梅浩先生のボローニャだより
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第3節 ボローニャ社会に生きる日本人

〈ボローニャで学ぶ女性との出会い〉

大学キャンパス近くの学生喫茶室での時間はあっという間に過ぎていた。すっかり2時間半もおしゃべりしていたのだ。その相手とは、このWEBマガジン・福祉広場編集部からメールが転送されてきた読者のAさんという方である。その最初のメールの大要は、次のものである。

「『梅浩先生のボローニャだより』をいつも楽しく拝見させていただいております。第27回に精神的または肉体的なトラブルによる一時帰国ということが書かれているのを目にし、思いきってメールを送ることにしました。

現在私はボローニャに暮らしており、エッセイにも度々登場するカペッキ教授の在籍されている教育学部で生涯教育を主なテーマとして学んでいます。幸いにもイタリア人のパートナーと一緒に暮らしており、生活面での不安などからくるストレスを受けることはあまりありません。

しかしながら、一人暮しをしていた頃の自分を思い出すと、精神的に安定しない中での研究生活というのは、どんなに大変なことだろうとお察しします。

私自身在伊が長いわけでもなく、先生の研究されている分野に明るいわけでもないので何ができるとも思いませんが、微力ながらもしお役に立てるようであれば是非ご連絡ください。日本食を作って差し上げることぐらいはできると思います」

私は、さっそく返事を差し上げた。

「編集部から転送していただいたお手紙に感激しています。こんなに近くにいて『ボローニャだより』を読んでいただいているなんてびっくりです。内容に間違いもあるのではないかと、それも心配です。教育学部だとすると、何処かでお顔を拝見したかも知れませんね」

このような書き出しで返信メールを書かせていただいたのである。

その日までは、役所のインタビューで行う質問のイタリア語訳に没頭していたのだ。翻訳が一段落した日の午後、Aさんの講義終了時である午後3時、教育学部の玄関近くのイスに座って待っていた。

私がTさんの顔を知らなくても、相手の方はホームページの顔写真を見て私を知っているというのである。「こんにちは」との声で振返るとその女性が立っていた。「始めまして」こうして、対面のあと近くの喫茶室に入った次第である。

「議論の相手を恋しがる」、「疲れのたまった体を休ませる」などを心配していただいてのことであった。私は、既に一定の気分転換をはかり、体に生気が戻ってきたと記したとおりである。

私には、1人の日本女性がここボローニャでどのような思いを持って、学び、考えているのかに大変興味を抱いた次第である。

交通の要衝の街を意味するのか、赤に十字・ボローニャ市の旗
交通の要衝の街を意味するのか、
赤に十字・ボローニャ市の旗

マッジョーレ広場に展示された新型トロリーバス
マッジョーレ広場に展示された
新型トロリーバス

〈北部イタリアの方々の差別感〉

Aさんは数年前にボローニャに語学研修でこられ、昨年の今ごろからあらためて在住されているそうである。それにしてもこの「梅浩先生のボローニャだより」を数回目位から発見していただき、以後継続的に愛読していただいていたとは驚きである。

確かに街の風景の写真入りでそれ程長くない文章を、しかもボローニャの幾つかの断面を切る形で書いてきたために、一定参考になることもあったのではないかとも考えられる。

日本の家族の方々にホームページへのアクセスをお薦め下さり、自身の住むボローニャの理解の助けにしてもらっているとのことで、筆者としては望外の幸せである。

会話は私が何故ボローニャに来たのか、中国の大学客員教授をしていることの会話からはじまり、一気にイタリアにおける彼女の周辺でみる差別感の話を聞くことになった。

それは自身のご結婚とも関わっての、各地域の人々や外国人をみる目である。

すなわちパートナーのご家族の中には北部イタリア、ヴェネト州出身の方もおられ、その方は何があっても南部イタリアの方々と相交わることを好ましく思わないそうである。

それに引き換え外国人であれば、パートナーと成るべくひとが仮に他のヨーロッパ諸国はいうまでもなく、アフリカやアジアの人であっても全くそれは問題にはならないとのことである。

私はその話を聞きながら、日本にいても差別をなくすことを掲げながらも、逆差別に苦しんできたある事柄を思い出していた。目のまえで逆差別に接すると、何ともいわれぬ複雑な感情になるものである。

私は、何かの事情で北部イタリアの方が南部イタリアの方々にたいする怨念ともいえる感情が存在し、容易には拭い去れない現実があることをそこに感じた。こうした軋轢のない他国の人々には、腹蔵のない感情を持つこともまた事実であろうと思った。

ともあれこうした中で彼女自身はご家族の中に暖かく迎え入れられているとのことである。

一方、あらためてわが身を振返ってみると、どうであろうかと確かめていた。

こうして私自身も外国へ出かけ、世界の人々と付き合っているなかでも、もしも自分の子どもが外国人と結婚するということになるならばどうなることであろう。

私にはなかなかすんなりと同意できない感情の複雑さを持ち合わせている。何故ならば個人として持つパーソナリティー(個性)とともに、常にナショナリティー(国家)を持って生きざるを得ない現実があると思っているからである。

私の世代には、心の中の国際化は理性では同意できても、感情では納得できないものがまだまだ有りそうである。

こうした話の中で、ヴェネト州のメンタリティの話になっていった。

これは、私の研究テーマの一つである「ヴェネト州とエミリア・ロマーニャ州における企業家精神の相違」とも関連することである。

つまりヴェネチア共和国以来、海外の交易に情熱を注いできたかの地の人々は、製造業の拠点をどこに移そうとも大きな障壁とは感じていない風情である。

これに比べエミリア・ロマーニャ州では、この地でより付加価値の高い製品を作りあげることに心血を注いできたとのことである。この比較が大変興味深いテーマである。

機会があればヴェネト出身の方々にも話をうかがうことができるのではないかとのことである。楽しみにしたい。

ヴェネト州の州都ヴェネチアで開催中のカーニバル、サン・マルコ寺院前で
ヴェネト州の州都ヴェネチアで開催中のカーニバル、
サン・マルコ寺院前で

ヴェネチア、海の風景
ヴェネチア、海の風景

カーニバル、時代衣装をつけたヴェネチア市民
カーニバル、時代衣装をつけたヴェネチア市民

カーニバル、衣装をつけた女性
カーニバル、衣装をつけた女性

〈知らないことの数々〉

話はさらに多岐にわたった。

Aさんは教育学部のなかで生涯教育=人材資源の育成・開発、のコースに学んでいるとのことである。単位修得の一部には、各学年で決められた時間の実社会の体験が組まれていることなどを伺った。

また、時々通りすがりのなかなか由緒ある感じの教会が、普段は開かずの扉となっていて不思議に思っていた。そのサンタ・ルチア教会はいまでは檀家の援助だけではやっていけなくなり、名称もボローニャ大学大講義室となって、大学の施設に変わっていることなどをお聞きした。教皇領の北の拠点であったボローニャでも、そのようなことがあるのだと頷きながら聞いていた。

しかし、その後に聞くことはもっと気になることであった。

この元・サンタ・ルチア教会の大講義室、1000名以上も入ろうかというところであり、「日本のある学会責任者の方が講演されていた写真があったのですよ」とのことであった。

その学会とは宗教と政治に関係のある団体のことである。何故かと聞くと、「ボローニャ大学が日本で、とあるプレゼンテーションを行うことになった時、財政的に苦慮した。そこに援助を申し出たのがその学会であった」とのことである。

以後ボローニャ大学とその学会が運営する大学は、相当程度の交流協定に調印したそうである。

そう言えば、私はいまなお週わずかではあるが語学学校にも通っている。いままでいた日本人学生の中で、次のことが最近話題に上っていた。

冬場は語学学校でも、学生数は落ち込む。この1月からその多くない学生数に対し、その大学からボローニャ大学へ留学予定の新規学生が、この語学学校にも10数名やってきたそうである。上の話しと結びつければ、おそらく間違いなさそうである。

Aさんは、先の話をボローニャのある先生から直接聞かれたそうである。その先生は、学会が宗教と政治と関わるどのような団体なのか承知していた。そして協定調印には同意しかねる意見を持っていた先生もいたとのことである。

また未確認であるが、その学会のヨーロッパでの拠点がここボローニャにあるようである。いろいろ知らないことの数々を聞かせていただいた。いままでとは違ったボローニャとボローニャ大学の一端を知ることができた。

来週からはAさんが受講しておられる科目のなかで、「ヨーロッパ近現代史」をご一緒させていただくことにした。ヨーロッパにおけるイタリア理解に少しでも接近できれば思う。

果たして私の語学力でどこまで接近できるのだろうか。疑問ではあるが新たな挑戦である。

元サンタ・ルチア教会、いまボローニャ大学大講義室
元サンタ・ルチア教会、
いまボローニャ大学大講義室

元サンタ・ルチア教会の銘文
元サンタ・ルチア教会の銘文

ボローニャ大学大講義室の入口
ボローニャ大学大講義室の入口


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