梅浩先生のボローニャだより
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第2節 秋深まるボローニャ、一方の現実

〈テアトロ・コムナーレで、オペラを見る〉

ボローニャ大学の大部分は、2本の斜塔から伸びる道路の一つ、ザンボーニ通りに沿って分散配置されている。私が顔を出すのは、指導教授であるカペッキ教授の所属する教育学部である。

実はその建物とほぼ横並びにあるのが、オペラの殿堂「テアトロ・コムナーレ」である(第12回写真参照)。「出来ればここで見たいなあ」、と思いながらいつも前を通っていた。

実は、その日が突然やってきたのである。9月も下旬、教授室にうかがった際に偶然ある日本人留学生にお会いした。彼は、2年半の留学生活を終え、今月をもって帰国の途につくという。

一緒に建物を出て、その「テアトロ・コムナーレ」の前に来ると、「オペラのチケットを買い、今晩見るのですよ」とのこと(注1)。どうやってチケットを買うのですか、高いのですか、とお聞きした。

その顛末は以下の通り。

チケットはあらかじめ、売場で購入できる。金額も、初日、2日目、日曜日などによりさまざまである。例えば、最高額はその種別により140〜50ユーロ(約18,000〜6,500円)となる。これに対し彼が買おうとしていたのは、この日のエコノミー・チケットで18ユーロ(約2,300円)であった。朝の6時に建物側面にある売場に並ぶ。

彼はこの日午前6時に、ここに来たそうだ。そうしたらもう一人年輩の女性が来ていた。互いに1番のりは譲りあったという。何故ならば、1番は氏名を書く紙を用意し、実際にチケット購入の際には購入者の名前を呼び、整列させるという特別の役目があるそうだ。もちろん本人の代金が安くなるわけでもない。彼は紙を持っていなく、その女性が先頭の役目を果たすことになったのだという。

そして次は午前9時にもう一度、売場に来て購入の意思を確認する。希望者の人数が多いときはさらに午後3時にこれを繰り返す。私たちは午前10時半頃、「テアトロ・コムナーレ」の前にいた。この日は、まだ10名足らずの人数しか書いていなかった。つまり人気によるのである。このため、この日は午後3時の確認は無しとのことであった。

結局、午後6時15分に本購入のためにあらためて列をなしたのである。こうして、無事チケットが購入できたのである(なお、1名の氏名で2枚まで購入できるとのこと)。

開始時刻は午後8時30分。互いに別れを告げ、再会したのは午後8時。演目「愛の妙薬」、座席は最上席バルコニー 89番。最上席でも舞台に正面から向きあうところは全く問題はない。チケットの購入順に段々と左右に振られていく。お陰で89番は特に問題は無かった。

私の右隣にいたイタリア人の一人は、見えにくく身を乗り出すようにして立ちっぱなしであった。この日は第1幕午後8時30分〜9時40分、第2幕午後10時00分〜11時10分。2幕でこの時間であるから、3幕になるとどうなるのか余計な心配をする。

そう肝心の中身である。幕があくと、背景には数十年は昔の牧歌的な農村風景、作業衣を着た男女の農夫たちがいる。全体に秋の収穫を表現する淡い黄金色、その色調のきれいなことこの上ない。一人の若い女性をめぐる恋のあれこれの動き。最後は思いつめていた若者と結ばれハッピーエンドで終わる。

参会者の一人は、「アイーダのようなスケールの大きなオペラも好きですが、このようなかわいらしいオペラも好きなのでとても満足」とのこと。

オーケストラ50名、舞台俳優50名、観客席からは約100名が見てとれる。対する観客数は座席からみて、決して多いはずがない。これが立派に成り立っているところに、文化政策への公的助成の大きさをみてとることができよう。


オペラ・エコノミーチケット売場の入口


チケット購入で列を待つ


演目「愛の妙薬」のポスター

〈インディペンデンス通りを埋めつくしたデモ行進〉

この連載の第12回で「完全閉店、ボローニャ・インディペンデンス通り」の写真を掲載した。9月も下旬の平日夕刻、その大通りが突如大きな人波で埋めつくされた。

先頭にはマイクのついた車が1台。その後に、教師・父母・子どもがヅラ−と並び行進する。チェントロ中心部、マッジョーレ広場から、もう少しでボローニャ駅に至る千メートルに2〜3千人はいるであろうと思われる人波である。

この3ヶ月このような光景は見たことがない。少なくとも私には、突如現れた光景であった。

行進者の一人に聞いてみた。「とにかく大変なのよ。先生の給料が払えないというので、午前で授業は打切り、午後の授業はなくすというのよ」。それはこのボローニャだけのこと?「イタリア全部のことよ」。じゃあこの行進は全国でやっているの。「そうよ」。

私が持っていたカメラに向かって、「そのカメラ何」。日本へこのことを伝えようと思って。「じゃあちゃんと撮ってよ。いい顔するから」とか言いながら、様子が少しわかってきた。

配られていたチラシはやや内部向けともみられるので、具体的な政府提案がどのようなものかを確かめることはできない。しかし、これ程の人たちが集まっている以上、イタリアの公教育に押寄せている危機はただごとでないことだけは確かだ。

「1970年:充分なる教育時間確保のために、父母・子ども・教師はボローニャ・マッジョーレ広場で要請活動」「2003年:教育時間と公教育を守るために、父母・子ども・教師、そして業務士・学生は同広場で要請活動」。

従ってこのチラシは、一方では取組みの幅を広げながら、30年にわたる教育改革への前進を確認する意味も持っているのであろう。

「教育時間を確保し、延長をはかる全国調整委員会のアッピールに署名し、これを広げよう」の呼びかけのもとに、「組合や宿舎のなかで政府提案を批判する議論を展開しよう。正当性のない協力や、成果の得られない改革は拒否しよう」などと記されている(注2)

実は、イタリアのテレビ・新聞は9月には連日にわたって、年金受給年齢の繰り下げを内容とする「年金改革」が報道していた。そうした意味では年金・教育などの国民生活とその国の将来に関わって、従来水準を引下げる政府提案がなされ、それに対する深刻な議論がなされていることに改めて注目しているところである(注3)


デモで埋まった大通り
「生徒の人数が増え、おしゃべりばかりになる。
大いに心配」


子どもも一緒に行進「SOS.学校」


秋・土曜日、最高の人出のマッジョ−レ広場


(注1)シーズンは10月から翌年度9月まで。9月であるこの日の出し物は、前年度分として計画されたもののようである。

(注2)「COBAS Comitati di Base della Scuola」Via San Carlo,42。2000年9月。

(注3)「年金改革」については何がどう問題になっているのか、できれば後日報告したい。


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