梅浩先生のボローニャだより
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第6節 ボローニャはテロリズムを忘れない

〈午後9時マッジョ−レ広場の大コンサート〉

 先日まで長い間設営されていた、臨時映画会場の大スクリーンや椅子がこの2,3日で片付けられた。そしてそれとは直角に向きが変えられ、サン・ペテロニオ聖堂に向かい威儀を正すかのように会場がつくられた。正面には映画会場とは異なる設えがある。聞くとコンサート会場だという。

しかし、それは単なるコンサート会場ではなかった。昼間はボローニャ駅隣で政府首脳も参加した「1980年8月2日を忘れない」記念式典があったばかりである。ボローニャを襲ったテロリズムを告発し、風化させない怒りと悲しみのコンサートである。

午後9時、定刻である。正装した楽団員100名近くが並ぶ。司会者が入場し、記念コンサートの開始を告げる。「8月2日記念創作曲国際コンサート」である。受賞者には3人の名前があり、3等賞にはHiroaki Tokunaga (クラリネット)の日本人も記されている。

夜間、周りを石造りの建物に囲まれたマッジョ−レ広場で、照明が灯され、奏でられる演奏には、門外漢の私にも、圧倒的な音楽の力で集中させる。それを聞く聴衆は、外国人の旅行客ももちろんいるが、多くはサンダル履きの地元の人たちである。こうして音楽に酔いしれながら、夏の夜は更けていった。

ボローニャ駅正面
ボローニャ駅正面

「ボローニャ・8月2日を忘れないコンサート」準備風景
「ボローニャ・8月2日を忘れないコンサート」
準備風景

〈1980年8月2日、ボローニャ駅を襲ったテロリズム〉

ボローニャの図書館前には、これまでもレジスタンスによって倒れた人々を追悼する写真が掲げられていた。そして新たにガラス製の追悼碑が建て入られた。そこには、以下の犠牲者の人数が記されている(注1)。合計すると8,047名である。ファシズムによるテロリズムの犠牲者(人数は別のところで集計すると7,935人が数えられる)

1974年 8月 4日 列車イタリクス 12人
(この中には旅行者であったTsugufumi Fukuda 32歳の日本人名があり、犠牲者となったことが刻印されている)

1980年 8月 2日 ボローニャ駅  85人

1984年12月23日 列車904号車 15人

記念コンサートは、直接には1980年8月2日、ボローニャ駅で起きた爆破事件による  85人の犠牲者追悼である。

ボローニャは、レジスタンスの伝統を受継ぎつつ、前回選挙で右派が勝利したのを除くと、戦後は一貫して左派が政権を担当してきた。

またボローニャは地図をみるとわかるように、ローマ・フィレンツェ−ヴェネツィアを結ぶ南北線と、ミラノ・トリノ−アンコナを結ぶ北西から南東への線の結節点にあたる。

そうした意味では、ボローニャ駅を襲ったテロリズムは、ボローニャとイタリア社会そのものへの挑戦であったものと推測される。

下手人は拘束され、刑に服しているとのことであるが、いまだに誰の仕業なのか、全貌は明らかではないようだ。服役囚に対し、そろそろ恩赦をすべきではないのかとの声が出ているようである。式典で中央政府当局によって、「恩赦はノー、刑罰は厳正に」と言明しなければならないところに、今のイタリア社会の抱えている矛盾が表れているようである(注2)

新聞記事・ボローニャは1980年8月2日を忘れない
新聞記事・ボローニャは
1980年8月2日を忘れない(注3参照)

ボローニャ駅爆破当時の写真
ボローニャ駅爆破当時の写真

「忘れ去らないために」 ジャンカルロ マッヅーカ作(筆者訳)

以下の詩は、事件を風化させない式典が行われた8月2日当日の地元紙に掲載された詩である。哀悼の意を表しながら全文訳を載せる(注3)

列車イタリクス、特急904号車、ボローニャ駅、マルコ ビアッジ:いま、ボローニャでは静かな時を刻んでいる。

大量無差別殺人のあった街、テロリズムのハンマーの一撃で他の誰よりも苦痛を味わった街、私は忘れ去ることができない、人は決して忘れない。

1980年8月2日のあの悲惨な朝は、私たちの記憶のなかに消せないままでいる。ボローニャ駅に放たれた爆発を伝える通信社の、あの最初の閃光を思い出させる。

爆弾、爆弾、爆弾。

イタリアにおいては決して犯されることのなったテロリズムのより重大な行為、その犠牲者の悲惨な結末、荒廃した結末、爆弾による荒廃。

8月2日の犠牲者の85人、残忍な重大犯罪の下手人、執行者によって、この世に無用なものとして消し去られてしまった85人の死、駅の墓碑に書かれたこの名前は、永久に我らの記憶のなかに、そして我らの子孫の記憶の中に刻印されねばならない。

それは、他の大量無差別殺人を避け、他の襲撃事件を回避するために、そしてそのことを、より考え抜くために。

それはほんの少しの静けさを求めるためである:議論をするだけで充分だ、悪口の言い合いだけで充分だ、美辞麗句の巧言だけで充分だ。

少ない会話と多い静けさ、敬虔な静けさ、それは熟慮するために必ず必要だ。

新聞「カルリーノ」は、23年前報道した8月2日の犠牲者の写真を、今日新たに報道する。

ヴァカンスに出発したかのようなイタリア人の微笑んだこの顔つきを、決して置き去りにすることはできない。我々の死者と巡り合うために。

事件を風化させない高校での取組み記録
事件を風化させない高校での取組み記録

大勢の客でごった返すボローニャ駅
大勢の客でごった返すボローニャ駅

〈 追補 〉

もしテロリズムの背景と原因者を明確にしないで糾弾が強まり、その矛先が左派にあるとしたら、極めて強い政治的意味を持ってくる(注4)。戦後の日本において重大な列車転覆事故が発生し、国民を恐怖に落し入れ各方面に多大な影響を及ぼしたことが想起される。


(注1)列車イタリクス・特急904号車はボローニャ駅近郊での爆破事件、ボローニャ駅は駅待合室付近で爆破事件があった。

(注2)一説には、マフィヤのせいだとか、諜報機関、ネオファシストなどが取り沙汰されているようだが不明である。引用は「il Resto del Carlino Bologna」3 agosto 2003。

(注3)「il Resto del Carlino Bologna」2 agosto 2003。マルコ ビアッジは、1年前にボローニャで銃弾に倒れたモデナ大学教授(中間派)。

(注4)因みにボローニャ大学カペッキ教授によると、新聞「カルリーノ」は右派系新聞とのことである。

 

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