梅浩先生のボローニャだより
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第3節 ボローニャの休日

〈ヴァカンス真っ最中〉

8月15日(金)Ferragosto(フェルアゴスト、聖母被昇天の祝日)により、まったくといっていい位に人の気配がしない。観光客もゼロとはいえないが、いつもより極めて少ないことは確かだ。

マッジョーレ広場に面するインホメーションで貰った夏の博物館・美術館情報では、大部分が8月は閉館となっている。その代わりと言えそうだが、8月15日(金)、16日(土)、17日(日)も、国立絵画館、近代美術館、市庁舎のモランディ美術館などの幾つかが申しわけ程度に開かれているに過ぎない。

もちろん斜塔は登ることができるし、旧ボローニャ大学(人体解剖室のある)も曜日と時間を間違えなければ見学ができる。しかし期待したタペストリー博物館は休みであるし、その他の大部分は閉館となっている。

ボローニャの夏を経験し、「とてもこんなところで住んで居られるか」というのが正直な感想である。当地のテレビの天気予報でも、イタリア主要都市の最高気温、最低気温が毎日報道される。アペニン山脈が北西から南東に向けて走っている。その山脈の北側の内陸部に位置するボローニャは、毎日全国で最高を記録していた。

7月から8月の半ば過ぎまで、最高気温36度〜38度がざらとなっていた。つまりサウナ状態が毎日続いていた。こうした気象条件のなかから、昼休みが確保され、ヴァカンスの習慣が出来ていったのであろうと納得する。


完全閉店、ボローニャ・インディペンデンス通り

〈家族の来訪〉

皮肉と言えば、これほどのことはない。つまり、ヴァカンス真っ最中、完全閉店のところに妻と娘がやってくるのである。しかし仕事をしている妻は、お盆を挟んだこの辺りしか休みようがないのである。しかも、出発から帰国まで1週間程度である。

イタリア人の彼らが短い場合で2週間、長い場合で4週間の休暇をとる。これはいわゆる組織労働者だけではない。中小商店が独自に自らの責任で閉店し、出かけて行っている。この休日のあり様にも、日本とイタリアの相違を見ることができる。せめて私がどのような周辺環境のもとで生活しているのかわかって貰えばよいのではないかと、自分と家族を納得させるメールを打つ。

正味3日間の滞在は、2日をボローニャの美術館・博物館めぐりや既に紹介したボローニャの将来計画の展示などに、1日をピサの斜塔の見学に費やした。私一人では見ることのないであろう近代美術館を始めとする幾つかの美術館見学ができたことは私にとっても収穫であった。

ピサの斜塔は確か90年代の10年間ほど、倒壊防止工事のため登頂は中断されていた。少し前から再開されたものである。私は16年前、ペルージァ外国人大学に滞在した時に見学にきた覚えがある。

その時にも自然に口をついてでてきた言葉に「臨場感」というのがある。あの巨大な大理石の塔が傾いている前に立つと、その姿の迫力に誰しも驚嘆するものである。10世紀以降東方貿易で栄え、一時は世界有数の海軍力を誇ったピサの歴史に思いをはせる(注1)

ボローニャは美食の街、食通の街としても知られている。しかし、完全閉店状態の時に開いている店には、その内容や料金に限度があることは言うまでもない。結局はるばるやってきた家族は、一度もレストランに入ることはなかった。

その代わり結構おいしい総菜屋さんで買いこんだ品々や、数少ないスーパーマーケットで手に入れた食材で久しぶりの料理づくりを楽しんだ。熟れたトマトやスイカにも、日本のハウス栽培で得られない格別の味があった。

一枚一枚その場で切ってくれる生ハムの美味しさもたまらない。家族の短い休日は終わり、ボローニャ空港で別れを告げた。今度会うのはいつになるかな、と思いつつ下宿のあるチェントロに戻ってきた。


ピサの斜塔の前で

〈私を訪ねて三千里〉

その1週間後、このボローニャに日本からの来訪者があった。ある社会人大学院生である。その他の見学先も予定されていたようだが、それでもはるばるこの地まで私に面会を求めてやってこられた。時間距離は近くなったとはいえ、日本―イタリアはやはり遠い。約1万数千キロ、三千里はある。炎暑のボローニャと呼んでいる頃、日本は冷夏だったと聞く。地球の広がりの大きさを感ずる。

朝晩はやや涼しくなったとはいえ、日中はまだまだ暑さは残っている。閑散としたボローニャのあちこちを歩きながら、2ヶ月足らずではあるが感じた事柄を語った。その幾つかはすでにこの「ボローニャだより」に掲載、若しくは原稿として編集部に送ったものもある。

日本にいては分からないことを自分なりに感じてきていることを実感する。旅行客でなく、長期的な滞在を通じて、ボローニャの功罪の幾つかが見えてきているのではないかと感じ始めている。

8月も終わりに近づき、ヴァカンスも区切りの時期を迎えているようだ。下宿の大家さんも、南イタリアの実家での2週間のヴァカンスを終えて帰ってきた。テレビは、ヴァカンスを終えて帰路につく道路の渋滞状況を連日伝えている。活気づく9月も目の前に来ているようだ。

7月から8月にかけて、商店の閉店数が増え、そしていまようやく開店する店が出始めている。長かった「ボローニャの休日」もそろそろ終わりに近づいているようだ。私の調査も本格化させなければと気持ちを引き締める。


オペラハウス、テアトロ・コムナーレ


旧ボローニャ大学(解剖室)


(注1)「改定新版世界史B用語集」2000年、全国歴史教育研究協議会編、山川出版社p.104。
「トスカーナ・都市紀行 イタリアルネッサンスの舞台」2000年、邸景一・武田和秀、日経BP社p.60〜69参照。

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