梅浩先生のボローニャだより
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第2節 ボローニャの自治体政策を考える

〈自治体政策の現段階への戸惑い〉

今回は、ボローニャの自治体政策についてあらためて考えてみたい。私は日本で自治体の長期戦略と自治体政策のあり方を研究してきた。

そしてボローニャが産業と文化の息づく街へ向けて創造都市への挑戦を続けているとのことから、21世紀の都市地域政策のヒントを得ようと、ここボローニャにやってきた。

ところがボローニャ滞在以来、自治体政策の現段階をどうとらえるのか、必ずしも焦点が定まらないでいた。その背景はすでに「第13回」でも報告したが、ボローニャ市政担当は1999年まで戦後一貫して左派であり、この4年間は右派である。

そして任期5年の2004年6月に向けての準備が始まっている。この変化のなかで、ボローニャの自治体政策の方向性をつかみかねていたのである。

政権交代が自治体政策にどう影響を与えているのか、局面はとても複雑に過ぎたからである。担当者のヒアリングに訪れる度に感じたことは、あらゆる局面で想定していた事態とは異なる場面が見られた。

例えば「ボローニャは都市の長期戦略を持っていない」「ボローニャの地区住民評議会はいま機能していない」「大都市圏計画は、計画はつくったが進展していない」の類である(注1)

何故だ?政権交代による現段階をしっかりと押さえなければ、ボローニャの自治体政策の陰影はとてもくっきりとは見えて来ないと考えた。確かに識者・関係者の間では、すでにいくつかの検討作業が行われ、討論の素材に供されている。

そこで、今回は特に2人の識者の著作、並びにヒアリングの一部を紹介することにより、ボローニャの自治体政策を考える一助にできればと考えた。

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なお、1999年の選挙結果をあげておく。右派候補の勝利の背景には、第1回投票でその他候補にもう一人別の左派候補がおり、戦術上では左派の分裂を直接の契機としていた。
第1回投票:左派候補11,7371(46.6%)、右派候補104,571(41.5%)、その他候補(複数)29,838(11.9%)、( )内は得票率、投票率78.9%。
第2回投票:右派候補113,463(50.7%)、左派候補110,389(49.3%)。投票率67.6%。
※右派候補=グアザロッカ現市長、左派候補=バルトリーニ

マッジョーレ広場西にあるサン・ドメニコ聖堂を臨む
マッジョーレ広場西にある
サン・ドメニコ聖堂を臨む

歴史的市街地区の街路を行く
歴史的市街地区の街路を行く

〈自治体政策の評価、V.カペッキ教授(ボローニャ大学・社会学)〉

教授は都市社会学に造詣が深い。スペイン雑誌に投稿した著作「特殊で、危険な労働の増大とエミリアン・モデルの崩壊」から一部を引用してみよう(注2)

「1960年代にエミリアン・モデルについて語り始められた。70年代前半にはボローニャは、経済的、社会的、文化的、そして環境面の計画を成功させる街として、イタリアでより良く住むことのできる革新派の街として紹介されてきた。ボローニャは、国内的、国際的に注目の的となる経済的実験室となった」

「しかし、この状況は変化した。投票の変動は、新しい世代と、これとは反対のエミリアン・モデルの団結心に基づく論理との間への、際立つ姿勢の拡散が認められた」

そして、中道右派政権の最初の2年間については次のように指摘している。

「社会、文化、環境政策=新しいサービスや計画を何一つ創造しなかった。保育園や医療のひどい待ち時間の問題にみるような支出の抑制、及び前政権が発案ないしは計画したものの閉鎖ないしは閉鎖の試みであった。

社会・文化領域については、女性資料センターや女性図書館、暴力に耐える女性を保護してきた女性の家への攻撃、シラニ学校において設立予定だった芸術活動拠点の非実現などである。

環境に関しては、法案を通そうとするメッセージは、生産上の利益を決して妨げるべきではないということである。歩行者専用ゾーンを撤廃し、歴史的市街地区への車の乗り入れ許可の縮小戦略を中断し、車の全所有者に対し規制を撤廃した。この結果大気汚染は深刻になっている」

「経済政策=税負担の増大(市民1人1998年553ユーロから2000年566ユーロへ)、外部の活発な専門家と称するものの増大(2000年750万ユーロの支出から2001年840万ユーロへ )、新しい情報・通信技術のテーマを始めることの停止、新しい鉄道駅のための事業計画の中止であった。

変化は、地下鉄、市内電車路線、できれば来年には実現に着手しなければならなかった鉄道輸送の大都市サービスのような基盤整備計画にまで及んだ。この計画に関する議論は進行中であるが、反対意見も多数存在する」(注3)

「安全のための政策と移民政策=現市長の選挙運動は、ボローニャをアメリカ合衆国の大都市の非常に危険な地区と比較していた日刊紙に依拠していた。市長に当選するやいなや、大変議論の余地のある重要人物を安全担当の評議員に任命し、適正な鎮圧戦略でもって、短期間に犯罪問題を解決すると断言する“未熟なやり方”で登場した」と指摘する。

同教授は移民問題では、ヒアリングで次のように述べている(注4)

「私は過去にボローニャ市のために移民サービス機関の責任者をし、『多民族社会』という雑誌に取組んだ。しかし現市長が政権を持ったときに、彼は同機関を閉めさせ雑誌も閉刊させた。なぜなら私の政治ビジョンは移民をたすけることで、彼の政治ビジョンはたとえ経済上有益であったとしても、移民を追いやることだからだ」

ここで紹介したことは政策の一部かも知れない。しかし、すでにこれまでのボローニャの地域政策の大きな転換が始まっていることの指摘と見ればよさそうである。

〈自治体政策の評価、P.コルベッタ教授(ボローニャ大学・政治学)〉

教授は政治学を専門とし、選挙1年後に『予期せぬ失敗−どのように何故左翼はボローニャを失ったのか』の共著書を出版している。私は、教授に直接質問をぶつけてみた。

「1999年の政権交代で、ボローニャの主要な自治体政策はどう転換したのか。また来年の選挙に向けて左派はどのような長期戦略と政策的対案を提示しているのか」である(注5)

教授は、なぜ中道右派政権が誕生したのかを最初に説明した。

「左派の分裂、左派の候補者が弱かったこと、左派政治は魅力や威力を失ってきており、市民は新しいことを望んでいた。

現市長は、新しい候補者として登場した。彼は政党から立候補したのではなく、精肉業の労働組合委員であった。彼は左派候補者よりも話し上手であった。

左派が持っていた3つの弱点を、3つの利点に変えることができた。結束、新しさ、強い候補者、の3つである」

○政権交代による主要な自治体政策の転換

教授はさらに続けた。

「市民はグアザロッカ市長には失望したと思う。新市長は新しいボローニャの政治をすると思っていた。しかしほとんど改革を行わなかった」

「環境政策の基本は、交通問題でもある。市長は歴史的市街地区に規制を充分に加えることなく、交通を開放した。以前より公害がひどくなり、市民に対し悪影響を与えることになった。

環境に関して予算も不十分だと思う。少数のマイカー通勤の人や常に車を運転している人々の支持を得ることができても、大多数の歩行者やバス利用者などの支持は失うだろう」

「ゴミ問題については、全く何も新しいことは行っていない。ゴミの分別収集はわずかしか徹底されてない。これに関してボローニャはごく平凡な政策しかとっていない。一般ゴミと紙の分別はされているが、有機ゴミとそうでないゴミの分別はない。何も新しいことはされていない」

「社会政策も以前と比べて大して変えることがなかった。文化政策については改革をほとんど行っていない。つまり改革のイニシアティブをほとんど取らなかった。これは投票者の展望に対して強いダメージを与えることになった」

○左派の長期戦略と政策的対案

 「1999年の選挙での敗北は左派にとって大きなショックでした。私の考えでは、左派はいま新しい長期戦略を持つことが必要だ。しかし、左派はボローニャ市の新しいビジョンを持っていない。重要な提案もしていない」

「ボローニャは少なくとも1950年から70年、75年位までの30年間は、市民統治の良い手本となる市だった。以後は他の市と同じような市になってしまった。統治の手本となるようなことを提供することができず、この衰退の境界点は左派政権から右派政権への移行であり、左派政権の終点であったといえる」

「今日、ボローニャは他の市に提供できるような新しい重要な手本は何も持っていない。なぜなら都市計画のためには一緒に仕事を進めて行かなければいけないところ、ボローニャ市は右派、県と州及び周囲のコムーネは左派だ。このことから今日ボローニャは特に遅れた市となっている。最大の困難は右派です。組織的に都市計画を行うのが不可能なのだ」

特に、この最後の都市計画への言及は1990年新地方自治法による、県を対象エリアとする広域行政への再編がボローニャ市の意向で全く頓挫していることを意味している。

ゴミ収集バケットから運搬車へ
ゴミ収集バケットから運搬車へ

しかし何もかも一緒に突っ込まれた収集バケット
しかし何もかも一緒に突っ込まれた収集バケット

〈前進への契機〉

エミリヤ・ロマーニャ州において、州都ボローニャの動向は大きな影響力を持つ。

いま前進へ向けて桎梏の時を迎えている事態をみた。同時にボローニャ県庁の大都市圏行政の責任者G・メローニ氏は、時間はかかっているが前進をしている姿も説明してくれた。また地区住民評議会の改革の動きも伝わってくる。

また別の機会には、モデナでヒヤリングをする機会を持った。同じ州内でもボローニャとは異なる幾つかの場面にぶつかった。そうした意味では、ボローニャが大きな影響力を持ちつつも、各都市は独自に歩んでいる姿を見ることもできた。

それらの全体を視野に入れつつ、ボローニャの自治体政策の陰影を描くことができないだろうかと考えている。

いまボローニャで携帯電話会社が急増
いまボローニャで携帯電話会社が急増

前からある携帯電話会社、さすが人は多い
前からある携帯電話会社、さすが人は多い


(注1)「長期戦略」はボローニャ大学P・Corbetta教授(2003.10.28)、「地区住民評議会」(地区段階の住民参加・決定機構)はボローニャ県庁F・Andellini氏事務所(2003. 9.18)、「大都市圏計画」(県を対象エリアとする広域行政への再編)はボローニャ県庁G・Melloni氏(2003.9.30)への各ヒアリングによる。

(注2)「Aumento di lavori atipici e a rischio crisi del "modello emiliano"」(2003) Vittorio Capecchi。発表雑誌名は後日追補。

(注3)「輸送の大都市サービス」は、歴史的市街地区への自動車乗り入れ禁止の代わりに、公共交通機関を導入する考え。

(注4)ヒアリングは、2003年9月9日。

(注5)「La Sconfitta Inattesa, Come e perche la sinistra ha perso a Bologna」(2000) G・ Baldini, P・Corbetta, S・Vassallo, p.20。ヒアリングは、2003年10月28日。


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