梅浩先生のボローニャだより
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第2節 ドイツ、娘との再会

 ボローニャへの旅立ちは、まず娘の滞在するドイツ・デュッセルドルフへと向かった。

経由地の成田では、ルフトハンザの機体整備に思わぬ時間がかかった。到着便の遅延によるとはいえ、それも1時間、1時間20分と出発の遅れの時間が長くなってくると、少々落ちつかなくなってくる。フランクフルトでの接続便に間に合わなければ、出迎えの娘との合流はできるのか。「搭乗に関する次の連絡は20分後」とのアナウンスは、非情というほかない。

仕事中の妻を呼出し、娘に飛行機が予定通り接続できたかどうか確かめて、空港への待機をするように電話をいれる。ようやく1時間40分遅れで飛行機は成田を飛立った。

フランクフルトでは、2時間10分の乗り継ぎ時間が1時間20分となった所で到着した。話に聞いていたとはいえ、ヨーロッパ最大の中継基地となっている空港の広いこと。30キロ近いスーツケースを押し、コンピュータ一式が入った10キロのリュックサックを背負い、なお且つ入りきらなかった紙袋を持つ、B26ゲートからA40ゲートへの乗り換えは、きついことこの上なかった。

A40ゲートを探しての数キロに及んだと感じられた移動は、さながら先の見えない行軍のようであった。探し当てたあと、直ちに手続きを行い、予定便に乗り込み安堵する。デュッセルドルフは日系企業も多いとのことで、搭乗客にはまだ多少の日本人が散見された。こうして飛行機はドイツ中北部に位置するデュッセルドルフ空港にようやく到着した。

手を振って近づいてきた娘に久しぶりに再会した。日本の美術大学を卒業し、直後にドイツに旅立って3年過ぎ、もう4年目に入っている。帰国していた昨年8月末からいえば、10ヶ月ぶりとなる。娘は元気であった。しかし少しやせたのではないか、と親心の心配である。

下宿先への道すがら、制作がここしばらくきつかったことなどを聞く。一方で、娘は会う早々「イタリアにいくのにもっと格好いい服装しているかと思ったのに、それ何」とくる。「そうかなあ、日本では普通だけど」と答えつつも、服装の色までよどんだ日本の状況になっているのかと自問する。

ここで、ドイツにおける学生生活の一端にふれておきたい。日本出発直前のある新聞には確か、「ベルリンで学生デモ、授業料無料化続けて、教育予算削減やめよ」の記事をみた(注)。ドイツの大学は、国が補助金を出しながらも各州が教育予算に責任をもち管理運営を行っている。

1970年代以来は、大学が国民に開放され、授業料は若干の登録費を除き基本的には無料化が続いてきている。記事ではベルリンの例をあげ、半期7万円、年間で14万の導入を検討しているとのことであった。この無料化は、一般に外国人に対してもいまなお同様に無料化の扱いとなっている。

娘の場合、5人のドイツ人学生とシェアー(1フロア−の幾つかの部屋のうち、各人がその1室を使用し、台所・トイレ・シャワー等は共同利用)をして生活している。それでも1室、約4m×6mの広さがある。食事は自炊を基本にしながら生活している。

重要なのは、制作の材料実費をのぞいて、授業料は無料であることである。それにとどまらず、近郊都市までを含めての鉄道・地下鉄・バスの学生証所持による交通費無料が続いているとのことである。有為な人材を育てることへの、ドイツ教育の大きな特質を見てとった思いがした。日本では、国公立で約50万円の授業料はいうまでもなく、交通費にも相当な支出を強いられている。私学の場合はさらに大きな負担となっていることはいうまでもない。

ドイツでは、確かにいまそこにさざ波がおき始めている。よくも悪くも学生への優遇措置を享受してきたことへの不安がよぎり始めているようである。授業料の有料化が進んでは勉学を継続できないという思いが広がっているとのことである。

それでも日本の置かれた状況との大きな違いがあり、長期的な人材育成の点で必ず大きな差異を生み出しているものと感じる。日本では、「国立大学法人化法案」の国会審議にも入っている。なおさら、学術・芸術の将来への不安を駆られているのは私だけではなかろう。

到着翌日、せめてこれくらいというカラーシャツを娘の見立てで買う。その後近郊都市ブッパ−タルのエンゲルスの生家を見学する。経営者として活躍した繊維工場も残されているが、いまは博物館として展示にむけて準備されており来春には開館とのことである。当時の産業遺産として貴重であり、楽しみである。


<エンゲルスの生家・博物館前にて>

夜は、当地で娘とともに学んだり、行き来をしている日本人や友人と自宅にて食事をともにした。いずれも同じ大学の学生である。それに通訳をしている女性とそのドイツ人の夫である。みな様々な経緯をへてここデュッセルドルフで学んでいる。そして日本に興味を持っているドイツ人である。意欲的な学びを通して、それぞれが自己実現のために努力していることに敬意を表したいと思った。

ドイツ・デュッセルドルフの街角風景
<ドイツ・デュッセルドルフの街角風景>

(注)「しんぶん赤旗」2003年6月24日付

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