(05年3月号)
第6回 オウエンと世界遺産
今回のスコットランド紀行最後の目的地はニューラナークである。読者の中に、協同組合に携わっているか、あるいは、幼児教育について学んだことがある人がいれば、ニューラナークについてご存知かもしれない。ロバート・オウエンの工場と言えば、何がしかの記憶をよみがえらされる方もあるのではないか。私自身は、今回の旅行の直前まで、オウエンは産業革命の時代の工場主で、労働者のための工場を作ったというような、中途半端な知識しか持ち合わせていなかった。そしてそれは、今日では何の痕跡もない歴史上の事実であるといった理解をしていた。
産業革命期そのままに
実際は違っていた。ニューラナーク。手元の旅行書によれば00年登録の世界遺産と記されているではないか。世界遺産というからにはそれなりのモノが残っているだろう。百聞は一見にしかずということで、グラスゴーからニューラナークに向かう郊外電車に乗った。
1時間ほどで電車はラナークという何の変哲もない田舎の小さな駅に到着した。駅前の観光案内所で道順を尋ね、歩くこと15分。町外れの林の中にやっと「世界遺産 ニューラナーク」の看板を見つける。さらに奥へ進むと急に道は下り坂になり、その谷底に数棟のレンガ作りの建物が見えた。産業革命期の工場がそのままの姿で建っているのである。
残っているのはそれだけではない。工場の中では当時と同じ方法で紡績機を動かしている。町外れの谷にあるのはクライド川の水力を利用して紡績機を動かしているからだ。ここではその一部始終を見ることができる。しかし、産業革命期の工場の復元というのであれば、世界遺産には指定されなかっただろう。
工場で働く子どもと教育
ここの特徴は当時工場で働いていた子ども達に教育を行ったことである。その教室も再現されていた。教室と言っても小さな体育館ほどの広さの部屋に、机、黒板、教材などが置かれている。別の部屋では映像による解説(日本語でも聴くことができる)で、当時、工場で働く子ども達に教育をしたことがいかに画期的であったかを知ることができる。
当時、一般的には工場で働く子ども達はまさに使い捨てで、その少なくない人数が死んでいった。そうした中で大人も含めて教育し労働や生活の規律を教えることで、ニューラナークではほとんど子どもが死ななかったという。
ただ、19世紀始めの工場が復元も含めて当時の姿を今日見ることができるのは、もう少し違った事情が重なっているようである。オウエンの手を離れた後もかなり長く同じスタイルで経営されてきたこともあるようだが、現在に直接つながる遺産を大切にする気風がイギリスにはあるのではないだろうか。
日本でも近代化遺産などという言葉を最近聞くようになった。新しいものだけを追い求めるのでもなく、「昭和レトロ」などといって単に懐かしむだけでもない、歴史評価のともなった観光という視点も学ぶべきではないだろうか。
※スコットランド編は終了。来月号から新しい旅の連載が始まります。
(京都市職員・ケースワーカー。脳性小児麻痺、身障手帳2級所持)
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