梅浩先生のボローニャだより
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第1節 ボローニャへの旅立ち

 2003年7月1日午前6時、早暁の名古屋空港にやってきた。ボローニャへの旅立ちの朝である。見送りは妻と同居の長男である。

 SARSとイラク戦争はフライトスケジュールをも思わぬものに変更させた。確定していた午前10時発、名古屋−フランクフルト便を、午前7時5分発、名古屋−成田−フランクフルト便という不便きわまるものに変えた。

 この時間はさすが人影も少ない。さっそくチェックインをする。スーツケースはフランクフルトをスルーとし、2日間滞在する娘のいるジュッセルドルフあてにする。「それじゃ」と声をかけ、ゲートをくぐる。いよいよ1年間にわたるボローニャとイタリア・ヨーロッパへの研究滞在の始まりである。

 この旅立ちは、これまでとはまったく違う目的があり、感情の高ぶりも異なっていた。そのスタートは、02年9月の「創造都市:ボローニャ満喫の旅」(コ−ディネーター、佐々木雅幸教授<当時は立命館大学、現在は大阪市立大学の教授>)を直接の契機としていた。その時の思いを振り返ってみよう。

 2002年9月の旅には、特別の思いがあった。私は、高等学校教員としての仕事をしつつ、一方で都市や地域政策のあり方を求めて研究を続けてきた。ようやくその一定の研究のまとめを目前にして、定年退職という区切りの年を迎えようとしていた。

 日本で高等学校までの教師は、研究者としてはまったく期待されず、もっぱら教育者としての資質と役割のみが要求される状況におかれている。教育と研究を統一的にとらえる思考は残念ながら存在しないといってもよく、私もその中に身をおいてきた。

 節目の歳を機に、研究に没頭したい。念願のイタリアでの研究生活を行いたい。この気持ちは少し前から心の中でじわじわと沸き起こってきていた。その可能性を探るのが、私にとっての最大の目的であった。

「何故、イタリアですか?」これは必ず聞かれる質問である。歴史や伝統、風土からいっても東洋と対極にある国、都市共和国の伝統を受け継ぎ地域自治の精神を発揮している国、同時に地理的にも日本と類似するところが多い国である。市街地の保存的開発にみられるように、積み重ねられた歴史に、限りない再生の努力をするところに、成熟型都市の明日をみる思いがする。

 私は、成長型都市の今日の典型とも思われる中国に触れる機会もある。そこには過ぎてきた日本の共通項を重ねることができる。同時に、日本的な思考では押しはかることのできない状況にぶちあたる。そういう意味では、共通性と同時にきわめて異質で、参考にすべきところの多い国、イタリアと中国である。ともに興味ある研究対象と考えている。このスタンスで、しばらくはイタリアとその周辺のヨーロッパに直接身をおいて研究生活を続けたいと考えていた。

 旅行中の一晩、師となるカペッキ・ボローニャ大学教授にお会いすることができた。その前夜はまさに受験生そのものであった。明日はどのように何を話そう、どんな展開になるのか、考えを巡らせているうちに夜は更けてしまっていた。

 先生のお宅はボローニャの心臓部・斜塔の近くにあり、周りを書籍に囲まれた一室でお会いした。私は用意した書類をお渡し、研究滞在したい旨のいくつかの話をした。私の願いに対して「よろしいですよ」とのご返事をいただいた時、まさに安堵した。

「来年の何月から、いつまでの受入許可証を書けばよいですか」との問いかけは、予想していた質問とはいえ、いつからと返事すればよいのか決断の迫られる一瞬であった。「来年の7月から1年間、お願いします」在野の研究者としてやってきた私にとっての、「創造都市」(注)の心臓部での研究滞在が現実化する転換点であった。


「研究計画と語学と住まいと、それから日本での片づけと・・、いっぱいやることがあるな」と自問していた。その後、食事をしながらの佐々木教授(写真左)とカペッキ教授(写真中央)との、ボローニャとイタリアをめぐる熱い議論は、ボーッとしながら聞いていた(写真右が私)。

 これまでの旅は、イタリアにしろ、中国にしろ通過旅行客にしか過ぎなかった。少なくとも生活の本拠を変えて、その国の住民の一人として生活することへの準備はことのほか、大変であった。

 何よりも予想がつかないことがあり、短期間に用意することの大変さであった。同時にイタリア語を上達させ、そのことを通じて本を読み、さまざまなヒヤリングを行うことへの不安感はいうまでもない。そうした意味では、旅行者として明らかな楽しみがあるという感情の高ぶりはなく、これから展開するであろう未知への不安感の気持ちに覆われていたとでも言えよう。

 ともあれ私のボローニャへの旅立ちははじまった。日本の戦後を生きてきた一人の日本人として、あるいは30年数年の教員生活を送ってきた人間として、地域政策研究者の一人として、見たこと、考えたことを、少しずつ報告していきたい。


(注)「創造都市」:佐々木雅幸『創造都市への挑戦』(岩波書店 2001年)では、「創造都市とは人間の創造活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備えた都市である」と定義し、「創造都市・ボローニャ」を紹介している。

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