梅浩先生のボローニャだより
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第4節 海外の長期滞在に思う

〈滞在準備は住み替えの意思確認か?〉

ボローニャでの長期滞在の準備について、あらためて振り返っておきたい。

昨年秋にイタリア・ボローニャでの研究滞在が決まってから、そのための準備が始まった。周りにいる方たちの助けを借りながらの試行錯誤であった。

それは第1に直接研究内容に関することであり、あわせてイタリア語学習である。イタリア語は1987年夏のペルージャ外国人大学への短期語学留学以来かれこれ15〜16年になるが、改めて取組むことになった。しかし遅々として進まなかった。

第2にはVISA取得や住居をはじめ滞在に必要な手続き関係であり、渡航のための航空機の確保であった。VISA取得そのものはボローニャ大学からの招請状をいただいており、大阪のイタリア領事館へ足を運ぶ以外、さほど問題はなかった。

しかし現地で滞在許可証を得るための用意すべき書類は何が必要なのか、入国から8日以内に現地警察へ出頭せよとのこと以外ふれられてはいない。各種の留学記にはさまざま書かれている。

例えば、イタリアI.N.A.社の保険の証明が必要である。その際の「支払ったお金が、窃盗や不正労働などイタリアで不当に稼いだものではないことを証明しないといけないので、…トラべラ−ズチェックのコピーを用意するなどの措置が必要」とある(注1)

一事が万事である。事に当れば以外にすんなり済むかもしれない。しかし、現地へ出かけてから「何々が足りません」と言われても話しにならない。

航空機の予約も今年はいつにも増して大変だった。3〜4月のイラク戦争、4〜5月のSARSの影響によるものであろう。4月はじめには以下の路線が確定していた。名古屋−フランクフルト−デュッセルドルフ−ボローニャである。デュッセルドルフはすでに記した寄道である。

ところがである。旅行社によれば、まずデュッセルドルフ−ボローニャは「ルフトハンザ航空が減便をしました。ミュンヘン経由(ルフトハンザ航空)か、チューリッヒ経由(スイス航空)か、どちらがよいでしょう」とくる。しかも飛行回数が増えたので、その分の金額アップである。

もう良いだろうと高を括っていたら、6月になってから肝心の名古屋−フランクフルト便は、予約の曜日は減便で飛行はなくなりました。曜日変更か、名古屋−成田−フランクフルトでいかがでしょうか、とくる。いやいやここで怒ってもどうしようもない。成田経由でお願いしますとなる。不測の事態による航空機・旅行業界の深刻さを身にしみて感じた。

そして第3に研究と生活に必要な“もの”に関する類であった。コンピュータ、デジカメをはじめ電子機器備品をどのようにイタリアへ持込むかである。その重量、電圧等など、ここでも人並みの苦労を味わった。

加えて1年間の滞在ともなれば必要な書籍もある程度は必要になってくる。機内持込の20キロはとうにオーバーする。うーん。SAL便で送るほかないなと決断し、20キロ小包3個を事前に送る(注2)

こうした準備の最中にもスイス国境近くで開催されたエビアン・サミットのニュースが伝わった。「北朝鮮拉致初の明記」(注3)である。思えば帰国された5人の方たちは、私が疎んじるほど感じたであろう準備も何も無い中で、まさに強制拉致され異国に“物”のごとく運ばれていった。

日本という国家組織の中で保護されていたさまざまな法治機構から、他国における住み替えの手続きを行うことなく、無理やりその国の法治機構に埋め込まれてしまったというほかない。しかもその国の国家目的にそう形での極めて限定的な“移植”である。国家犯罪の空恐ろしさである。さまざまな準備をすることは、そのことを通じて自らの意思で他国に滞在することを確認する作業であるかも知れない。

〈指紋採取の不気味さ〉

いよいよ7月8日(火)、現地警察への出頭である。長期滞在、すなわち3ヶ月以上の当地への滞在は現地警察に出頭し許可証を取得する必要がある。

@パスポート、Aボローニャ大学の招請状、B滞在資金証明のための金融機関の残高証明(英文)、C海外旅行障害保険(英文)もしくはイタリアの強制保険(INA)の証明、D顔写真4枚、E所定の申請用紙、印紙である。後にこれに加えて、F下宿の大家さんの承諾書と、G同身分証明書のコピーが必要と判明した。

語学学校を早退し、12時前に警察に着く。この日は有り難いことに、私が不要領だということで、日本で出発直前に紹介していただいたボローニャ滞在1年のAさんが付き添ってくれた。

いつ来てもどのような列かわからないが、大勢の人が待機している。予定の12時30分を過ぎ、午後1時頃にようなく入室許可となる。そこでまた列を待つ。1時半頃に書類受領が終わりやれやれと思えば、今度は指紋の採取となり50メートル以上離れた採取場の建物に向かう。ここでまた名前を呼ぶまで待てと言い渡される。

気温は高く乾燥し、築200〜300年はしているであろう建物の側で、いつに呼出しになるかわからない待機となる。郷に入れば、郷に従うしかないと肝に銘じる。2時近くに採取場にはいる。始めての体験である。両手に念入りに黒々と墨を塗られる。指紋と手形を当局控えと本人渡しと思われるものに繰返し押捺する。午後2時過ぎようやく自由の身となる。

指紋採取は昨年から導入されたそうで、不法滞在者の阻止やテロ対策がらみであろうと推測される。かつて日本においては外国人に対する指紋押捺への批判があり、改善された記憶がある。 イタリアにおける事情は別として、滞在している日本からの留学者は、異口同音に、犯罪者扱いのようですね、と語っていた。こうした試練をへてようやく長期滞在が可能となる。日本では必要な場合住民票の提出が求められるが、イタリアでは大家さんの例のように顔写真入りの身分証明書が発行されていることもわかった。


 ボローニャ市図書館(正面階段上扉入る)


色鮮やかな農産品食材(マッジョ−レ広場隣)


 新鮮な海産物(マッジョ−レ広場隣)


肉製品(マッジョ−レ広場隣)   

(注1)『成功する留学T イタリア留学』1993年、ダイヤモンド社p.103。実際には、日本で外資系長期滞在者用の保険に入っていたために、I.N.A.社のものは要求されなかった。

(注2)航空貨物の余裕のある時に送られる。 航空便と船便の中間の時間や経費を要する。

(注3)「中日新聞」03年6月6日付け。[訂正] 第3回の文中「CGEL」は、「CGIL」の誤りでした。訂正します。

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