梅浩先生のボローニャだより
前のページへ戻る 次のページへ進む
第5節 通信・交通事情あれこれ

 イタリア入国以来、彼我の相違を知らされたものに通信・交通事情のあれこれがある。自らの不慣れも含めて、その一端を記してみよう。

〈メールの開通〉

 私は、日本ではインターネットに関しては、衛星回線を利用したADSLを使用していた。資料送付と連絡のためのメール利用はどうしても必要なものであり、コンピュータ利用は早くから手当てをしていた積もりであった。

最近のコンピュータは、電圧の差は充分考慮(100〜240V)されていることが理解できていたし、プラグの違いについても現地で対応できることを確かめていた。また、アドレスもイタリアから発信するためには、イタリアのプロバイダー会社のものを取得する必要があるし、そのためにインターネットで日本からでも経費無料のものを、事前登録できることを聞き、「libero.it」 のものを取得していた。

しかし、問題はそこからである。ADSL回線が利用できるとばかり早合点していた私に、下宿の親父さんはここにあるこの線を使えと言われる。つまりISDNの回線である。接続し、設定を試そうとするが、インターネットはうんともすんとも言わない。日本でも他の人の助けを借りてやってきた付けが回ったのか、後の祭りである。

そうは言っても、そのままでは済まされない。この「福祉広場」への原稿の送付があるし、日本との連絡はメールを措いて考えられない。この間、試したものに2つある。まず、語学学校へ自分のコンピュータを持ち込み直接接続することである。同じADSLならばとも考えたが、設定そのものを考慮しなければならず、自分の力では諦めた。ただし、学校においてあるコンピュータは、日本語は書けなくても読み取りはできることがわかり、しばらく日本の新聞はここで読むことにした。

次に、考えたことはいわゆるインターネットカフェと称するものである。カフェはもちろん飲物があるところであるが、インターネット利用専門の会社が、数は少ないがあることを聞きとめた。

インターネット専門会社
インターネット専門会社

私の場合は、下宿で作成した原稿をフロッピィディスク(FD)にいれて、その会社において添付書類で送る方法である。こうして着くかどうかひやひやしながら送ったのが、本「ボローニャだより」の第3回目である。

しかしこの方法は、永続性がない。どうしても下宿でできるようにしなければならない。なんとかならないのか、と人を探したのである。こうしてお世話になったのが、ともに奥様は日本人で、ご主人はイタリア人の2組のご夫婦である。下宿の親父さんを通じてコンピュータがわかる人をと紹介していただき、さらにそこから別の方を紹介していただいたのである。

結論的には、下宿における回線の一部の断線がわかったこと、「libero.it」のボローニャの電話への正確な接続設定を行うことによって、無事メールが開通できたのである。しかし、まだ日本でのように、使いたい放題と言うわけにはいかない。こちらの電力事情はあまり良くないらしい。今朝も停電してしまい、しばらくは明かりも利用できなかった(注1)。水道その他の公共料金に比べて電気料金は極端に高いという。それを反映し、電話料金も必ずしも安くないという。

何よりもコンピュータの普及度は、日本と比べいま少しというところである。もちろん東京秋葉原、名古屋大須のようなところはどこにもない。私のプリンタも当地で買う積もりでいたが、まだまだ購入するところに至っていない。つまり個人でコンピュータを備えるという、大量普及の段階にまで至っていないというところであろう。ヨーロッパにいて、やや陸の孤島的な感じのする現在である。コンピュータの接続が可能となっただけ、まだましであるかもしれない。

〈交通事情〉

7月のある日曜日の夕刻時である。すでに報告した仲間たちとの歓迎会には、仕事の都合でM氏は参加できていなかった。その彼と前日の土曜日に連絡が入り、午後6時前にカルピの駅頭で落ち合い、再会を喜び合うことになっていた。新しく時刻表を買い求め、心積もりにした列車は次の通りである。

[ボローニャ発16:40−モデナ着17:10、乗換えモデナ発17:28−カルピ着17:39]

これで約束の18:00には遅れる筈はないと考えた。ところがボローニャ駅へ着くなり、まず16:40発の列車は駅の当日用の時刻表にのっていない。何故だ。後で確かめると通勤列車の含みもあり、日曜日は運休である。これは完全な時刻表の読み間違いである。早く駅に着いていたため、切符売場の係員氏は、16:32モデナ経由、ピアチェンツァ行きに乗ればよいと親切にも教えていただいた。有難いと感謝しつつ、予定より早い時間となったため慌ててホームにでた。

交通の要衝にあるボローニャ駅
交通の要衝にあるボローニャ駅

ところが、ホームの案内表示には、16:32発は出ていない。何故だ。それもその筈、16:14発ミラノ行きES(ユーロスター・イタリア、国際列車、指定券等必要)も30分遅れの表示があるではないか。列車の来る気配はない。16:50、17:00と過ぎていく。すでに表示の30分は過ぎているではないか。それでも、案内放送は依然として30分遅れを告げる。

何故遅れているのか、イタリア語がまだまだ不慣れと言っても、その理由らしき言葉は出てこない。アナウンサー嬢にとっては、遅れを伝えることが仕事であり、その理由には関知しないという感じである。あえて言うならば、駅職員としての職務の相互連携に極めて欠けるというのが、その時の受けた実感である。

やがて16:32発の表示も出たが、やはり、30分遅れとある。急いでM氏の携帯に電話を入れる。モデナに着いた時点で、改めて電話を入れる旨を伝える。やがて16:14発予定のミラノ行きESが着た。指定券が必要ならば、払えばいいや、と飛び乗る。いやいや、この列車は、ミラノまでノンストップであることを理解し、慌てて飛び降りる。なんてざまだ。16:32発は、正確には38分遅れの17:10にボローニャ駅に到着、すぐに発車した。

モデナ到着は17:35、乗換え予定列車は17:28発で、すでに出た後だった。カルピ方面に乗るであろう待合客に、次の列車時刻を尋ねる。「そうね、19:17発、マントバ行き、あと1時間ちょっとかしら」。 なんてことだ。

ここでM氏に電話を入れる。「Kojiro 車を飛ばして迎えに行く」とのこと。どれ位かかる。「20数キロ、20分ちょっと」わかった。頼む。こうして18時もだいぶ過ぎたころ、モデナ駅に懐かしいM氏と再会した。そして車を飛ばし、カルピへ向かう。食事の場には、先日来ていたB氏も顔を出していた。

明日の月曜日、朝は何時もの通りの時間である。私は、帰りの列車が気になって仕方がなかった。予定の時刻で帰れるのか。時刻表では、モデナ発22:07−ボローニャ着22:30、または23:02発−23:30着である。M氏は平然としている。まだ時間がある。時間はすでに22:00を過ぎていた。しばらくして、それじゃあ行こうか、と言って車に乗った。確かに23:02には充分間に合った。問題は予定の時刻に、列車が来るかどうかである。しかし、帰りは正確に23:02出発した。それを見届けてM氏は帰っていった。

イタリアの交通事情の一端にふれる1日であった。このイタリア列車の断片を通じて皆さんはどのように感じられるでしょうか。

空の青に映えるネプチューン像
空の青に映えるネプチューン像

壮観な屋外映画会場
壮観な屋外映画会場

映画会場の右はサン・ペテロ二オ聖堂
映画会場の右はサン・ペテロ二オ聖堂

何百年前であろうか、城壁が水路で囲まれたボローニャ
何百年前であろうか、城壁が水路で囲まれたボローニャ

(注1)翌日近所に住む別の方に話したら、「うちは、点いていましたよ」とのこと。電気料金が高いことは確かだが、そのことを理由として大家がブレーカーを落としたのかも知れない。真偽の程はわからない。

目次へ戻る

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTION INC