梅浩先生のボローニャだより
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第5節 カペッキ教授再訪・仲間たちの歓迎

〈カペッキ教授再訪〉

7月8日(火)午後3時、ボローニャ到着後懸案となっていたカペッキ教授を再訪した。

昨秋訪問後の折々に手紙やメールで連絡をとっていたが、返信はなくやや不安を感じていた。昨日思いきって電話をいれ、面会のアポイントをとる。出発前にはボローニャ到着後、できるだけ早く面会したい旨知らせていた。「待っていましたよ、都合の良い日時はいつですか」の声をきくと、そんな心配は吹き飛んでしまった。

斜塔近くの自宅のベルを、午後3時定刻に押す。一歩建物の中に入ると、立派なまわり階段が見える。磨り減った大理石の踏面に年季の入った、100年単位の重みを感じる。昨年も応対していただいた書斎に招じ入れられる。

ヴィットリオ・カッペキ教授は、社会学及び労働社会学講座担当である。同時に都市社会学、都市政策全般に造詣が深く、私のところで充分対応できますと話してくれた。私よりは10歳近くは年長のように見える。

日本から持参した多少のお土産を渡したあと、訪問の趣意を述べる。まず私が最近出版した『都市戦略と土地利用−産業あいちへの道』(2003年、創成社)の問題意識となる部分のイタリア語訳を渡し読んでいただいた。近代都市の象徴としての工業都市の現段階を、歴史的な到達点としてどのように押さえるのかについて記したものである。

その上で21世紀の都市地域政策の研究を深めるために、ボローニャが21世紀への挑戦の長期戦略をどのように持ち、現段階はどのように考えているのか、などの調査項目のメモを渡し読んでいただいた。

教授は、おおむね以下の内容の話をされた。

「本で指摘されていることは非常に大事なことです。そうした視点でボローニャを見ていただくことは重要です。私はまもなくボローニャに関する本を出版する予定です。それはボローニャの100年の歴史を扱っています。人間にとって必要な取組みとは何かを常に考えていくことが大切です。加えてボローニャの女性の権利がどのように確立してきたのかについても触れています。できればボローニャのことを共同で研究できるとよいですね」

同時に教授は、「来年6月はボローニャ市の選挙があります。誰が政権を握るかは政策実現にとって重要であり、今の右派政権から次は左翼が政権を握ります。それに対する Battaglia(戦い)を挑みます」と述べた。この時のBattagliaには言葉の内実を告げる重みが感じられた。必ずやり抜くという決意を込めた重みである。

「あなたは大変重要な時期にきました。その準備の過程を見ることができるからです」とおっしゃった。有難うございます、と感謝の言葉を返した。

会話の途中から、帰宅されたパートナーであるアデーレ・ペッシェ教授も話しに加わった。用事のある時はいつでも良いですから電話を下さいと、携帯電話番号を教えていただいた。ただし7月25日から8月いっぱいはサルデーニャにヴァカンスに行っていて不在ですから、改めて9月にはお会いできるでしょう、と述べられた。

カペッキ教授再訪を通じて、この一年のボローニャ滞在の重要な位置づけができた思いがした。「良かった」の言葉を反芻しながら教授の家を辞した。


カッペッキ教授と再会

〈仲間たちの歓迎〉

ルーチョ・サルティーニ(CGIL幹部)に電話連絡をとり、7月11日(土)午後8時、ボローニャ駅頭で再会した。少し遅れて、もと警察官労組で活躍し現在年金者のB氏夫妻、英語教師のC女史もやってきた。近くのレストランでも行くのかと思ったが、B氏の車に同乗して近郊のフェスタ会場へ向かった。

最初にお会いしたのは1985年の国際交流の機会であるから、かれこれ18年も前になろうと言うもの。その後1987年の再訪の折にも会っている。彼らの何人かは日本にも来ている。

会場に着いて食事をしながら、日本から持参した当時の記念写真を見ながら言った。

「あなたちも私もいまも気持ちは若い。しかしこの写真は、体つきも若い」、「間違いない」と久しぶりの再会を楽しんだ。私が40歳過ぎなら、ルーチョはまだ30代のスマートな青年そのものであった。いまでは老練な幹部となっている。

C女史も若さがはちきれる魅惑的な20代後半か、30代初めであったろう。この20年近くの歳月はそれぞれの生活と思いに、どのような変化をもたらしたのか追々話をする機会を持ってみたい。

皆に、カッペッキ教授に渡したのと同じ計画書を見せた。そして、ルーチョに質問した。

カッペッキ教授を知っているか。もちろん良く知っている。「あなたは良い時期にきた」と、教授がしゃべったのと同じ言葉を発した。この計画書のコピーが欲しい。これに書いている様々な資料収集に協力しよう、と約束してくれた。

B氏夫妻は昨年私が訪問した時も食事でもてなしをしてくれた。C女史は、「コジロ」(KOJIRO、パスポート記載の名前、佐々木小次郎の感じ)と後ろでトーンがあがる言い方で呼びかける。昔と変わらない。カッペッキ教授に渡した私の本の「問題意識」と書いたイタリア語訳に、語学教師らしくここはこうした方が良い、とその場で添削してくれた。

手土産にはシーツを持ってきてくれ、何かあったら連絡してくれと言った。時刻はまもなく12時近くになろうというもの。ボローニャ駅近くに送っていただき、楽しいひと時は過ぎた。


ルーチョ・サルティーニ氏と


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