梅浩先生のボローニャだより
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第2節 一時帰国にあたって考える

〈議論の相手を恋しがる)

海外における長期滞在では様々な困難が伴ってくる。これまでも折りに触れては報告してきたが、より生活に直接的に関わってくる問題から、研究上の問題に分けることができよう。

私にとっては、長期滞在に伴う諸手続き(第4回)、健康上の問題(第6回)、日本への通信の問題(第9回)、そして現地で安全に生活していく問題(第26回)などが身に降りかかり、その打開策のために苦労もしてきた。

しかし、それ以上にボローニャとイタリアの地域政策を研究していく上では、研究対象の把握が正確におこなえているかどうか、つまりこれらの様々な検討が可能でなければならない。書物や情報や目の前の事象に接し、これらをどう理解したらよいのかの意見交換、議論が可能でなければならない。

そのためにはこうした意見交換のできる人物がいるかどうかであり、さらには理解を深める言語の問題が加わってくる。議論の相手がいるかどうかでは、私などはさしずめ大海のなかに放り出されて、小さな流木につかまっている感もする。特に、在野で研究してきた私の身の回りには、ヨーロッパ事情を研究している方はいない。

しかし、少し角度を変えてみれば、身の回りには日々生活しているイタリア人がいる、中にはここボローニャに滞在し、語学勉強を続け、同じ空気を吸っている日本人もいる。研究対象の性格から言えば、それらの方々こそ良き討論の相手ではないか、と考えてきた。

この意味では毎日のように接している下宿の夫婦などはさしずめ、イタリアとボローニャ事情を知るうえでの良き教師でもある。それにしてもインタビュー先や、身近な良き教師との意思疎通を図る意味でもやはり言葉の問題が大きい。音楽や絵画やこれらに類する場合と比べ、言語を通して理論的に理解を深める場合にはこの語学力は極めて重要である。

 こうした中で、この「ボローニャだより」を日本出国以来、受信してきていただいた「福祉広場」の編集長には、短い言葉ながら、いつも含意のある言葉で返信していただいてきた。例えば、第22回「ボローニャの自治体政策を考える」で、自治体政策の現段階への戸惑いを報告することができた。

これを書くに至るには短い次のメールのやり取りがあったからこそ、初めてできたのではないかと思っている。

ボローニャの複雑な局面を前にした私の呟きである。「それにしてもボローニャのストーリーをどう描くのか、議論の相手のいないことを嘆いています。第三のイタリア、エミリアン・モデルを象徴するボローニャの左派政権がなぜ潰れたのか、このことはやはり押さえておく必要があるのでしょうか?分かっているようで、全く分かっていないテーマだと思います。このテーマは避けて通ることはできないと思います。カペッキ先生から突きつけられた最初のテーマがこれでした」

これに対し、編集長は「ボローニャ左翼政権崩壊の一般性と特殊性が知りたいですね。変化は結局のところ住人の生活で起こります。猛々しくなるのも優しくなるのも、すべて住民生活での変化が先導します。その変化を如何に正確につかむかですね」と貴重な示唆をいただいた。

こうしてボローニャの自治体政策の陰影を描くこと、政権交代による主要な自治体政策の転換を明らかにして行くことなどの、私なりのストーリがやや見えてきたのである。その意味では、日頃討論の条件に恵まれている時には思いもよらないことであるが、今の私のような一種限界状況とでもいえる中では、こうした示唆が本当に求められることを痛感してきた。

名古屋城
久しぶりの名古屋城

名古屋城、お堀の水鳥
名古屋城、お堀の水鳥

〈半年間のボローニャ滞在の意味を自問する〉

1年間の半ばを過ぎた時に自らアクションを起こし今後の方向を探ること、やや疲れの溜まった生活に変化を求めてその回復を図ること、などを目的に数日間の一時帰国を行うことにした。そこに至るには悩んだ上での決断だった。

知人で元中学教師の声楽家I氏が、10年程前にイタリア留学をされた時の経験を書かれていたのを思い出した。年齢的に若くもなく、肉体的・精神的な回復を図るには、無理をしないで1時帰国することも大変意味があった、という趣旨のことが書かれていたのを思い出した。

こうして久しぶりの日本へ向かった。機中ではこの半年間のボローニャ滞在の意味をぼんやりと自問していた。その時、眼前で展開される飛行機の日本人客室乗務員の些細な動作ではあるが、これまで感じなかったある違和感を持ち始めていた。

名古屋発着や旅費のことを考えると、ヨーロッパへはオランダ・KLMやドイツ・ルフトハンザを使うことが多く、日本の飛行機はやや敬遠していた。それがボローニャの旅行代理店ではルフトハンザと全日空ANAの共同運航便が値打ちだと言われ、経由地のフランクフルトからの機体はANAとなっていた。

飛行機は7分入りで、多くは帰国の日本人であった。座席背面にはテレビ画面もセットされていた。ジャンボ機であるからなのか、日本の飛行機なのか、と思いながら眺めていた。

その違和感とはある外国人客にテレビ画面の使用方法を尋ねられた乗務員が、通路にひざまずき説明をする姿であった。一度では説明しきれないのか、確かめに乗務員室への往復を繰り返し、その度にひざまずく。ここ最近利用したドイツ、スイス、スペインの飛行機では見なかった光景である。

加えてある外国人からの限りない飲み物サービス請求に対し、乗務員は成田につくまで要望に応えていた。つまりひざまずく姿は、それがあまりにも繰り返されるため、私にはいかにも卑屈な姿に見えた。また繰り返される飲み物サービス請求には、仮にそれが限度を越えていたならば、方法はともかく「ノー」が言えなくてはならないのではないのかと思われた。

その乗務員のせいだけでなく、顧客サービスが至上命令とされ、その結果自らを苦しめている様に見えた。おそらくマニュアルから外れていないだろうからこそ、余計に一定の価値観のもとでの、行動が余儀なくされ、時にはやや苦しみに転化している日本の現状を象徴しているように思えた。半年余であるがイタリアに滞在したからこそ、そうした姿はいかにもいびつな様に見えた。

さらに久しぶりに我が家に戻って部屋を見まわした時、これまではそれ程感じていなかった事にも気づいた。何と多くの「もの」に囲まれて生活していることかということであった。

それは、ボローニャの生活が、単身の下宿住まいであり、持ち物が限られているという、その比較のせいばかりではない。つまりあまりにも過剰な消費生活の環境に置かれているのではないかということであった。

確かにボローニャでコンピュータ環境が一般市民レベルまで普及していないため苦しんだ裏返しに、日本でより進んだ環境とその恩恵に浴している、そうした類のことも多くあろう。

しかし、例えばイタリアでは何百年という周りの建物の環境がそうさせるのか、自動車なども動けば少々傷がついていても使っている。それに比べ数年で新車買い替えを余儀なくされる日本の状況との違いなどである。

長い伝統のなかで生活している一方に対し、過剰ともいえる大量消費社会で生活している日本の姿に改めて、社会システムの構造的な差異を感じさせた。

食生活に関していえば、冷凍・冷蔵庫はぎっしりと詰まり、飽食の極にある日本と感じさせた。しかし、それが毎日食材購入をする時間的余裕の無さから来るならば、それは豊かと言えるだろうか。

また、ボローニャはまれに見る美食の街である。だからこそと言うべきか、年輪を加えて食する量に比例したかのように体重の大きさを誇る人々も少なくない。一方ではそうでない人も多い。

私自身はといえば、油分の多い肉類を控え、野菜を中心とした食生活は肥満気味だった体重を5キロ減らし少しは理想に近づいた。

しかし、目の前の食材を見ると、なぜか確実にすぐ5キロは増えるに違いないと感じさせた。何故ならイタリアとは違った飽食と慌しさと夜型の生活スタイルを考えるとそうならざるを得ないと思った。

半年間のボローニャ滞在の意味とは、長期滞在を通じてより奥深い所での国と国との差異を理解する第1歩になったものと考えている。その延長で本来の目的である地域政策の日伊比較ができればと思うのである。

名古屋城、北から望む
名古屋城、北から望む

名古屋城に隣接する名城公園にて
名古屋城に隣接する名城公園にて

〈日本の価値をどこに見出すか〉

それではその差異の中で、日本の価値をどこに見出すのかである。

ボローニャ滞在中、日本の動きを理解する接触点は多くはなかった。イタリアのテレビで、日本製の学園物語のアニメが吹き替えで流されていたり、日本車のコマーシャルがあったとしても、日本の動向を知らせるニュースは極めて少なかった。

第15回で日本発信の外来語KAMIKAZE(カミカゼ)を伝えたが、この言葉は中東における奥深い対立関係を伝える用語として、イタリアで繰り返しその悲劇が伝えられた。

従って、日本情勢を知るにはインターネットを通じた日本の新聞を読むことであり、メールによる友人・知人からの動静を伝える言葉であった。日本の新聞と言っても、画面に組みこまれる量には限界があり、要約が伝えられるのみである。

あるいはボローニャ斜塔のたもとにある雑誌販売店には「朝日新聞 国際衛星版」が置かれている。ご主人に聞くと1日に3部置くことにしているそうである。1部、2.9ユーロ(約400円)である。

なおNHK国際放送の受信にも挑戦した。ロンドンを中継局とする短波放送である。数回は聞くことができ喜んでいたが、如何せん周波数帯のすぐ近くには強力なドイツの国際放送が聞こえてくる。

この点では国際化時代といわれるに相応しい日本語放送が期待されることを痛感した。

こうして伝えられる日本情勢は、要約だからこそとも言えそうだが極めて重いニュースがストレートに伝わってくる。

新しいところでは1月10日付けの「朝日新聞 国際衛星版」で、何とも顔が歪んで見える防衛庁長官の記者会見の写真つきで、「陸自先遣隊に派遣命令」「本隊の展開準備」が掲載されていた。

そして、自衛隊派遣の流れに目を移した。派遣の時日を追っていきながら、派遣先での自衛隊はいうまでもなく、自分を含めた民間人の、当地域旅行者や日本の航空機利用者がいつ何時危害を加えられる事態となろうかというおそれを予感させる。この半年間の日本の激変に改めて畏怖を感じるのである。

ヨーロッパに滞在し日本を眺める時、一体何が日本に求められ、期待されているかを考えざるを得ない。いま思いつく範囲では、平和への貢献であり、日本の技術力や経済力への評価であり、日本の文化への接触が求められているのではなかろうか。

昨秋、イタリアの報道に接していると、中東で米英に次ぐテロの標的として、イタリア・日本が取り沙汰されていた。紛れもなく事実はその通りになった。

イタリアの憲兵隊司令部のテロ攻撃であり、日本外務省職員への攻撃であった。そうした意味では、日本が適性国としての役割を演じないことが平和にとって極めて重要なことだと感じた。

そして、そのような危険極まりないところにも映像をとうして常に流される光景の中に日本の技術力の象徴としての自動車などがある。

世界屈指の観光立国のイタリアで見かける光景には日本製のカメラ・デジカメ・ビデオカメラを持参する観光客のなんと多いことか。少なくとも世界が見る目として、ここに非難の刃が来るわけではない。

また、私がイタリアに来て、イタリアの功罪を含めて理解を深めようとしているのと同様に、日本に期待をし、日本にあこがれをもっている多くの人々をこれまで見てきた。

少なくとも共通して言えることは、日本の伝統文化や東洋の一部を構成する日本の、例えば西洋にはない優れた文化へのあこがれを聞くことが多いことである。

毎日のテレビで必ず流されるものには、アメリカ・ドル、EU・ユーロ、そして日本・円の為替レートのニュースがある。ここには紛れもなく世界の中の日本、その経済力の反映としての円が映し出される。

ここに平和・経済・文化を束ねた、世界の国々にとって信頼に堪えうる知性ある日本が、求められているのではなかろうかと考えるのである。


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