた技術学校・職業学校の分野から全面撤退をするものだと思われる。

このことはどういう結果を生むことになるのであろうか。

イタリアには20の州がある。一般に北部の豊かさ、南部の貧しさが言われている。財政力の豊かでない州においては教育条件整備への不備となり、新たな教育格差の拡大へとつながっていくことが予想される。

つまり財政措置を伴わない州への移管は、教育における新たな南北格差を生み出すことになるのである(注4)。

国家試験制度と繰り上げ入学

イタリアではこれまで、小学校5年生終了段階、中学校3年生終了段階、及び高等学校・技術学校・職業学校5年生終了段階で、それぞれ国家試験が課せられていた。つまり上級学校に進学するためには、これをクリアーしなければならなかったのである。

小学校から中学校へ進学する場合も、おそらく事実上100%の合格はあったにせよ、この制度はあった。今回、実態をふまえてだと思うが、小学校終了段階の試験が廃止される。中学校卒業、高等学校卒業時には依然としてこの試験は残っている。

また、表―2には繰り上げ入学の可能性があり、表―1の左端に0.5歳ずつ早い年齢での階梯が示されている。これは繰り上げ入学の可能性が0.5歳であることを示し、最短の場合の年齢が書かれている。ここでは紹介のみにとどめておく。

大学に在籍し、退学するものを減らす

ボローニャ大学を例に、予定年数を超過して在籍する学生の多さを報告した(第25回)。また3年間で大学を卒業できるが学士号は取れない、そのためにはさらに2年が必要だということも報告した(第31回)。

これらとの関連である。つまりこれまでイタリアの大学に関して長年にわたって聞かされてきたことは、大学で学んでも何も資格を得ることなく退学していく学生の多さである。これへの打開策であろうか。

一定程度、大学での生活に区切りをつけさせるのが3年であり、その後の2年で正規に大学を卒業できれば、ドットーレ=学士の称号が取得でき、修士課程への進学も可能になるというのである(イタリアではまだ修士のコースがある場合、無い場合さまざまのようだ)。

むしろ大学教育の中身が問われなければならないと思われる。しかし、まだまだその点は時間がかかりそうである。そうしたことからいえば、1つの現実的な解決策であろうとは思われる。

スミレを植える職人
スミレを植える職人

春、外でくつろぐ人も増えた
春、外でくつろぐ人も増えた

春、仮設古本市「どれでも1ユーロ」
春、仮設古本市「どれでも1ユーロ」

〈教員の問題として〉

イタリアの教員は約100万人いると言われている。この中で約30%、30万人が非常勤の先生のようである。

併せて月収を確かめてみた。専任教員の場合、20代半ばの青年教師で月額、税込み2,000ユーロ(手取り1,200ユーロ=約162,000円)、60歳で3,100ユーロ(手取り2,000ユーロ=270,000円)のようである。

現在の私の生活実感からするならば、特に高年齢層や、時間いくらの非常勤では全く以って安定した良好な所得収入とは言えそうもない。こうした点での改善があわせて求められているのではなかろうか。


(注1)Ministero dell'Istruzione, dell'Universit e della Ricerca"La Scuola Cambia Cos"(2003)。

(注2)“Decreto attuativo...Sindacati e Ministro a confronto” 2004-03-15

http://www.cgilscuola.it/moratti/sperimentazionemoratti/decreto_attuativo.htm

(注3)2003年11月4日。

(注4) 関連する同様の問題があることを指摘しておきたい。ボローニャ大学カペッキ教授によると、いまイタリアでは、国税20、地方税1のもとで、国から地方への財政調整が行われている。税制度と財政調整制度の不備をつくあまり、これを全く逆転させよという主張が、財政力の豊かな北部を基盤とした「北部同盟」などにある。この場合、財政調整の恩恵に浴することのできない南部の貧困な州では財政的に枯渇することが予測される。


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