梅浩先生のボローニャだより
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第4節 街の違い、人の違い

〈雪が終わり、ようやく春へ〉

3月18日、最低気温8度、最高気温20度の予報である。1〜2週間前の雪の風景がうそのようである。その頃インターネットで見る日本の新聞記事に、桜前線の北上の記事があった。ああボローニャはいつになったら春になるのか、と寒さに辟易していた。

そして、下宿の主人にきいた。いつになったら春になるのかと。そうしたら断定的に「3月21日だ」との返事がかえってきた。何故?ああ春分の日か(今年は20日)と合点がいった。近所の散髪屋のおやじに同じ質問をした。答えも同じだった。

そう言えば8月の真夏から、9月には冬を思わせる急速な季節の展開を経験した。あの時と同じように、3月下旬、春分の頃を境に冬の季節から大きく変わって行くものなのかと理解した。

その日が近くなり、確実に春が近づいていることを感じさせる今日の天気である。 私も、ジャンパーの下の衣を1枚脱いだ。昼間は厚手のコートを着ていることはできない程になった。

膨らむつぼみ
膨らむつぼみ

春を待つ団地の木々
春を待つ団地の木々

陽光をあびるボローニャ2つの塔
陽光をあびるボローニャ2つの塔

〈ボローニャとモデナ、街の違い〉

今回は最近体験した街の違いと人の違いを報告してみよう。

まず街の違いである。ボローニャ市には、ジョルジオ・グアザロッカ市長のもとに、9名の評議員がいる。評議員とは、日本の政令指定都市クラスの市役所でいえば、執行部・局長に相当するのであろう。

後に分ったことだが、その筆頭格に相当するのがカルロ・モナコ評議員(都市計画と住宅政策担当)のようだ。

その彼の話をうかがう機会があった。端的に言えば都市の根幹にかかわる内容としての都市の長期的な戦略方針をどのように持っているかである。

私は、日本で自治体の長期戦略と自治体政策のあり方を研究してきた。高度成長期の過程で地方自治法等の改正により「基本構想」を始めとする長期戦略をもって自治体運営を行うことが義務づけられてきた。

こうした関連から、私はボローニャの未来に向けた哲学ともいえる答えを期待した。しかし口から出たのは、1つには極めて現実的なものであった。

すなわち街の発展のために法律・条令が守られているかどうかであり、計画が実現していく過程で関係住民との調整をいかに行っているかに腐心しているとのことであった。

2つ目には、15〜20年単位のスパンで考えればといいながら、少子化対策の重要性を指摘した。10年前に比べ10万人が減少し、人口37万3千人である。

これはすでに私も何度か述べてきた人口急減という社会変化への対処の内容である。若いカップルを迎え入れたい。そのために結婚の正式届(写真3)があった者には、市として相当程度の祝い金を贈る。市所有の住宅を優先貸与する。保育園の新築・改築などである。

加えて右派政権としてはやや意外に思えたのは、人口減少への対策として移民を迎え入れると言われたことである。現市長が、移民に対し否定的な姿勢でことがらを進めてきていることを聞いていただけに、現実的な対応をせざるを得ないのかと思わせるものであった。

同時にだが待てよと、私には疑問がわいた。

15〜20年単位の長期戦略としての少子化対策に、結婚祝い金という一時金、仮に金額が5千ユーロ(約70万円)であるとしても、一過性の対策で解決するのかという疑問である。

しかもこの財源が「第33回ボローニャ国際見本市会場、フィエラ」で報告したような民営化による収入によるものだとしたら・・・。うーん、と考えざるを得ないのである。

一方、モデナについて少し触れてみよう。

モデナはボローニャからミラノ方向40km先にある街である。イタリアの統一国家が形成されるまでモデナ公国の首都であった。書物にも次の記載を見ることができる。

「地方都市ながら、気概に溢れる歴史を歩んできた。都市国家時代の12世紀には、モデナはボローニャと張り合っていた。1088年に一足早く都市国家となったボローニャが、同年に大学も設立。これに対抗するかのように、モデナも1182年、自らの大学を設立した」(注1)。

モデナは、今日では自動車・工作機械など有数の産業の街であり、2つの街はともにエミリア・ロマーニャ州の隣町同士である。

現在モデナは人口18万人。ジュリアーノ・バルボリーニ市長のもとに10人の評議員がいる。2人の女性評議員の1人、パルマ・コスチ氏(将来計画編成、土地利用担当)にお話を聞く機会を得た。モデナでの望ましい21世紀戦略の考えについてである。

この街では80年代半ばから人口が減少し、その後に歴史的市街地の修復に本格的に取組んだ。

やがて1989年には都市規模の上限を20万人とし、農地をこれ以上宅地化しない方針を決定した。既存の工場用地・家屋の再利用に本格着手した。もちろん周辺地区に数ヶ所工業団地も整備している。約400社が進出を待っている。

何故ならば、ボローニャと比較すると行政指導で地代を押さえ、地代高騰を抑制しているとのことである。

「中規模の都市で、市民が質の高い人生を送ることができるようにと考えたからに他ならない」と彼女はにこやかに語りかける。

モデナへの工場進出の受入れは、就業人口増加の視点ではなく、技術革新向上を最優先している。公害企業は出ていって欲しい。技術的に高いものがここモデナに集積している、と誇らしげに答える。

市民の人生の質向上を目標に、まさにしなやかだが、かつ強気でことに当っているとみた。モデナには屈指の産業集積があり、失業率は1%で市民所得も高い街である。

ここで述べたのはほんの一部であるが、将来の展望がやや見えにくいボローニャと、中規模の高い技術力をもった新しい工業都市のあり方を明確に述べるモデナとの違いはどこから来るのであろう。

私は、モデナを見ることによりボローニャの位置がより正確に見えてくると思った。それはモデナが戦後一貫オて左派政権を維持し、ボローニャが5年前から右派政権に変わったという表向きのことだけではない。

先の言葉でいえば「生活」ではなく、もう一段レベルの高い意味での「人生」という言葉を用いて、モデナ市民の「人生の質向上」を常に念頭においてやってきたとのことは極めて重要である。

このことを前提にして、公共用地・民有地に関わらず条例にもとづく公共介入を行い、展望と確信の持てる行政を行ってきたと説明するのである。

従って、ボローニャ大学ピエールジョルジョ・コルベッタ教授が指摘(第22回で報告)していたように、5年前までのボローニャ左派政権はすでに以前から都市の長期的な展望を持つことがなかったと考えるのが至当である。

それに加えて、今日の右派政権の政策が何たるかを見る必要があろうと思った。

ボローニャ市役所の結婚公示証書、一定期間内に意義がなければ成立
ボローニャ市役所の結婚公示証書、
一定期間内に意義がなければ成立

モデナ市役所入口
モデナ市役所入口

雪の積もったモデナ市市民菜園
雪の積もったモデナ市市民菜園

〈ボローニャ社会の組織と人の違い〉

次に、昔日から日本で紹介されてきたボローニャの「地区住民評議会」(以下、地区行政と称す)との関連についてである。

ボローニャは人口37万人、これを9つの地区に分けて行政を執行している。平均4万人強である。直接選挙による議会もある。規模は小さいが、日本の政令指定都市の行政区に議員がいる感じである。ここでは携わる組織と人について、現実体験を少し述べてみたい。

人口6万人のある地区での政党状況をまず記してみよう。

オリーブの木12議席(左翼民主党、マルゲリ−タ等の連合)、自由の極6議席(国民同盟、フォルツァ・イタリア等の連合)、共産主義再建党2議席、計20議席である。

地区行政の議長は、第1議会グループ(オリーブの木、左翼民主党)のヴィルジーノ・メローラ氏である。

彼は、以前は公務員としての仕事をしていて、5年前の選挙後から今の議長職についている。最近は、申請すればもとの職務を休職し、議長職に専念できるようになったようである。他の議員は該当の会議があるときにのみ出席する非常勤の議員である。しかも会議は午後6時から、月2回程度、1回40ユーロ×2回=80ユーロ(約1万1千円)のようだ。

夕食代と交通費といったところである。議会では政策上の方針を決定し、その報告を受ける仕組みである。

彼はたんたんとして様々な質問に答えた。地区行政の役割にも言及し、市民生活の質にも触れていた。そして地区への権限拡大と予算獲得にも触れたが、市民生活との関わりで、どのような共同の努力をするかについてはあまり力点が置かれていないように思えた。6月選挙で左派が勝てば次の地区議長はグループ内マルゲリ−タの予定だと言っていた。私には、今期行政はもう区切りがついたという風に感じられた。確かに任期の実質期間が4月28日を区切りとすれば、残りはわずかであることは確かであるが…(注2)。

その点では、第2議会グループ(自由の極、国民同盟)のカゼッリ・アルベルト氏の応対はやや違っていた。彼は、日常は本務である会計士の事務所で仕事をしている。その彼の話を聞き、地区行政の理解に豊かさが増した。曰く「地区行政は左派がすべて仕切っている。反対意見を言っても実際には力は弱い。政治的な対抗の状況はさておいて、市民にとって必要なことをやっていくようにしている。市民と行政のパイプ役として努力している」なる程。更にはこうも言っていた。地区行政について、「右派はServizio(奉仕)、左派はGestine(管理)」として考えている。「左派は、上から管理・統括するという考えで、保守的だ」と言っていた。左派が保守的だというのは、こういう時に使うのだと合点がいった。しかも彼のこの時の発言はメモにまとめ、すでに他のメンバーにもあらかじめ了解を取っていると付け加えた。外国人の私にも応対は極めて親切で丁寧だったことが印象的である。

最後に、第3議会グループの議員氏である。事前に前2者と同じ手続きをとり了解をとったはずが、どこでどう行き違ったのか当日に行っても不在である。諦めざるを得なかった。何と評価すべきか不明である。

9つの地区行政のうち政権担当は、6つが左派、3つが右派であり、ボローニャ市政が右派である。こうした構図のなかで、ボローニャの組織と人の違いをどう理解したらよいのであろうか。政治的立場は第1議会グループのヴィルジーノ・メローラ氏とは対極の位置にいる第2議会グループ、カゼッリ・アルベルト氏の指摘を通じて、いわゆるこれまでのボローニャ市の左派政権の実像が見えてくる感じである。彼の指摘はあながち虚構であるとも思えない。

私には、戦後の長い左派政権が続くなかで、後には左派がその政策に展望と精彩を欠き、市民奉仕の精神をやや欠いてきた結果、まさに左派に投票しなくなったと思えて仕方がなかった。カゼッリ・アルベルト氏はいみじくも言っていた。「5年前の選挙は、右派が勝ったのではない。左派に投票しなくなったのだ」と。それにしても市民奉仕を強調する彼の言が冴えるのは、地区段階では野党として挑戦者としての心、市民の目線をもってことに当っているからなのだろうか。それでは第3議会グループの議員氏はどうなのか?いろいろと考えさせられるボローニャ社会の組織と人の違いである。

大詰めの年金問題、3月18日マッジョーレ広場での大集会
大詰めの年金問題、
3月18日マッジョーレ広場での大集会

公共料金の値上がりを示して行進
公共料金の値上がりを示して行進

マドリッドの事件直後だけに、「民主主義のためにテロ糾弾」の横断幕
マドリッドの事件直後だけに、
「民主主義のためにテロ糾弾」の横断幕


(注1)時田慎也・AMIY MORI「ボローニャ/パルマ/ポー川流域」(2003)日経BP社、p.118。

(注2)イタリアでは、現職者の職務上の利益誘導にならないことを配慮してか、任期終了前の限られた日からは行政執行ができない仕組みになっているとのことである。ボローニャ市の場合は4月28日頃からのようである。逆にいえば、それから6月の選挙に向けて一斉に選挙運動に動き出すのである。


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