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連続学習会 特別支援教育について考えよう
第1回 個別の指導計画や個別の包括支援プランって何?(下)
(05年8月号)
3月13日に開かれた「特別支援教育と京都の障害児教育を考える集い」(「特別支援教育ー”先進地”京都で検証する」として内容がまとめられている)参加者の声に応えて、「連続学習会・特別支援教育を考える」が企画され、第1回学習会が6月12日、「特別支援教育と京都の障害児教育を考える集い実行委員会」の主催で、同志社大学至誠館を会場に開催されました。
テーマは「個別の指導計画や個別の包括支援プランって何?」。個別の指導計画、また包括支援プランはどのような形式か、またそれがどう生かされるのか気になるところです。キーワードは「個別」。「個別の指導計画」が指導内容・体制に結びつき、先生にとっては、こうした指導計画やプランやそれにもとづくさまざまな文書作成に忙殺されるという情況も生まれています。先月号では保護者の森田葉子さん、梶山玉香さんの報告を紹介しましたが、今月号では越野和之さん(奈良教育大学教授)の発言を紹介します。
(文責・編集部)
個別の計画の一人歩きではなく共通の教育課程も大切にして
越野和之
森田葉子さん、梶山玉香さんや先生方のこれまでのお話を聞いての感想みたいなことをお話します。
養護学校と育成学級と通常学級の子どものためにつくられたプランについて保護者の方の話を聞きました。養護学校の先生や育成学級の先生に「文句」を言うわけではないのですが、お母さん方の立場からすると、意味がないと言いながら、なんでそんな作業を先生はやっているの、と思うのではないでしょうか。さらに、通常学級に比べればより専門的であるはずの育成学級の個別の支援計画が、こんなにシンプルでいいの、と思われるのではないでしょうか。
養護学校にしても育成学級にしても通常学級にしても、障害のある子が、その子の教育的なニードに合わせて適切な支援が受けられる。適切な支援という言葉を使ったのですが、何よりも一人の子どもとして大事にされるように学校全体で分かっておいてほしい。そのためにはどのような計画が求められるのか。お二人の報告から学びたいと思います。
包括支援プランは何かということですが、森田さんからご紹介もあったように、国の考え方としては、養護学校などで作る個別指導計画などがもともとある。それは学習指導要領のなかに根拠があって、それに対して学校だけでなくて、福祉、医療、労働などが連携をしていくための総合的な計画っていうことについて、個別の支援計画があり、それから特にこれを学齢期にあたって学校でつくる場合には、個別の教育支援計画というふうに、この3つが国が考えている特別支援教育の中にある考えだと思います。
京都市教育委員会がいう「包括支援プラン」、国でいう「個別の教育支援計画」のモデルといわれている、米国のIEP(個別教育計画)を紹介しながら考えてみましょう。
IEPの考えを取り入れて日本風にアレンジしたものという説明がなされるので、そういう意味でアメリカの話をしなければなりません。
結論的にいえば、「個別の指導計画」も「個別の支援計画」も、IEPとは基本的なことが異なると思います。
どこが異なるかということですが、先ほど「加配」が問題になりましたよね。説明があったように、標準的に配置されている先生に加えてプラスアルファで先生が配置されるというのが、「加配」です。 例えば育成学級に養護学校対象かと思われるお子さんが入って来たら、教員の資格をもった人が重度加配ということで配置されることもあるし、そうじゃなくて介助員とか介助ボランティアという資格は問わない、人を送ってくるケースもある。
IEPというのは、例えばこれこれの障害である、あるいはこういうような支援を必要とするので、この子どもには、例えば通常学校の通常学級に就学するけれども、週何時間かはこの子のための加配をつける、というような計画、個人ごとの計画をIEPというのです。
ですから、個人ごとの教育条件整備、と考えたらいいと思います。日本ではそういう計画は作られていない。だから「個別の指導計画」であっても「個別の支援計画」であっても、IEPとは違う。
先ほど会場から、「ボランティアさんがいい人だったらいいけれども」という話がありました。最低限こういう資格を持っている、こういう事を知っているという人を、LD教育の資格を持っている人に週15時間きてもらわなきゃ行けないんだとか、あるいは持っていないけれども、例えば京都市の研修には必ず来てもらうとか、軽度発達障害の子どもでなく、肢体障害の子どもさんであれば、PTの資格を持っている。また言語聴覚士の資格を持っている人がやっている通級教室に、週何時間通うか、それが自校の中になく他校の特別支援教室に通うんだったら、送迎は誰がやるのか、その送迎をやるための予算の管理は誰がするのか、ということまでを決めているのがIEPなんです。
「計画」と「記録」
「引継」が大事だと言われています。梶山さんは、こういうのを作っているお母さんは多いわけじゃないと言われましたが、でもやはり、我が子の事を考えれば当然こういうことをしないといけない。
このときに個別の指導計画と呼ばれているものが、そういうものらしいので、そういうものを作っていくというのはよくわかるんですが、一方で学校教育の中であるいは学童保育なども含めて、一貫性を持って欲しいものは何なのか、というのも提起しておく必要があると思います。
私が思うのはむしろ計画ではなくて、記録が一貫して整備されることが保護者関心ではないかと思います。
記録がはっきりしていないから、例えば、養護学校の小学部でも「はらぺこあおむし」をやって、中学部でも「はらぺこあおむし」をやって、高等部でもまた「はらぺこあおむし」の授業をしているなんてことが起こる。こういうことが指摘されていますが、これは計画の問題ではなくて、記録の問題です。
先ほど抱きつくような行動をするという話で、行動をどのように捉えるか、どう考えたらいいのか、どう対処したのか、理由も含めて記録する。少なくとも先生方もお母さん方もいろんな子どもさんにどういう対応したらいいのか、試行錯誤の時期が必ずあると思うのですが、同じ試行錯誤を繰り返さないようにするということではないかと思います。
たとえば〜が苦手、という書き方があったかと思いますが、それは〜というのが子どもにとって大事だと思って取り組んだけれども、結果的には、その子どもさんに、今の時点ではちょっと合ってなかったのかなと思います。
間違えたことは間違えたものとして記録する。、試行錯誤の記録も含めて引き継いだ方がいいのではないか。
そんなことを本当に引き継いでいけるようになっているのかというと、例えば自閉症協会の方はサポートブックというものを作っておられますが、そのサポートブックのようなものを学校の中でも作っていく。
「学習」こそ学校の仕事
数値目標をたてて、例えば何かを百汞ャ飲ませると言うのは計画でしょうが、むしろ子どもに関わる件を引き継いで欲しいということであれば、それが本当に個別の何とか計画という名前にふさわしいのかどうか、何とか計画っていうから、わけのわからないような短期目標につながっていくのではないか、そういうことも含めて少し検討がいるのではないでしょうか。
養護学校の個別の包括支援プラン、これはだめだという意見がありましたが、全部だめというわけでもないのです。 最初の数頁のところは、今後も引き継いでいけば、これは大事なものになるなと思います。次に、学習の履歴が書かれていないのはどうしてだろうかと思いました。
20個も短期目標をつくるという話でしたが、健康と安全から始まって、ルールの理解・集団生活の技能まで、11項目に分かれているので、この欄が固定されると、20個書かなきゃいけなくなる。欄が11ありますから、すると各欄に2個づつになるかな、となると先生の思考が枠にはめられてしまうなとも感じました。
学校こそがやらなきゃならないことは学習です。子ども時代にふさわしい活動は学習ですが、これは11項目の中の8ページの上から2つ目のところの認知面・人権理解からの教科内容の欄があるだけです。いわゆる教科の学習に関わる項目は、人権と認知面と並べたところにせいぜい一個ぐらい書いてもらえばいいかな、それでいいということなんです。
それが計画の所に書かれているので、何が引継の資料として大事にされなければならないのかということと、計画っていうものを子どもに合わせてどういうふうに作っていくのかっていうことを、少し整理して考えなければならないのかなと思います。
「個別計画」だけで十分か
そういうふうに考える時に個別の計画っていうのが、大変強調されますが、個別だけでいいのかという問題があります。
例えば3年生だったら3年生の学習内容の中で、どこが今年がんばって力をつけてもらって、どこが小学校を通してみても大丈夫なところなのかという見通しが必要です。 通常学級の中ですと、通常学級の共通の教育計画、教育計画というと教育課程に入るのですが、それがきちんとまず示されるものとしてある。 そのなかのこれとこれが、同じ目標として設定できる、しかしこれとこれはちょっと今のだれだれちゃんの課題にするとしんどいので、もう少し下げて関わるようにする。 だいだいこういう事は3年生で終わる子どもも多いけれども、5、6年ぐらいでクリアしていけばいい、というんだったら、これとこれは落としてもいい、この辺でカバーしようか、というような事が議論されると、これは個別の計画ではなくって共通の計画をしっかり明示しないと無理です。
ということが前提で、そのなかでどれをどうするかという議論になるので、通常学級の中で特別なケアを必要とする子どもが増えたから大事にする、ということは必ずそういうふうにならざるを得ないことなんです。
共通の計画のところが明らかにされないで、個別の計画だけが提案されるから、議論がややこしくなる。
ところが養護学校の場合はそうではない。養護学校の場合でも本当は共通の教育課程ってのがあるんです。従来だと呉竹養護学校とそれ以外の養護学校では違ったはずですが、総合養護学校になって1つの教育課程になっているのか、それとも複数のものが学校の中にあるのか私には分かりませんが、いずれにせよ、共通の教育課程は本来あるはずです。
京都市の考えてる養護学校では、すべて個人の課題から出発して、それをたまたまスイッチとか共通の課題が持てるならそれをグループにして、学習の課題にして取り組む。 先ほど養護学校がモデルになってすべての特別支援教育がすすんでいくのかという話が出たときに、僕はどうなのかなって言ったんですが、少なくともすべて個人の課題から出発して、教育課程を組み立てるっていう発想は、通常学級で支援していく子どもには実際上はなじまないと思います。
で、育成学級は子どもの課題が違うし個別の支援計画がいるんだって現場の先生がおっしゃっていましたが、でも実際には育成学級の中では年齢の異なる子どもが一緒の集団で学んでいる。共通の教育内容で同じ教室で違う学習内容をやっている。いろんな形態をとりながらやっているはずなんであって、そのことについて共通の部分と個別の部分と、分けながら計画を立てていく、ということが言えるのではないか。
もうひとつ、つっこんで言えば、養護学校として全部個別の課題から出発するという形でいいのだろうか。子どもに対してふさわしい生活、日中生活というものをふまえながら、出発するときに、やはり共通の教育課程、というか障害のある子どもの子どもらしい生活、というものを共通にどうイメージするかという議論がもう少しいるのではないか。
それが学校のカリキュラム、教育課程、教育計画というものをしっかり押さえていくことになるので、そういうことをもっとしっかりしてきたら、安心して子ども預けられるから、ということもあるのではないでしょうか。
そんな話をして今後の議論をすすめていただけたらと思います。
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