梅浩先生のボローニャだより
前のページへ戻る 次のページへ進む
第4節 イタリア人・愛すること

〈季節の移ろい〉

 これこそ燃える夏だと、自然に口をついて出たのが「炎暑」という言葉であった。

それが8月の声を聞こうという時になると、日中はまだまだ暑くても朝晩はめっきりと涼しくなってきた。厳密に調べれば、僅かの温度差かもしれない。しかし、8月に入り季節は確実に変わり始めている。朝晩は冷気が入ってくる。

ボローニャの街角では、スーツ姿の男性も目に見えて増えてきた。ちょうど日本でいえば、8月も終わり9月に子どもたちが再び学園に戻ってくる。しばらくするとあの暑かった夏を忘れたように、次の季節が展開していく。そうした感じを期待させる昨日・今日である。しかし、これも8月を過ぎてみなければ分からない。

下宿の近くで、しかもボローニャ駅からも5分位のところにモンターニョラ公園がある。木々の生い茂った市民公園とでも言えそうである。夕暮れ時、時々散歩にいく。と言っても日本の夕暮れは例えば午後7時ころとしても、こちらでは太陽は随分高い。

夏なら、なお更である。しかし木立が迫ってくる下を、歩いてゆっくりと1周する。しばらく前なら、むっとするほど体にまつわりついてきたあのいやな感じはしない。

きょうは、8月1日(金)。例の金曜市の行われる「8月8日広場」は、この公園の隣である。一部の店舗はこの公園まで入り込んできている。いまは金曜市の片付けが行われている。

お年寄りや子どもたちや男女の語らいがある。同じイタリア人でも身体の特徴に随分違いがある。背の高い人、低い人。髪の毛の色も様々。加えてボローニャでも定住者・観光客を含めて、外国から来たであろう多くの人たちが入り混じる。金曜市に従事する人たちの中にアフリカ出身と思われる方もいくらか見かける。

多くの市民の憩いの場は、同時に男女の語らい場でもある。長年日本で生活してきた私にとっては、オーバー過ぎると思える愛の表現の場である。それはベンチの隣の席に誰がいようが、誰が通行していようが関知しないという風情である。若者もいれば、年配の方もいる。

そんな中を季節は移ろっていく。

木々の生い茂るモンターニョラ公園
木々の生い茂るモンターニョラ公園

モンターニョラ公園・昼寝
モンターニョラ公園・昼寝  

モンターニョラ公園・散歩
  モンターニョラ公園・散歩


広大なマルゲリータ公園


マルゲリータ公園・家族で

〈イタリア・愛と仕事〉

そのイタリア人の愛と仕事に関して、興味深いアンケート調査の結果を目にした。

このボローニャでも、全国紙は売店で幾つか販売されている。その他毎日無料で街頭配布されているものに、タブロイド版の「LEGGO Bologna」24ページ建てと、「City BOLOGNA」18ページ建てがある。いずれもボローニャを本拠としているのであろう。

たまたま手にした7月29日号のトップに同じ問題を取上げていた。

「エウリスペス社」と称する調査会社のアンケートの結果である。それは、15歳から24歳までの1,000人のサンプルによる若者の意識動向を扱ったものである。ここでは、「LEGGO Bologna」をもとにその一部を紹介してみよう(注1)

「L'Amore? Meglio il lavoro.」(愛?それより仕事が大事だね)という見出しがつけられている。将来の重要な目標として、40%は仕事、23%は愛することをあげている。15%は成功、11%は社会参加であり、6%がお金もうけである。成功というのも仕事と関連していれば、両者で55%となろう。

以前の数値がどうであったのかがわからないが、おそらく仕事のパーセントが増加したことがニュースになっているのであろう。日本であれば「家庭重視」となるのが、男女の「愛」とくるところに大きな違いがある。減少したとは言え約4分の1が「愛」が重要とくるところに、イタリアらしさがないだろうか。

そして調査では、男女間で意味のある事実が浮び上がるとして、意識の相違をあげている。

仕事を重要視する(男性48,8%; 女性33,1%)、愛を尊重する(男性13,2%; 女性33,5%)において、男女間で著しく差異が生じているのである。仕事の重要視度は男性が高く、愛の尊重は女性の方がより高いとの結果である。

そして、これらはいまのイタリアの経済情勢を反映し、その背景に重要な相違を引起す就業の問題があるからであろうと分析している。大学卒業生さえもこの傾向は同様であると指摘している。

署名入りの筆者氏は、なお「このようなとりわけ難しい時期でかつ重要なのに、著しく労働への気力に欠けている」と指摘し、「若者のおかれた事態をどのように皆に知らせるかが重要である」と結論づけている。

この記事の見出しの一部に「就業は青年にとって優先課題である」「ヴァカンス中も仕事のことを考えている」というフレーズがある。イタリアの若者のおかれた現状であると理解できる。

この点と関連しボローニャ・チェントロ内の目抜き通りを中心に、物乞いをする人が目立つ。日本でも路上生活者が増えている。勤務先や家庭における関係そのものを遮断する気持ちが強いと考えられる。しかし背景に経済困難があることは間違いない。

ボローニャで見る場合、親子でそろっている場合もあるし、路上生活をしている気配もない。労働そのものを忌避し、「労働への気力に欠けている」やや異なった現れ方をしているのではなかろうか。しかし、やはり経済困難を背景にしていることは共通しているように思われる。

また、仲間たちが歓迎会をしてくれたことはすでに報告したが、その時B氏夫妻の子息が父親と盛んに訴えるような話をしていた。余りにもテンポの速い話であったので、私には聞き取れなかった。

あとで聞くところでは、大手タイヤメーカー関連の会社に勤務する彼の勤務実態が日ごとに厳しくなっていくことへの対処のことだったようである。新聞記事をみながら、改めてイタリア労働者のおかれているその一端を垣間見たような気がする。

(注1)「LEGGO Bologna」29 Luglio 2003, p.1, 3。Claudio Fabretti署名。

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTION INC