梅浩先生のボローニャだより
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第2節 イタリアで見るサッカー

〈イタリアのサッカー〉

ボローニャ・サッカー場は、歴史的市街地区と外周部を隔てる旧・城壁部分からいえば、歩いて20〜30分西方のところにある。知人が、そのサッカー場へ試合を見に行くという。それでは私も一緒に行ってみようと相成った次第である。

ところで、私の年代でしかも田舎育ちでは学校体育で触れたスポーツの種目は多くはない。1950年代の10年間がほぼ小中高校に当る。何はなくともソフト・野球という時代である。それ以外にも手軽に行える卓球も確かにあった。しかし行った種目の数は、多く記憶に残っていないという貧弱さである。

高校時代には、体操競技に堪能な教師がいたこともあり、珍しくそれの幾つかをやる機会はあった。今は高校生が普通に行うバスケットボールやラグビー等にもまともに触れた記憶がない。もちろんサッカーもである。

Jリーグが創設され、TVで放映される回数が増えたけれども、いかんせん自らの経験がなければ、まともなルールも理解できよう筈がない。しかしながら、サッカーの盛んな国の一つであるイタリアにきて、一度は見てみたいとは思っていた。

イタリアとサッカーと言えば、私でもやはり中田英寿を思い浮かべる。彼がイタリア・ペルージャのチームに移籍し、そのペルージャの街が周りの人たちに説明なく理解してもらえる日がきた時には、一種感慨をもったものである。

中部イタリア・ウンブリア州の州都ペルージャの丘には、外国人向けのイタリア語学習にはつとに有名なペルージャ外国人大学がある。街の人口は15万人程度で、それ程多くはない。しかし全世界からイタリア語を学びにやってくる人たちであふれ、国際都市とでも言えそうな思い出の街である。

16年前には、イタリア語学習をめざす一部の日本人を除いては、殆んど知られていなかった街である。日本人のなかにペルージャの知名度を高めた点では、貢献者の一人には違いない。

ボローニャ・サッカー場入口
ボローニャ・サッカー場入口

ボローニャチーム応援席
ボローニャチーム応援席

〈セリエA、ボローニャ×アンコナ戦を見る〉

前回の第23回で「小春日和」と書いたが、この日から一転急激に冷えこんできた。このままいけば零下に下がるだろうという冷えこみ方である。加えて吹きさらしの球場である。午後3時のキックオフに対し、当日券を購入しようと午後1時頃についた。まだ切符売場はがらがらであった。

それもそのはずだと知人が説明してくれた。イタリアセリエAには18チームある。この日の試合前の段階で、なんと下位から4番目がボローニャであり、アンコナ(注1)は最下位であった。下位4チームが次年度セリエBに陥落するとのことである。この負けチーム同士では、人気もいま一つであろうか。

ともあれ両チームがある程度公平に見えるところでと、ゴール裏ではなく、バックスタンドを購入した。この試合で35ユーロ(約4,700円)であり、ゴール裏ではその半額の値段である。

併せて観戦用の2つ折にできる座布団が5ユーロ(約700円)で売られていた。冷えこみが厳しいと必需品のようである。なお、上位チームのローマやミランでも、公式価格はせいぜい上記の金額に5ユーロ程度のアップのようだと聞く。

試合開始前まで、近くのバールで時間をつぶすことにした。この日は日曜日であり、通常の商店は殆んど閉まっていた。しかし、サッカーフアンを目当てにしたこのバールは、もちろん開いていた。ところが見たところどうも年輩の方が多いように見うけられた。

私の勝手な推測では、日本における野球の場合と同じように、イタリアではそれに相当するのがサッカーではないのか。その昔から何はなくともサッカーは盛んであった。店に来ている年輩の方も、その昔のボローニャ・チームの選手とともに成長してきたのではないか。今では選手は全く代わっても、ボローニャ・チームに愛着がある。

一方、今の若者に熱烈なサッカーフアンもいよう。しかし、多様なスポーツへの参加・取り組みが可能になってきたことは、日本と同様であろう。こうして若者のサッカー熱も微妙に変化しているのではないか。そんな思いを持った。

試合は午後3時に始まった。当初ボローニャの一方的な試合展開で3点をあげる。このまま最後まで行くのかと思ったが、後半はアンコナが盛り返し2点を入れる試合運びとなった。試合の途中にはアンコナ側応援席の一部の空席を除き、ほぼ満席となっていた。そして気温はことのほか下がっていた。とてもじっと座って観戦もしてはいられない。

我々も随分立って応援することになった。なお更、両チームのゴール裏の観客席は終始、総立ちでカネ・タイコに合わせた応援に熱中していた。しかも得点が入ろうものなら、これに爆竹が加わり、いっそう刺激的になる。煙はしばらく球場の中によどむ。

試合結果はボローニャが3:2で勝利。後日、イタリアの代表的なスポーツ紙、2紙を見る機会があった。順位はボローニャが18チーム中、12位、下位からは7番目に上がっていた。もちろんアンコナは最下位のままである。

また、ボローニャの現況を象徴しているのか、同紙では「(ボローニャの)マッツォーネ監督、ヴェローナのミッドフィルダーとペツルチィを招く」の観測記事がでていた(注2)。

得点が入ろうものなら総出で歓声をあげる
得点が入ろうものなら総出で歓声をあげる

セリエA 順位表
セリエA 順位表、
18チーム中 ボローニャ12位、
アンコナ18位(12/7現在)

スポーツ紙にボローニャ強化策の観測記事
スポーツ紙にボローニャ強化策の観測記事

〈おとなしいボローニャ、熱狂するリミニ〉

ひいきのチームの応援という点では、同じエミリア・ロマーニャ州ではあるが、アドリア海に面したリミニでは、およそ凄まじさという点では、相当の違いがある。そのリミニへ行く時、偶然ぶつかった出来事を記してみよう。私にとっては一種事件のようであった。

リミニの近くには、イタリアの中の小さな幻想的な国、サンマリノ共和国がある。そこへ出かけようとして、列車に乗っていた。日本でいえば準急という感じで、2つ程手前の駅、従って実際の駅では6つ程手前になる。

ホームに相当の集団が待っていた。旗ざおもある。そして列車の到着とともに、その若者の集団100人近くが乗り込んできた。歓声に近い歌声が、ホームから列車に入り込んできた。到着までの30分位は応援歌で、話もできない様であった。

聞くとリミニでのサッカーである。相手チームがきょう乗り込んでくる。何がなんでも勝たねば、というのである。

リミニには午前10時頃についた。列車を降りるとホームではすでに最高潮という感じである。試合開始は、一般に開始となる午後3時頃なのか、それとも午後2時頃なのかはわからない。しかし、試合開始までの時間と、試合の2時間、その余韻、一体どんな展開になるのか、試合よりその方が心配になった。

駅の構内と道路には、すでに厳戒態勢の機動隊である。この後、サンマリノ共和国の見学を終え、夕刻になろうという時刻に駅に戻ってきた。大半は退去した後だが、ゴミとなお残留する応援者と機動隊の余燼は残っていた。

ところで、爆竹はあったがおとなしいボローニャと熱狂的なリミニ、こうした違いはどこから生まれてくるのだろうか?そこにはチームの順位に加えて、持っている地域性の違いの断面として見ることはできないだろうか。ちなみにリミニはセリエA、18チームには入っていないチームである。

しかし、リミニはその街を取囲む周辺地域の熱狂によって支えられているように感じられた。一方のボローニャのおとなしさは、どこから来ているのだろうか。ボローニャ市政のやや沈滞した雰囲気と重なって見えそうであった。

列車を降りてリミニ駅ホームですでに最高潮
列車を降りてリミニ駅ホームですでに最高潮

到着する応援客をリミニ駅で機動隊が待ち構える
到着する応援客をリミニ駅で機動隊が待ち構える

リミニの近くのサンマリノ共和国
リミニの近くのサンマリノ共和国、
イタリアの中の小さな幻想的な国


(注1)ボローニャを州都とするエミリア・ロマーニャ州に対し、東南続きの州がマルケ州でその州都がアンコナである。後で記すリミニは、エミリア・ロマーニャ州であるが、ほどなくしてマルケ州に接するというころにある。

(注2)順位及び引用の掲載紙は、"Corriere dello sport" 9 dicembre 2003, 1〜2面、もう1紙は"La Gazzetta dello sport" 9 dicembre 2003。


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