梅浩先生のボローニャだより
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第1節 ボローニャで見る日本

〈ボローニャで出会った日本人〉

ボローニャはさまざまな顔を持つ。 1990年の新地方自治法の規定によりローマ・ミラノ・ナポリなどとともに、県を対象エリアとする広域行政への再編が進行している12大都市の一つである(注1)。イタリア中北部にあるフィレンツェ・ミラノの観光地とはまた一味違う落着きのある都市でもある。

ボローニャを含むエミリア・ロマーニャ地方は、イタリア史をひも解くと組みこまれる版図が複雑に入り交じり、歴史の鼓動は地域の人々の心にも反中央という形で複雑に投影していることがうかがえる(注2)

そのボローニャに、数ヶ月の生活を通してローマやミラノほどの数は多くないが、ここに滞在ないしは通過する何人かの若い日本人に出会った。その様は日本とボローニャをつなぐ現況の一端を表しているのではなかろうか。

中小企業が厚く集積するこの州の州都ボローニャにも、全イタリアをカバーする日本企業の支店も、多くはないがいくつか存在する。しかしローマやミラノほどではないことは確かである。そこに派遣される方も若干名はいるようだ。ボローニャ大学にも、正確にはわからないが、やはり何人かの長期滞在者はいるとのことである。

圧倒的に多いのは、これからのイタリアとの関わりを求めてやってきている人たちである。

「イタリアが好きだ」、このことのなかには、日本にない良さを求めてやって来ている若者が多いことだ。語学を学ぶ人。仕事は出来たらこちらで見つけたいという人。美術・建築系の大学・専門学校へ進むためという人。イタリア料理を勉強したい人などである。

なぜボローニャなの?このあとミラノに行くなら、最初からそこへいけばいいんじゃない。「ここだとミラノも、フィレンツェも、時にはローマにも行きやすいから」、なるほど。

「来てみて、思ったほど物価は安くないけど、最初はミラノより安いと思ったから」である。ボローニャの持つ「交通の要衝」の利点であり、「生活費の安さ」である。

ローマ・フィレンツェから移ってきた人もいた。「こちらの方が落ちついて勉強がやりやすいと思った」。確かに観光客のあふれかえっている中では、語学に専念できないことも確かだ。

歴史的観光名所に囲まれていては、そちらを巡ることの誘惑が多くなろうというもの。この先生しかいないというオペラ歌手志望などの方は、ボローニャでなければならない。一人ひとり、ボローニャのもつ位置を意識し、確認してきていることは確かだ。

こうしてみるとボローニャには長期滞在の日本人は少ないことは確かだし、留学生もより刺激的な次へ向けて旅立つ通過点のような感じもする。間違いないのは、大都市であり、かつ落着きのある街を求めてやってくる日本人が多いということであろうか。

参考までに東京の文化会館を通じて申込をする2003年度9月期からのイタリア大学の正規入学のための受験者は、次の通りである。

合格者数ではないが、一つのバロメータとして志望先を見ることはできる。ただし彫刻・絵画などのアカデミヤはここには入っていない。

ミラノ工科4、ペルージャ外国人3、ベネチィア建築・ボローニャ・シエナ外国人各2、トリノ・トリエステ・フィレンツェ・ペルージャ・ローマ各1、計18名である。

大学に限っては、ペルージャ・ローマ以外はすべて、北イタリアに集中している。これも若者のイタリア都市志向の一つの姿ではある。

【生活費等でもうひと言】

リラ廃止・ユーロ導入を機会に便乗値上げ、ないしは実質デノミネーションと同じ結果がもたらされたのではないかと思われる。つまりコンマ以下のユーロがあっさりと切り上がっている。

ここに生活してみて、住居費が高いと感じる。一般に日本は高物価の国だといわれている。ここで滞在するにはそれとほぼそれに近い住居費が必要となる。さらにいえばイタリア人で給与所得の他に、この資産収入の入ってくる人と、そうでない人の格差が広がっているのではないかとも推測できる。
 語学研修を目的とする学生で、ボローニャから私もかつて在籍したペルージァ外国人大学へ移っていく人がいる。地の利を除けば、生活費や国立大学ゆえの授業料の安さなどの面を総合的にみると、そちらが一定の優位さを持っていることも確かである。


交通の要衝・ボローニャ、
ブルーはエミリア・ロマーニャ州
(Made in Emilia-Romagna,
イタリア貿易省ほか,p.7)

〈日本からきた2つの外来語〉

ボローニャに来て、日本発の外来語・イタリア語に出会った。すでにイタリアに限らず、世界共通語になっているのかも知れない。

KAMIKAZE(カミカゼ)とKANBAN(カンバン)の2つである。似て非なるもののようであるが、「猛烈」ということではどこかで共通し、今日の日本をも象徴的に表現しているのではないかと思われる。

KAMIKAZE(カミカゼ):10月4日夕方7時過ぎ、テレビ4チャンネルのニュースを見ていた。中東・イスラエル北部のレストランでの自爆テロによる大量殺傷事件の報道に出くわした。アナウンサーから、突然「カミカゼ」の言葉がでてくる。自爆テロのことを「カミカゼ」の呼称で伝えている。

日本では、今では死語になっている太平洋戦争中に使われた「神風特攻隊」の「カミカゼ」のことである。攻撃を仕掛け帰還する可能性のない体当たり攻撃であり、自爆テロはすなわち体当たり攻撃である。「言い得て妙」と思っても、イタリアに来て、日本での悲惨な体験の用語が世界で共通語として使われていることに、実に複雑な心境となる。

改めて、手元のイタリア語−日本語辞典の「KAMIKAZE」を引くと、「神風特攻隊員」の他に、「向こう見ずな人、無謀な行為、(命知らずの)ゲリラ戦士」とある。ついでに「英語−日本語辞典」も引いてみた。「神風特攻隊員(のような)」である(注3)

テレビを一緒にみていた宿の女主人に聞いてみた。「そうよ日本と一緒ね」である。日頃から日本と日本人の良さも認め、歴史も十二分に承知している彼女だが、どこかにそのゲリラ戦士と日本との共通項を重ねている感じがする。

それだけではない。ボローニャのシンボル、2本の斜塔の下に有数の本屋がある。中へ入り、STORIA(歴史)の札が掛かったところだが、よく見えるところに「KAMIKAZE―自殺同然の戦士の叙事詩―」のタイトルの本が何冊も積み重ねられている。

もちろんイタリアで2003年4月に出版された、イタリア人によるイタリア語の本である(注4)。目次は次のとおりである。

1.自殺行為か降伏か、2.神風が吹く、3.死と新たに向きあう、4.フィリピンの最後の火、5.台湾と硫黄島で過ごした日、6.水に浮かぶ菊、空に舞う桜、7.休みのない沖縄、8.大和:最後の壊滅、9.帝国日本に逆らうカミカゼ、10.カミカゼと道教

目次を見る限り、「神風特攻隊員」そのものを扱ったものであり、「中東の自爆テロ」に触れているわけではない。しかし、この店頭に10冊程積み上げられ、他の書店を覗いてもやはり何冊かはある。

おそらく「私」を「滅する」こと、の精神構造を質そうとしているのに違いないと思った。考えてみれば、表面的には「神風」を「自爆テロ」と言い換えているが、ひょっとしたら日本人の精神構造は何も変わっていないかも知れないと思うと、ぞっとしてくるのである。


書籍「KAMIKAZE」表紙

 KANBAN(カンバン):秋のある日、ボローニャに所在する二輪車メーカーの「La Ducati Motociclette(ズカーチ・オートバイ社)」を見学する機会を得た。

チェントロ中心部からバスで30分位のところに生産工場がある。昼前と午後の二回に、イタリア語または英語の説明員がついて回ってもらえる。昼前に行った時には、英語で回るものはなくすべてイタリア語の見学者であった。

この会社は、日本製のHONDA、YAMAHA、KAWASAKI、SUZUKIなどにおされ、1,000CCクラスの高級バイクに特化した生産をしている模様であった。

入ってすぐ「KANBAN」なる表記の札をあちこちにみる。それぞれの組立て用部品箱に置かれた指示書の表記のタイトルが、すべて「KANBAN」なのである。

ご存知の方も多いと思われるが、トヨタで1970年代半ばに確立した生産管理方式のことである。できるだけ在庫を置かないで、コスト抑制をめざすジャスト・イン・タイムの代名詞となっている(注5)

在庫抑制が、時には納入業者にとっては大きな苦労を強いることにもなっている。そればかりではない。分業・流れ作業方式を切り換え、完成品の組立てに至るまで一人・二人または少人数で最初から最後まで責任をもつ方式が同時に導入されていた。

「KANBAN」などの無駄を抑制する方式が、そこで働くものと、ひいては国民生活の豊かさにつながっていっているのかどうかを検証することも必要であろう。

考えてみればグローバル経済のもとで、先進的技術や生産方式を取入れることは決して不思議でも何でもないことかも知れない。この方式と精神は、すでに世界を席巻している。

しかし私は、このイタリア、エミリア・ロマーニャ州では、これまで自らの力で高付加価値製品を作りあげるという自負心を聞いてきた。それだけに豊かさとはやや対極であろうと思われる「猛烈」を想起させる「KANBAN」を見ることになるとは、意外な感じを受けたのである。

ズカーチ・オートバイ社が、日本勢に押されながら、日本で生まれた生産方式を導入するところに、今日の厳しい自動車業界の現況が反映しているものと思われた。


ズカーチ社工場


ズカーチ1,000ccクラス、モーターバイク


(注1)ボローニャ県庁でのヒヤリングによる(2003-9)。

(注2)時田慎也・AMIY NORI「ボローニャ/パルマ/ポー川流域」(2003)日経BP社」p.10〜13参照。

(注3)郡史郎・池田廉編「ポケット プログレッシブ 伊和・和伊辞典」(2001)小学館、SHARP電子辞書「ジーニアス英和辞典 第3版」(2002)大修館書店。

(注4) LEONARDO VITTORIO ARENA「KAMIKAZE」(2003) Arnoldo Mondadori Editore。

(注5)SHARP電子辞書「広辞苑 第五版」(1998-2001)岩波書店。


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